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今年卒業する数学科学生が、大嫌いな数学について書いてみました

新年明けまして、おめでとうございます。
年が明けて、早々に大変な出来事がありました。
こんなとき、その場にいない自分は何もできない、と日々感じる無力感が余計に大きく感じてしまいます。どうか、少しでも前に進みますように。

大学受験生もいよいよ本番を迎えますね。一般受験を控える方、体調だけは気をつけて欲しいものです。

申し遅れました。私、一休誰絵と申します。一年休学したから、一休です。
現在は大学4年で数学を主専攻として勉強していて、あと3ヶ月もすれば卒業します。

大学4年は、私が復学したことも相まって、本格的に”数学”について考える時間が大幅に増えました。就職活動も一時期していたこともあったので(結局やめてしまった)、人にどう”数学”について説明しようかと考えたものです。
今回は、現時点での”数学”に対する私の考えについて書いてみようかと思います。
あまり真面目に勉強した学生ではありませんので、ディテールについては多めに見てもらいたいです。真面目に勉強されていた数学科OBOGの方、どうか温かい目で……

もともと、数学は大苦手民だった私

過去の記事で何回か言及しているのですが、私は中高生時代、数学が大嫌いでした。というよりかは大の苦手でした。
公立中学校の数学テストも50点代を取ることもあったり。
高校は他の教科にだいぶ救われて、進学校の類に入る場所に入学したものの、10点代の常連でした。現役時代は、受験直前でも数学Ⅲが全くもって理解できなくて、当時の数学教員にバカにされたものです。

そんな私ですが、一年の浪人期間を経て、数学科に通うことになったのです。

よく、数学科に進んだ理由について聞かれます。多くの数学科学生は「もともと好きで、得意だったから」と答えるそうですが、私は例外のひとり。むしろこっちが知りたい。
何で、こんな私が数学を大学に行ってまで勉強するのか。
さておき、なぜ数学科に行ってしまったのかは、大学受験のエピソードも絡めた方が面白くなると思うので、後日書くことができたらなと思います。

本題に戻ります。今回は数学について私なりの知見を書いていこうと思っています。
現時点で思うこととして、大学数学を勉強する中では「時間の無限化」「論理度重視」の2つが大きな特徴だと思っています。ひとつひとつ書いていきますね。

大学数学は、時間の概念が消える

人々の思う、アカデミックな数学のイメージは「PCの前でガチャガチャ計算?」「黒板によく分からない計算を、猛スピードで書いていく」あたりでしょうか。多分、サマーウォーズのイメージかなぁ。

確かに、中高時代で習う数学って、限られた時間内で、いかに素早くパターンを見つけて、ミスなく計算する力が求められます。数字に強く、処理能力の速さがモノをいう世界です。これが、数学嫌いを生み出す諸悪の根源、日本人に文系が多い要因といいますか、私を数学大苦手民に陥らせたものなのですよね…

ところが、大学数学はその逆で、教科書1ページを1日かけて読んで、分からなくても仕方がない、といった勉強スタイルになります。(中高の受験時代に培った、処理能力の速さを前提をしているかは何とも言えないのですが)
話があまりに抽象的で、何を言っているのかが、全くもって分からないのです。
よくある例えになりますが、幾何学だったら、「ドーナツとマグカップは同じ形だ」という話になったり。
先代の著名な数学者も、時間を無限かの如く考えに考えていたのですね。なにしろ、定理は数学者のひらめきからやってくるものがあったりするくらいなので。文系科目ではあり得ない話というか…

時間を無限かの如く使って、ひとつひとつ理解し、噛み砕いていくのは、これまで中高数学を大得意にしてきた人にとっては、ちょっとした挫折ポイントだったりするようです。
私は元々大嫌いだったので、その辺は慣れっこでした。そんなときに「大学数学との相性は、あまり悪くはないのかもな」と思ったりしたほどです。いや、そんなことはありません。とある1問に対して3日間丸々使っても解けないことが多くて、お風呂でよく泣いていました。(本当の話です)

数学は「解ける解けない」ではない。どうしたら他人に理解してくれるのか

これはゼミで何回も体感したものです。

そもそも、数学ゼミは、テキストの命題や定理を改めて論理的に証明していく、という作業をゼミ生で分担していきます。その様子をゼミの教員がツッコんでいきます。「論理的に飛躍がある」「これは説明になっていない」など…

(命題や定理は専門用語でしたね。〇〇ということは、××である。といったもの)

このときに、受験数学とのギャップに対して、少しの挫折感を覚えた学生にとっては、追い討ちをかけるような、大きな挫折の機会になります。
「これまで、自分は得意だったと思ったのに…」と。大学院になると、以下略、といったところでしょうか。私もさまざまな地獄エピソードをたまに聞いたことは、ありました

ゼミですが、私ももちろん毎回つまづいています。ですが、こんなのは慣れっこだったので、特段大きな挫折感を抱くことなく、淡々と予習をしています。うーん、毎回髪を乱して予習をしています。

ただ、ゼミに参加することで、論理的に説明する力は、確実に、しかも自覚せずに鍛えられます。多分ですが、この力は、よく言われる「論理的思考力」という言葉になると思います。そんな数学科に行くと鍛えられるという、「論理的思考力」は、昨今でも注目されていますよね。コンサル業界では重宝されるようです。

ですが、なかなか目に見えて成長がわかる力ではないがゆえ、自覚も難しいのが厄介なところです。

実用性は何とも言えない大学数学だけれど

以上、数学科学生として感じた内容として2つの大きな特徴を書きました。

とりわけ文系分野の就職活動をしていると、「専攻する学問を、ド文系に分かりやすく説明して」と言われることがかなり多いです。抽象的なものを扱っているため、正直説明が難しい。そんなときに、「現在私たちが使っている、〇〇という分野の基礎となる学問です」となんとか説明するのですが、その〇〇を、数学科学生はなんとしても見つける必要があります。それくらい、実用的な、明日にでも役に立つ学問ではないのが大学数学です。

ですが、大学数学の良いところは、論理的に説明さえすればOK、またすでに定義・定理として位置付けられるものを疑う必要がないので(論理的に証明できているのかは疑ってみないといけませんが)、たとえば法学や社会学、文学など正解を持たない学問をするときと比べて、精神的な負担がないのがいいところかと思います。
また、他の理系学問はお金のかかる実験設備が必要ですが、数学はテキス1冊トと鉛筆と紙、たまにサイコロがあればいいので、どんな状況においても、触れようと思えば、触れられるものではあります。

人々を苦しめる、開かれた学問である大学数学。大学4年間でやっと、一部分を触れられたとは思います。こんな私ではありますが、何とかドロップアウト(中退)することなく、理学学士という称号を持って、大学を旅立つ日が近づいてまりました。

今日はここまで。





追伸、これは余談ですが。数学科あるあるとして。飲み会の割り勘計算をするとき、「数学科だから計算できるでしょ」とか言われますが、算数と数学は異なる学問なので、簡単にできません。世の中は大きな勘違いをしていますよ…

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