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葬儀

 大往生。一般的には長生きして苦しまずに死ぬ事。そうやって迎える死は良いなと思う。

 土曜日、祖父が亡くなった。

 祖父は86歳だった。5年前認知症を患い、最期は肺炎で2週間寝たきりでご飯も食べれず、やせ細って、遺影とは随分違う顔になってしまっていた。
 それでも、死を迎える前日。父が見舞いに行くと笑顔を見せたという。

 
 葬儀は家族葬の予定だった。私達家族だけでひっそりと行う準備をしていた。父は自分の兄だけを仮通夜に呼び、伯父もそれで納得しているようだった。 
『生きてる間色々あったのだから、最期は煩わしい思いをしたくない』 
 本音はそうなんだろうし、母はほぼ隠さずに私にそう言っていた。 
 でもそれは父達、兄弟夫婦の蟠りでしか無かった。 

 父が葬儀の関係で、祖父の友人に連絡を入れた。たった一人。そこから、沢山の電話がきた。父と母は自分のスマホの対応に追われていたので、家の電話は私が出た。
 6人だけでするつもりだった通夜に、30人もの人が集まった。

 人の死を、人生を、数字で表すのは良くない事かもしれないが、86歳まで生き、20人以上の人が駆けつけた祖父の最期はとても良いものだったのだろうと思う。

 とくに、誰も泣いていない事が私には羨ましいと感じた。 
 叔父は仮通夜で祖父が我が家で寝ていた時には泣き叫んでいたし、私もフとした瞬間……例えば来年のお正月には少し涙を流すかもしれない。 
 それでも、式は穏やかに進んだし、その後従兄弟達も交えての食事では思い出話に花を咲かせた。 
(余談だけど、私がお酒を飲んでる姿がイケナイものを見ているみたいだと言われた。小中学生が飲んでるみたいだと。随分久しぶりに会うし、化粧をしてないのもあるからだろう。お互い様だ)

 大往生は一般的には長生きした人に使われる。でも、辞書を引けばただ単に『苦しみなく、安らかに死ぬ事』だ。 
 そして、周りにも苦しみを与えないなら、それが本当に大往生なんじゃないだろうか。 
 私もそういう死を迎えたい。

 

贅沢を言えば、あと5年くらいで。

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