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#22 巡りゆく季節のなかで根をはること

「究極の雪国の暮らし」というタイトルでブログを綴り始めてから1年が経とうとしている。報道カメラマンとして撮影してきた「大地に根を張って暮らしている人々」のように僕も暮らしてみたい!と十日町市に移住してからは8年が過ぎようとしている。
 
報道カメラマンの仕事は観察者になることである。常に被写体との関係を中立に保ち、日常を写すこと、声を聞き大衆に届けることが仕事だった。一方で、十日町市で根を張ることは、中立的な視点から軸足を少しだけずらし、観察者から実践者へとなることだった。

十日町市で根を張るには米づくりから
泥にまみれて家族で田植え

こちらへ越して来るまでは田植えの写真を撮ったことはあっても、実際に植えたことはなかった。実践者となるということはカメラを置き、田の中に入り自ら体験することだった。実践者にカメラは不要だった。客観的に物事を見るのではなく、主観的に物事を捉え行動することが大切だった。
 
そんな実践者として7年間を過ごしたのちに、再び、十日町市の暮らしを客観的に見る機会をいただけたことはとても幸せなことだった。すぐ近くで暮らしていても会うことのなかった人や、興味があるのに知り合えるきっかけのなかった方々と、取材を通して出会うことができた。

集落のお宮さんで2年参り。年が明けご近所さんと言葉を交わして1年が始まる

今回のブログのお話をいただいたとき、担当者から「雪国の1年はいつから始まり、いつ終わると思いますか?」と問われた。その時の僕の答えは、「雪国はやはり雪がとけて大地が顔を出す時に1年が始まるのではないか。そして、1年の終わりは雪が降り大地が白く覆われた時ではないか」というものだった。

思い返すと、まだ雪に慣れていなかったころは、冬とは閉ざされた空白の時間だったかもしれない。散歩中、家のすぐ近くで吹雪にあう

と同時に「では雪国の暮らしのなかで冬とはどんなものなのだろう?」という疑問がわいてきた。真っ白な雪に包まれる冬は空白の時間なのだろうか?雪国の暮らしのなかで冬とはなんだろう?ただ閉ざされている季節なのだろうか?などと考えながら1年を過ごしてきたように思う。
 
このブログを書いている3月24日は、ブログの18回目で取材をさせていただいた松代ファミリースキー場の営業最終日だった。その前日のナイター営業の最終日に、僕は息子とふたりでスキーの滑り納めに行った。

息子にとっての人生初滑りは2年ほど前、スキー場ではなく家の横の坂道だった。除雪車が入る前に

1月に初めてリフトに乗った小学校1年生の息子は、スキーが大好きになり、2月と3月は結局、週5、6回はスキー場に通うこととなった。親子2人で最後のナイターに行くと、そこには学校の友だちが数人滑っていた。同じ学年の子もいれば、年上の子もいる。リフトに乗るたびに違う友だちと順番に隣同士で座り楽しそうにゲームの話をする後ろ姿は、なんとも微笑ましい光景だった。
 
「ここで出会うと肩書きなど関係なく、みんなすぐに友だちになれるんですよ」という同スキー場の管理人・宮澤秀志さんの言葉を思い出す。
 
結局、滑り納めのはずのナイターで出会った友だちと翌24日の最終日にもスキーをする約束をした息子は、初めて僕(父)の元を離れ友だちだけでスキーを楽しむこととなった(妻の送迎つきだけれど)。

家の周りをスキーで滑るなんて、まるで漫画の世界だ!とびっくりした。このころはまだ、友達とスキーをする日なんて想像もできなかった

仕事中の僕のもとに、「11人のグループですべったよ」という息子からのメールが届いた。妻によると、小学校の1年生から6年生まで学年関係なく、みんなで楽しそうに滑っていたそうだ。山間の集落に暮らし、バスで小学校に通う息子は、放課後に友だちと気軽に遊ぶことなどできなかった。それが「スキー場に行けば友だちに会える!」という楽しみを知ってしまったのだ。
 
