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路地裏猫って何者?正体は!?調べてみました!

*注意 このnoteは曲の解釈的な内容を含みます。読んでいく内で解釈違いだと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、あくまでも私個人の解釈なのでご了承ください。

ホワイト(@snowwhite_9494)と申します。

前回のnoteではたくさんいいねを頂いた上、アカウントのフォローまでして下さった方もいて本当に嬉しかったです。ありがとうございます!2019年ボカロ10選は年末ギリギリまで拘りたいからそれまで時間がだいぶあるけど、なんか#vocanote書きたいなぁと思って書いてます。

さて、今回はTOKOTOKO(西沢さんP)の「路地裏猫の正体」という曲について書いていこうと思います

この曲は2013年の12月12日投稿なので先週でちょうど投稿から6周年でした。この曲を初めてフルで聴いたのが12月13日の深夜なので、6周年のタイミングを完全に逃しました。投稿こそ12月12日ですが、実はそれ以前にも3回ほど、この曲が収録されていたのをご存知ですか?

1.ポケットサイズ・ドキュメンタリ(2013/11/17)

コミケ、ボーマス等で頒布された西沢さんPのVOCALOIDの1stボカロアルバムの5曲目に収録されています。VOCALOIDが歌っている「路地裏猫の正体」としては最古の音源となります。クロスフェードが投稿されたのは「路地裏猫の正体」投稿の約1ヶ月前なのですが、クロスフェード内で流れる時には投稿版のぶーたさんのイラストでは無く、べてさんの別イラストが準備されててびっくり。

Amazonでは現時点で新品の最安値で4200円と高騰化していますが、iTunes Store(https://music.apple.com/jp/album/843229787)では1069円で販売されています。

収録曲は全曲動画化されていますが、「ユーレイ」や「ヘルシーな生活」はリテイク音源になっているそうです。

2.ハンドメイドミライ(2013/4/30)

このアルバムはVOCALOIDが歌唱している曲と歌い手の天月さん、みどりいぬさんが歌唱している曲が収録されていて、路地裏猫の正体はみどりいぬさんが歌っているものが収録されています。このアルバムに収録されている「路地裏猫の正体」はVOCALOID版と方向性の近い音源になってますね。

3.PCゲーム「幻奏童話 ALICETALE」エンディングテーマ(2012/8/10)

リンクは2014年8月27日発売のアルバム。ゲームは2012年11月30日発売だが、音源の初出は2012年8月10~12日に開催された「コミックマーケット82」にて先行販売予定されたCD 幻奏童話 ALICE TALE -キャラクターイメージアルバムに収録されていたものとなる。

「路地裏猫の正体」の原曲がPCゲームのEDだって知ってましたか?

自分は全く知りませんでした。なんかvocanoteを書きたいと思って、ネタを探してたらこの事を知ってマジでびっくりしました。私が西沢さんPの曲をがっつり聞くようになったのは「夜もすがら君想ふ」からなので、その1曲前に投稿されたこの曲は今まであまり聴いて来なかったのですが、これを機に聴いたらどハマりしたっていうのがこのnoteを書こうと思った経緯だったりします。

こちらが「路地裏猫の正体」の最古のバージョンですが、ボカロ版と異なる点もあります。

・歌い出しが異なる

ボカロ版の歌い出しは「路地裏猫の正体を そっと君に渡したいのさ」ですが、榊原ゆいさん歌唱版ではサビの歌詞と同様に「この世界に君がいる なんかもうそれだけで構わないんだ 」から「路地裏猫の正体を そっと君に渡したいのさ」で前奏に入る形になります。それ以外の歌詞とかは完全に同じです。

・メロディーラインが異なる

榊原ゆい「Amazing」
https://music.apple.com/jp/album/amazing/908880935

正直、これに関しては聴いて貰うのが一番手っ取り早いので上のリンクから是非試聴してみて下さい(PCのみ試聴可)。1番サビ初めから2番終わりまで1分半くらいならただで聴けます。しかも路地裏猫の正体だけなら255円で購入できるので何なら購入しましょう。

