書かなくても いいんだと思ってるんだけど、書いておこう二次創作がある意味自由化したパテント主義より二次創作を創作の一次創作へのアドバンテージを認めさせた意味での少女漫画『絶愛』『BRONZE』という女の子に影響を与えた作品。

尾崎南 という漫画家の二次創作から始まった アイドルがデビューしていくうえで、 重い愛情をテーマにした上で ジェンダーを超えたものすごい
ストーリーシェアリング あえて言えば 二次創作である必要がない作品まで昇華されたストーリーですらあるが

同人ゴロとされる二次創作の状態だろうが 一次創作への愛が重すぎることによって創作された その作品自体は衝撃を与えている。

女性オタクがBLとされるものをたしなむ意味では

風と木の唄は、始まった意味でのBLであり、パタリロ!はジェンダーを考える意味では、美少年というカテゴリーとしての美醜論という形であれど
芸術表現としての特化作品である。

美少女系ビジュアルノベルとされるものに対してや、制服系レストランのゲームの二次創作ブームも確かに、すでに二次創作黎明期だろうと思われている節はあるだろう。 女の子の方が アイドルグッズや物をため込んでコレクションするよねというムーブに関しては、ジャニタレを推してるファン、BL、男性声優を推しているなど多岐にわたるが、根源

経済的にどうであるかでなく 誰かを支えていること その対象を欲することを母性とするならば、疑似恋愛商売の意味では 二次創作を語る上でも外せないことの表現の販売方法の提示であるといえる。

ビブロスだとかBRONZEマガジンだと勘違いのぽっとでだろ、ではないのだよね。 女性が子供を産める という言い方をすれば 女性が生産性があって 生産強者であるかのようであって 性対象として 略取される弱者ではない と 男女平等で見るなら思えるかもしれないが。
子孫繫栄だとか、子孫を残すべきだ が 疑問視されることからも少子化問題は起きているという事実と、
そうではなく、今後老人が増えて介護職がいないと、老人が立ち行かなるくらい爆発的人口がいた世代が存在していた。 あえて少子化させたうえで
生産性のない棄民と選民をつくるという 義務教育現場すら存在した という事実は外してはいけない。

現在の日本では ストリートチルドレンという扱いは、たぶんハングレと勘違いされた存在と同一視されているだろうし、コウノトリのゆりかごといわれる類の匿名駆け込み育児願いサービスに対して そういうのはある世界で済ましている部分はあるだろう

愛情だけではどうにもならなくて それでも 生活するには純粋に生産性はなくて、という消費文化 サブカルチャーカテゴリーという意味での非生産的事象を

夢が持てる世界 としてしまい それより精神的にタフさが必要な職業がブラック企業だとされる状態化、好きなものだからワーカホリックができているだとか、無理しなくても代わりはいるから、生産性の競争によるパイの取り合いは、無意味論だとかが台頭し、職業の自由をうたって、非正規のワーキングプアの自転車操業を増やし、静かに、間引かれていくかのような独身が増える、同居生活のできない意味での個人主義、自分が好きにできる時間のほうが大事であるという個人主義が、必要で当たり前みたいな空気

文化は消費する側と生産する側に分けるべきだとか思われるような誤解。
一次産業、二次産業、三次産業、サービス業という存在でなく、生き方すら下手な存在を生み出した状態、もし、働かなくていいなら、働かなくていいじゃないみたいな、嘘ときれいごとによる、厄介者の排除、指導放棄のの実力主義、これに対して 義務教育はただの利行為であるという誤解。
集団行動からあぶれてもいいじゃんみたいな個人主義、結局他人は他人だし
分かり合えないなら、情報共有もいらないみたいな状態、まぁ同人活動という状態が分母大きくなる意味では、好きな人間とだけつながるのは、居心地はいいよな、普通にという話である。 現実嫌なところも飲み込んで、そりゃ嫌な面もあるよねではなくて猫可愛がり、愛情のみを与えてほしいみたいな、何考えてるのといえば
まじな 頭の中 マジの自己中心みたいな、いわゆる頭の中花畑、平和主義ではない独善で自分しかいない世界みたいな、独裁者的思考。

こんなもん割り切る場所でしか存在させる必要はないし
現実と同等に認められるべきである、そんなわけねえだろ。

だから 仮想空間は現実じゃないんだよ、コミュニティリーダーに疑似的になれるとして、ただの特殊環境なんだよ勘違いするな一般人、という話が出てくるのである。

ストリートチルドレンは、困窮者自立支援制度がありながらもあぶれ出ている意味での、ある意味待機児童であったり、貧民という存在として、一芸から成りあがるくらいしか、生きていく希望が持てない存在であったり、恵まれた存在ではないのだ。

ブロマンスの意味でBANANAFISHという存在の少女漫画も、そのはかなさと格闘したストーリーだ。

長いだけで要約しろ的な人からすれば どうでもいいことだが

サブカルチャーは富裕層の娯楽の意味で
なりあがれる誰かをプロデュースできているかのような疑似体験的な舞台上に上がらない観客めいた意味での誰かを立てている状態
貴族が作曲家や劇作家を雇入れして、領民にアピールするための存在とかわらない。

プロデュースされてる土壌が開拓されるべきなのだ と 口開けてるだけの乱造には意味がない。 創らなければ認知されることすらないが、一定のクオリティーがなければ、淘汰されるべきリソースの無駄か害意、存在だ。

Twitterにしてもsnsにしても 好きな人とつながろう であって 色んな見聞を広げようではないんだよね。 居心地いい場所つくるだけ、それだと
意見を述べるられるときの状態を制限しないと 炎上自体はするのだ。

曲解か、理解の外かですらないやつ。

一応の意味で 二次創作は 一次創作の胸先三寸だとかまぁ 影響されてる作品があるなら、それに敬意をはらえ的なものはあるだろう。

狩猟的考え方と農耕的考え方がある。
まぁこれは確かなのだけど。
切り開いている状態をつづけているから開拓者で
にわかは、全部山師だというわけではない。

ただ 山師のような隙間産業の考え方の人間がお金を出す側にいないと
金自体が外部から入ってくること自体はまずない。

消費だけしろ文化? その時点でメインカルチャーにはなりえないよ。

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