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中学受験の思い出

 昨年度から昨年初秋にかけて、家庭教師をして、うち2人が中学受験だったのだけれど、やっぱり中学受験って過酷だ、でも必要悪かもしれない、と思った。

 私自身、大阪教育大学附属平野を受けさせられ、散々な目に遭った。今、かなり年月が経って、受験する側と受けさせる側の気持ちがようやく分かったので、ちょっと書いてみたい。

 附属平野を受けたのは大昔だが、きっかけは、私はずっと塾の先生が強力に勧めたせいだと思っていたが、今思い出すとそればかりではなさそうだ。
 というのは、すでに書いたように、近所の公立中学のレベルが低くて、高校の志望校を私学を受験せず、公立で一ランク下げたにも関わらず、入学した公立高校で落ちこぼれかけたのだが、親は公立小学校の時から地元の小中学に危機感を持っていたらしい。
 何でも、保護者会(まだその時は父兄会だったような気がする)の時、引越して越境して来ていた友だちの父親が、「(学校に期待しても仕方がないのなら)自分で努力するしかないんですね?」と言ったらしい。その頃からだった、親がしゃかりきに教育熱心になったのは。
 
 しかし、時代が平等主義に傾いていった時期だったし、校舎建て替えのために(小2まで木造校舎があり、その校舎だけ、都市ガスが無く大阪市内にも関わらず石炭ストーブだった)何かの指定校になり、教員が入れ替わり、いっぺんにレベルが下がった。
 教科書が小3から全然違うと思ったのは気のせいだろうか。

 平等主義というのはなかなか厄介だ。教員になった時に「学校で集団を教える時には、普通平均から少し下に照準を合わせて教えるものだ」と聞いたが、小学校では、件の小5の父兄会の時に、「一番下を引き上げる教育をします」と担任が言ったと聞いた。これはその小学校では、小3からそういうことになったので、小3・4の担任も同じことを言った、と聞いた。

 そこから、うちの両親の塾探しが始まった。能開はまだない時期で、能研に行った。体力がなかったのと、自社ビルを持つ塾が近所になかったので、春休み夏休み冬休みに専門学校を借りての講習会に行ったのだった。
 私自身は何でそんなことをしないといけないのかサッパリ分かっていなかった。

 その頃、灘に合格させる有名な塾が帝塚山にあったが、うちから通える手段がなかったのと幸か不幸か算数メインの塾だったので、親はそこは考えなかったようだった。

 小6だったと思うが、近所の建材屋さんが四階建てのビルの三階を塾にしたので、最初のメンバーとして声がかかり、最初は附属天王寺、あまり成績が伸びなかったので、直前で附属平野に変えるように言われた。

 妹がまだ幼くて遊び相手がいない頃だったので、散々邪魔をされて、祖母宅に2〜3ヶ月移ったが、私が眠りかけたころに祖母がテレビを観るので、眠れないというと家に戻ることになった。その頃、家に帰って毎夜見ていた夢は、白黒の世界で、武士に追いかけられて斬り殺される、というものだった。

 面接練習とか親はしたつもりだったらしいが、私が天邪鬼だったので、「〇〇で乗り換えて〇〇で降りますと言いなさい」というのは耳を素通りし、「慣れたら自転車通学してもいいかもしれないね」と言われていたので、通学方法を尋ねられて「自転車で」と答えて、散々後で叱られた。実は、当時の私の体力では自転車通学など不可能な距離だった。今測ると直線で6.9キロある。

 何で親が私に自転車云々と言ったのかは謎だが、母は田舎の人だから、自宅から高校まで直線距離で5.5キロ自転車に乗って通っていたし、祖父は師範学校の時の通学距離はそれ以上だったから、自転車通学は普通のことと思っていたようだ。

 何故、勉強しないといけないのか、何故クラスの友だちと同じようにしてはいけないのか、親たちから明確な話はなかったし、私はそのころやっとクラスにマトモな友人が4人もできて、グループで遊ぶのが楽しいころだった。

 一番無理だと思ったのは、試験前に三々五々集まった母親たちの雑談だった。やれ「卒業に向けての行事ばかりで、授業が潰れる」やれ「家庭教師を付けているんですよ……」
 駄菓子屋か文具屋か分からないような家から来るようなところではなさそうだ、と思った。
 大阪市内は場所によって貧富の差が激しいし、同じ地域でも差があった。うちの辺は当時、ネギ畑と紫蘇畑の広がるのどかな所だったが、地主の子はお屋敷に十段飾りのお雛様を飾り、他方二間しかないアパートに家族4人ぐらいで住む友だちも少なくなかった。うちはそのどちらでもなかったが、地主の子が家庭教師をつけたりするのは知っていた。
 
 親は、このままでは思ったような教育を受けさせられない、と焦り、子は友人と離れるのも遊べないのもイヤだと思う。しかも、何故、自分だけ遠くの学校に行かなければならないのか、また何故勉強しなければならないのか、サッパリわからない。
 この辺が私の中学受験が失敗した理由だったと思うが、だからと言って、私がガックリしたわけではなかった。受験しに行ったそこは、全くもって別世界だったからだ。

 今の小学生は何を思って、中学受験をするのだろう。

 たぶん、そこが問題なのだろうと思う。

 


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