実は、息子に背中を押されるようにスキーを始めた僕もスキーが楽しくてたまらなくなってしまった。そしてついに、息子が学校に行っている間に暇を見つけては1人でスキーの練習をするようになった。朝1人で練習をして、夜は息子とナイターなんて日もあった。
 
そんな練習を始めた初日、ある出会いがあった。近所にすむWさんは、このブログの1回目で書いた僕の集落の苗だし作業でここ数年、顔を合わせては挨拶をする方だった。田んぼ以外で初めて顔を合わせ挨拶すると、その数十分後には、Wさんからスキーを習っている自分がいた。
 
移住8年目の今年、30年ぶりにスキーをした僕にとって、雪国の冬は最早「空白の季節」などではなくなってしまった。誰も来ない田んぼのなかで独りで農作業をしている夏よりも濃密な人間関係が冬には存在した。閉ざされていると思った冬に、僕らは今まで最も開かれて関係を他者と持ったように気がする
 
「(松代ファミリースキー場の営業が終わった)明日からどうしよう?」と息子と真剣に悩みながらも、この冬に培ったものが、春になりさらに大地に根を張っていく予感のようなものも感じている。

息子曰く、スキーより楽しい、友だちとのリフトでのおしゃべり。それもスキーの一部だと思うけれど

「父ちゃん、僕スキーよりも楽しいこと見つけちゃった。それはリフトで友だちとおしゃべりすること」と目を輝かせていた息子は2年生になり、さらに友だちとの関係を深めていってくれるだろう。そのきっかけを冬にスキーからもらったような気がする。

田植えの後は田の草取り。

僕は僕で、春になれば今年も米づくりに挑戦する。集落のみなさんとの苗だし作業は春の楽しみのひとつだ。

大地の芸術祭がある年は忙しくなる

夏になれば、今年は大地の芸術祭もある。普段は静かな里山に大勢の人がやって来る。
 
秋になれば、稲刈りがあり、雪に備える。

初雪の気配を感じながら、籾殻燻炭づくり

僕の出身地である横浜で暮らしていると、秋と冬、冬と春の境界はとても曖昧だ。だから1年の始まりはカレンダー通り、元旦で始まり、大晦日で終わる。
 
ただここで暮らしていると、やはり雪のとける春にこそ1年が始まるような気がするし、雪が降るとやはり1つの区切りがある。この区切りは決して横浜で暮らしていたときには感じることのできなかったものだ。
 
そして、冬が来る。冬は決して空白の季節などではなく、雪国にしかないボーナス・ステージなのではないか?と僕は思うようになった。横浜での1年がここでは春夏秋に詰めこまれていて冬はご褒美のような時間なのだ。そんなご褒美のような時間は、春夏秋にも大いなる恵みをもたらせてくれる。

大地を覆う雪はやがて田を潤すことになる。人は春夏秋と冬を意識しながら豊かな時間を過ごす。十日町市の「究極の雪国とおかまち ー真説!豪雪地ものがたりー」は文化庁の「日本遺産」に認定されている日本の文化や伝統を伝えるストーリーだ。この物語は、豪雪地の着ものがたり、豪雪地の食べものがたり、豪雪地の建ものがたり、豪雪地のまつりものがたり、豪雪地の美ものがたりと、5つのものがたりから構成されている。

僕も十日町市の着物産業や、米づくりやニーナなどの保存食、豪雪にも耐える茅葺き屋根、鳥追いなど季節に合わせた祭りごと、単なる出土品の域を超えた火焔型土器など、この土地だからこそ育まれてきた土地と季節に寄り添った物語に出会うことができた。
 
そんな巡りゆく季節の中で僕らは根を張ってゆく。十日町っ子の息子は僕よりもずっと太くて深い根を張っている。

スキーを知って冬や雪の見え方が変わり、ますますこの地が好きになった

『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。

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