PCなら上のリンクから飛べると思いますが、スマホからだと「リクエストされたアイテムは現在、日本のApple Music ではご利用になれません。」と表示されると思います。この現象について検証してみた結果、Apple Musicで配信されていない曲のリンクをnoteに埋め込むのは無理みたいです。ITunes Storeから開けば、PCと同様に試聴出来るのですが、ITunes Storeのリンクを取得すると勝手にApple Musicのリンクに変換されるせいで、ITunes Storeでは配信されているけど、Apple Musicでは配信されていない曲のリンクの埋め込みが出来なくなっているのが現状です。

お手数ですが、ITunes Storeで検索し、是非試聴してみて下さい。

聴いていない人にも分かるようにどういう風に異なるか伝えると、ボカロ版が西沢さんPの代表曲と言える「夜もすがら君想ふ」の近い感じのポップな仕上がりなのに対して、榊原ゆいさん歌唱版は同じく西沢さんPの「投資家レコーズ」に近い感じのカッコいい系の仕上がりになってます。ボカロ版の「路地裏猫の正体」の次に投稿されたのが「夜もすがら君想ふ」って考えたら仕上がりが近い感じなのも納得ですし、榊原ゆいさん歌唱版と「投資家レコーズ」は同年に公開されたと考えるとこちらも納得ですね。

個人的に西沢さんPの楽曲で一番好きな曲が「投資家レコーズ」なので、メロディーラインとしては榊原ゆいさん歌唱版の方が好みだったり。


・路地裏猫の正体とは?

前置きはこの辺にして、本題に入って行きます。

これめっちゃ気にならないです?

「路地裏猫の正体を そっと君に渡したいのさ」って言われても、いや正体ってなんやねん?ってなったので、調べていこうと思います。

「路地裏猫の正体」投稿時の西沢さんPのブログにこのような事が書いてありました。

動画のお話。
今回はぶーたさんにキャラデザから動画の構成までお任せ(丸投げ)しました。
そうなったのにも!ちゃんと!理由がありまして!
前述の通り、ゲームのEDとして書かせてもらった楽曲ですので、それをイメージして書いたんですよね。
なので、僕がこういうイメージで!とするとそのお話をなぞることになってしまうんですよね。 それは避けたい、別の一つの作品として見えるようにしたい!という想いからお任せ(丸投げ)に至りました。
結果的にそうしてよかったと思ってます。
ぶーたさんなりの色とか、世界観とか、いいところがたくさん出たんじゃないかと思います。

本当に正体を突き詰めるならゲーム自体をプレイするべきなのでしょうが、ゲームの評判もあまり良くなかったし、今回はプレイせずに主に歌詞から突き詰めたいと思います。

私の好きな言葉に「上質なプロットには、無駄なシーンが一切ないのです。すべての文章に意味があり、伏線があり、作者の意図が込められている」というものがあるんですけど、それに倣って歌詞のあらゆる部分に意味を見出そうとしているので、「それは無理があるやろ」みたいな所もあるかもしれないです。

・猫と死

こんな私に出来ること 今はまだちょっとわからないけど
君が死んでしまう日まで 隣にいさせて欲しいんだ

1番サビ、及びラスサビで使われている歌詞ですね。サビの初めの部分は1番サビ、ラスサビで異なりますが、この部分は共通しています。ポップな曲調に対して、「死」という暗い言葉が出てくるのが印象的。

猫と死といえば、飼い主と猫の最期の時間の事をエンジェルタイムと呼び、「猫は死期が近づくと姿を消す」みたいな話を聞いた事がありますか?

