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三浦春馬さんについて

初めての記事がこの話題になるとは、
自分がここで何かを残そうと思うとは思っていなかったけれど、
どうしても喪失感が大きく、悲しく、
亡くなってしまったことが悲しいのはもちろんですが、それ以上に
生きていた時から、ああ死んでしまおうかなっていうことを漠然と考えて何年もやってきていたのかなとか、

それでもいつも周りの人への感謝を伝えて、人にも物にも誠実に接して、自分の好きなものには気持ちを伝えて、言葉に残して、そういうことをやってきたのに、
それでも、
死ぬっていう選択肢と隣合わせのまま生きてきて、それが日常になっていて、7/18に、ああ今日死んでしまおうかなと、
そしてそのまま進んでしまったこととか、
まさにその瞬間にも、いややっぱり止めよう!!ってならなかったこととか、
なんか色々なことが悲しい。
し、数日経って、実際に関わりがあった人が、みんな悲しみに暮れていたり、人と関わっていたときの笑顔の写真がいくらでも出てくることとか、真摯に答えるインタビュー記事がいくらでも読めることとか、
そういうことも含めて、ぽっかりと心に穴が空いて、悲しい気持ちになってしまう。

そして、
話を聞いた人や写真を撮った人、一緒に稽古をした人、一緒にものを作った人、芝居のために何かを教えた人、その人が作るものを買ってもらっていた人、そして作品から元気を貰っていた人たちとか、とにかく職業柄もあり、やってきた芸歴の長さもあり、
関わってきた人達の人数がこの世界で生きている人の中でも多分上位層に入っちゃうくらい多そうで、
そんな大勢の世界中の人たちが、一般人だったら知りえない思い出とか言葉とかと一緒に思い出を共有してくれて、皆が感謝を告げていることとか、
本当に身勝手な言い分ではあるけど、
惜しいなぁ。もうちょっと踏みとどまってくれていたらと思ってしまいます。
その衝動については、30分耐えられればまた日常に戻れるという話を聞きました。
だから、せめて、その日の30分、
誰かに電話とかしてくれていたら、
その人が、いやお前そこで待ってろ今すぐにそこに行くから絶対に、とかなっていたら、
酔っ払った誰かとかでもいいからいきなり家のインターホンを押してくれていたら、
そもそも電車が止まって家に帰れなくて誰かとどこかに泊まっていたら、
とか、
今ではもうどうにもならないことを延々と考えてしまいます。

でと、毎日毎回その30分を耐えて耐えて、そのまま何年もやってきたのかもしれない、とか思うと、
そんな発言は全くもってできないという気持ちにもなります。


あそこまでの俳優さんだと、自分の日常に出てくる頻度も高く、作品を見ていた時期の自分の記憶も一緒に蘇ってくるから、偉大だなぁと感じました。

私は、『女王の教室』から志田未来ちゃんが好きで、その流れで『14歳の母』を見て、
何故かそのときの一ノ瀬ミキとかキリちゃんとかの役名や、主題歌のミスチルのしるしとかは、すごく覚えていて、
三浦春馬さんというのもそこで知った記憶があります。

私は、伊坂幸太郎さんのアイネクライネナハトムジークという本がとても好きで、何回か読んでいたけど、
それが映画化されると知って喜んだのも懐かしい。
でもその時、佐藤をやるのが三浦春馬さんだということに、別段驚くでも喜ぶでもなく、
スっと、「おお、いいな」という感じで、
うんうんわかるよこのキャスティングぴったりじゃないかぁ、みたいな感じで、
実際映画を見たあとも、
「あぁやっぱりよかったなぁ」と感じて、
なんとも気分が良く、心が軽くなったのを覚えています。
それほど違和感がなく演じられるというか、自分の日常に溶け込んでいる芸能人だったというか、全く嫌味がないというか、
とにかくそういうのはすごいなぁと、
今更ながら思っています。

この自粛中にも、何か医療に関わるものを見たいなぁと思って、筋ジストロフィーの方の実話『こんな夜更けにバナナかよ』を見て、真面目だけど大病院の院長(佐藤浩市さん)とは堅い関係の、北大の真面目な医学部生な感じが、どうにも合っていて、でも別にそれを見て、「三浦春馬は最高だ!!!!」って身の回りの人全員に言うほどでもなく、そんな感じの身近な存在だったのだと、これもまた今更思っています。

一番よく覚えているのは、
行くのが憂鬱だったり、帰り道で何もかも嫌な気持ちになってるときに、
渋谷駅のPaul Smithの動画の広告が大画面でいくつも流れていて、なぜかそのとき深く考えもせずに動画を撮って、
それをインスタのストーリーに載せて、
それに対して何人かからリアクションが来て、
そのストーリーのおかげで久しぶりに話せた人とかもいたなぁっていう思い出です。

