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被災地というものの中にいて

Photo by Mayumi Suzuki

被災地というものの中にいて、音楽をやる意味をよく考える。その中に生活している人々の職種によって、内向きに展開していかなければならない事業と外向きに展開していかなければならない事業とその両方を考慮しながら展開していかなければならない事業とに分かれるのではないかと思っている。広義には自分が起業したのであれば、自分の思い通りに好きに事業を展開していけばいいとは思うが、それは被災地では通用するのかどうか、それは自分でもよくわからない。以前にも書いたが、そういった被災地はもう次のフェーズにとっくに入っていると思えるからなのだが。それを売り物にするのは古い考えなのではとも思える。ただ、事業を展開するのは内向きでも外向きでもどちらでも構わないが、一番大切に思えるのは、その売りたいもの、あるいは自分なら作品に対する「おもい」、「何をこれは表現しているのか」「何を表現したいのか」を明確にすることではないかと昨日の友人との話の中で自分が今まで思っていた考えを確実なものにすることができた。ずっと前に女川にいるあるアーティストと話した時に、「地元に受けたからといってそれが何になる。外に向けてアピールしてそれが知れ渡ってこそやる意味があるのでは?」と言われたことがあり、ずっとそれが心に引っかかっていた。でも、今になってその意味がとてもよくわかる。自分の思う展開をどういった過程で実現していくかは人それぞれだと思うが、それが内向きであれ、外向きであれ、「確固たる自分のおもい」というものがなければ、ずっと一生続けていくことはできないだろう。そんなことを考えながら、気持ちを新たにする、今宵のとても涼しい風のそよそよと吹く女川なのであった。自分が「これがしたい」とか「これを人に伝えたい」と思えるものを見つけることができたことは、30年もかかったが見つけ出せただけ幸せなことなのだろうと思うし、死ぬまで続けていきたいと思わせてくれるのだ。

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