猫が姿を消すのは死に場所を探しているのでは無く、具合が悪くなると敵に襲われないように安全な場所に身を隠す習性によるものだと言われています。この曲における「路地裏」=安全な場所という当てはめは個人的にしっくりきます。そう考えると「君」=路地裏猫と考えて良いでしょう。

・消したくても消せない感情

君が消えたあの日は いつか 思い出になっていたのか
余計なことと隠した それはとても大事なことでさ                                                                      消したくても消せない感情と 油性の恋だ        ひとりぼっちに怯えて 君と星のない街を歩いた
「私の事は忘れていいよ」
そうやってまた ひとりになって 傷付かない様に目を塞いで

こちらが2番の歌詞です。個人的には「消したくても消せない感情と 油性の恋だ」の部分が凄く印象に残ります。単に自分が「油性の恋」という表現が好きというのもありますが、1番サビであれだけ「この世界に君がいる なんかもうそれだけで構わないんだ」とか言ってたのに消したいの?っていうギャップが印象的です。

ですが、上の項で触れたように「君」が死期を目前に迎えていると考えたらどうでしょうか?「君」が死んでしまう日が来た時にまで恋をし続けていたらきっと虚しいだろうし、消してしまった方が楽なのかもしれませんが、「私」はそれが出来ません。「君」はその事すらも分かっているからこそ『「私の事は忘れていいよ」』と言って、一人で抱え込んでしまいます。ここの『「私の事は忘れていいよ」』はこの曲を通して、唯一括弧で閉じられている台詞の部分と言えます。基本的に「私」の視点からこの曲の歌詞は描かれていますが、この部分だけは「君」の台詞であるということが括弧を一度だけ用いることで強調されています。

「余計なことと隠した それはとても大事なことでさ」の「それ」はおそらく「君」を死に近づけるような原因となるような物でしょう。猫が死期を目前にすると姿を隠すのと同様に、猫は自分が弱っていることを本能的に隠したがります。こういう部分からもしっかり猫らしさが見えてくるのが凄い。

・言葉に出来ないけれど 路地裏で恋をするんだよ

どうやって話せばいい? 弱虫の手が震える
思い出の数だけの君に会った ひとりぼっちに雨が降る

「昨日のことはポケットにしまい 零れないように歩いた」と1番にもあるように「君」との思い出はたくさんあり、その数だけの「君」と「私」は出会って来ました。だからこそ最終的に「私」は「君」が死んでしまうその日まで隣にいる事を選びます。猫は雨が苦手なので、雨が降るという表現は純粋に受け取っていい部分では無さそうです。そう考えるとひとりぼっちの「君」が流している涙の比喩表現として雨という単語を用いていると考えられます。

猫は弱った姿を見られたくないだけで決して1人になりたいというわけではありません。忘れてしまった方が楽なのに隣に居続けるという「私」の選択は心底嬉しいものだったでしょう。

この世界に君がいる なんかもうそれだけじゃつまらないんだ
言葉に出来ないけれど 路地裏で恋をするんだよこんな私に出来ること 今はまだちょっとわからないけど
君が死んでしまう日まで 隣にいさせて欲しいんだ

1番では「なんかもうそれだけで構わないんだ」となっていた部分が「なんかもうそれだけじゃつまらないんだ」に変わっています。1番の時より心の迷いが無くなったから表現も強くなっているのでしょう。

上でも書いたように「私」は忘れてしまった方が楽なのかもしれません。それでも言葉とか理屈では説明できないけれど、「君」と居たいと思い、路地裏で恋することを選びます。この曲における「路地裏」は安全な場所という意味で「君」の居る場所でもあります。「私」の居る場所ではなく、「君」の居る「路地裏」で恋をするという所からも「私」が「君」に寄り添うという姿勢が伝わってきますね。

・時間帯の要素

歌詞で出てくる時間を推測出来る要素は、「月夜に染み込んでいくような」、「夜を手に入れてしまいそうな」、「君と星のない街を歩いた」の3箇所です。見れば分かるように全て「夜」の要素を含んでいますね。猫の目は暗闇に強く、夜中に活動することも多くあります。時間帯の要素まで「猫」らしさへの拘りが感じられて凄い。