色んな人と繋がっている必要がない、
投稿もしないのに他人のストーリーを見ているのもなんだか申し訳ない、
インスタをやっていることをお互い知ってるとそのストーリー見てないのに見ているの前提と思って会話が進んでいってしまったりして、なんだかそういうのに疲れた、
等のことを思って
その後インスタのアカウントも消してしまって、
人と繋がれるインスタを辞めるかどうかを迷っている頃だったから、
その時ももうあまりストーリーとかも載せてなかったんだろうけど、
三浦春馬さんのPaul Smithの広告は、
外国っぽかったこともあり、衣装とか動画の素材が素敵だったこともあり、
「あぁストーリー載せようかな」って気分が浮かれて、
1人で駅で立ち止まってスマホで動画を撮ってしまうくらい、
現実から離してくれるような、夢のある渋さと格好良さだったことが、強く記憶に残っています。


今回の件で、
色んな媒体で、写真だったり映像だったりを見て、
ああこんなに綺麗な顔立ちだったんだとか、こんなにしっかり真摯な人だったんだとか、
歌もミュージカルもダンスもやってたんだとか、
日本製のものに対してこんなに自分で足を運んで色んな人と絆を作って、周りの人にも共有して、
語学も頑張っていて、日本だけじゃなくて中国でも香港でも人気で、
ロンドンにも留学していて、そのときのルームメイトともちゃんと連絡をとっていて、
黒木瞳さんのことをずっと憧れの女性に挙げていたんだとか、
チャニョルとも親交があったんだとか、もしかしてテミンのコンサートとかも行ってたのかなとか、
遅ればせながら色々知りました。
素敵な人だったんだろうなぁ本当に。

そして、
小学校の卒業式での担任の先生が涙ながらに話してくれた『親よりも先に死ぬことは一番の親不孝だから』という話が本当に強く心に残っているとか、
握手会でも一人ひとりのファンの悲しみにまで寄り添ったりしてるとか、
実父でもお世話になった劇団の先生でも会いにいくべきだと思った人にはスケジュールの合間を縫って会いに行くとか、
友人のSNSにもコメントして言葉を伝えているとか、素敵だと思ったらどんな立場の人でも構わず尊敬しているという気持ちをちゃんと伝えているとか、
なんかどこまでも
人との繋がりを大切にしたり、目の前の人に誠実であろうとする、力を与えようとする、そんな素敵なエピソードが出てきて、
それらが全て、
深い考えの末に人を大切にしようと思っての行動だったにせよ、無意識のうちに出てくる行動だったにせよ、
とにかく誠実であろうと自律させていたんだろうなぁと思う。

そして、
親のこととか、家庭環境のこととか、
真面目すぎる性格を自分でもちゃんと知ってることや、
分厚い手帳に自分の考えを書く習慣を持っていたとか、
結婚はしないかもしれないと言っていたとか、
ガス抜きをちゃんとしないといけないことはわかっていると答えてるとか、
見栄っ張りなわけではないが弱い部分ダメな部分は人に見せないようにしてしまうんだ、とか、
そういう面も今更知って、
人には言えなかった苦しみが、人に言ってはいけないと自分で思っていた内容の話が、
沢山あったんだろうなぁっていうことも知りました。


良い人だったから、抱え込んでしまうから、上手く自分ではガス抜きができないから、
優しい神様が
「ああ、この人は優しすぎるなぁ。こんな人間世界で生きて心をすり減らさせすぎるのはちょっと可哀想だなぁ。うーん。わたしがいる、この非常に過ごしやすくて快適な場所に、ちょっとでも早く連れてきてあげたい気持ちになっちゃうなぁ。
うーん、でも、それはさすがにわたしの職権乱用かなぁ。
しかも、彼だったら、『いやでも僕周りの人悲しむから、そんなことはできません、まだ色々この世でやり残してることとか、言い残してる言葉とか、会えてない人とかいるんです、僕まだまだ頑張れますから、大丈夫です!でも、そんなお忙しいだろうに、僕にまでお心遣い有難うございます。』とか言いそうだなぁ。
いやーさすがに良い人すぎるわぁ。
うーん。確かに周りの人は本当に本当に悲しむだろうけど、色んなことを考えてしまうかもしれない。それは確かだ。
悩ましいけど、でもちょっとかなり辛そうだから、
解放してあげようか、な。」
って感じで、天国に召されて、
今は少しでも深呼吸出来ているといいなぁと思います。


三浦春馬さん、心よりご冥福をお祈りします。


個人的には、
関わりのあった人たち、親交が深くても深くなくても、
一般人の私でもこうなのだから、
より衝撃が大きく、かなり引きずると思います。
前の連続ドラマで、特に、娘役をしていた8歳の子(『砂の塔』にも出ていたくるみちゃん)が、心配です。
周りにいた人たちが、自分を責めたりせずに、どうにか良い方向へ持っていけますように...。

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