・観覧車と未完成の大きな街

夜を手に入れてしまいそうな
観覧車から未完成の 大きな街見下ろして

個人的にこの曲の歌詞で1番好きな所です。私は昔から観覧車というものに強く心惹かれる性質があるんですよね。

観覧車から見える景色って歌詞にもあるように凄く広大なんですけど、その広大な景色と対照的に観覧車の中は狭くて自分達だけの世界があるんですよ。特に夜だと空も暗いし、街もビルの明かりや街灯が照らしているだけでまるで世界には自分達しかいないように感じられる事もあります。それを「夜を手に入れてしまいそうな 観覧車」って表現するのが凄く好きです。ロマンもへったくれもない事を言うと、観覧車の1台1台の中に人が乗っているんだから世界に自分達しかいないのは勘違いでしかないですけど、観覧車にはそう思わせるだけの魅力があると思ってます。

また観覧車は人生の比喩としても機能します。観覧車は半分で最高点に達して、そこから先はゆっくりと降りていきます。話は変わりますが、皆さんはジャネーの法則というものをご存知ですか?心理学的に有名な法則で、人は0歳から20歳までで主観的、体感的に人生の半分を終えているという考えです。これってなんか観覧車みたいじゃないですか?半分で最高点に達して、そこから先はゆっくりと降りていく。世界に自分達しかいないと思ってしまうような時間に終わりがあるように、命にも終わりがあると伝えているように感じられます。更に車輪が巡り巡る観覧車は輪廻の比喩としても捉える事が出来て、「君」が死んでしまってもいつかまた巡り会える日が来るという意味も含まれていたら素敵だなと思います。

それに「未完成」という言葉も良いアクセントになっていて、「大きな街見下ろして」だけだったらなんか安っぽく感じられますが、「未完成」を入れるだけで一気におしゃれになります。それに「未完成」な街というのは開発が進められているような場所ですよね。逆に「路地裏」というのはもう開発はされずに放置されていて、ある意味「完成」されているような場所と言えるでしょう。「未完成の大きな街」は「路地裏」の対照的な存在として描かれているのです。



という辺りで一通り終わりですが、あらゆる歌詞に意味を見出すと言いながら、ちょっとよく分からないポイントがありまして、

君が消えたあの日に 私 人じゃなくなっていた
誰の声も届かない それは わかりきったことだった                                                                   月夜に染み込んでいくような 優しさがあった

下の「誰の声も届かない それは わかりきったことだった」のところは死が近づいている「君」の辛さを表す部分で、「月夜に染み込んでいくような 優しさがあった」は「私」の持つ物という解釈で納得出来ますが、問題は1番上の1行です。

人じゃなくなっていたのは「路地裏猫」である「君」だという解釈を並べて来ましたが、ここでは「私」が人じゃなくなっていたとされています。ここは視点が逆か?とも思いましたが、「君」が消えたあの日にという部分を見るにそうでもなさそうです。ここに関してはマジで分からないので諦めました。

あともう一つ

路地裏猫の正体を そっと君に渡したいのさ

正体を明かすという表現はよく聞きますが、正体を渡すという表現をなかなか聞きません。わざわざここで渡すという表現を選んだ理由についても納得のいく答えは出ませんでした。

この2箇所の解釈はこうじゃない?と思う方がいらっしゃったら是非Twitter(@snowwhite_9494)の方にリプを送って下さい。お願いします。



私の思う「路地裏猫の正体」とは?

私は「死期を目前に迎え、安全な場所に身を隠し、止むを得ず一人で生きる事を選んだ存在」という結論になりました。一人で生きる事を選んだのは決して望んだことではなく、自分が他人と生きても、変に思い出を作ることになってしまい、死んでしまった時にかえって相手を傷つけてしまうと思ったからそうせざるを得なかったという側面が強いです。それでも「君が死んでしまう日まで 隣にいさせて欲しいんだ」と最期まで寄り添う事を望むのが「私」という訳ですね。忘れてしまった方が楽というのは「私」も「君」も分かっているのに、そこに言葉や理屈なんて必要なくて、最期の日まで愛し合うのでしょう。

死期が近づいたら安全な場所に姿を隠したり、弱った姿を見られたくなかったりする辺りや歌詞に現れる時間帯を猫の活動する「夜」に固めるなど、細かい所まで「猫」という要素の使い方にこだわっているのが丁寧だなぁと思いました。

改めて動画のリンクを貼っておきます。このnoteを踏まえて聴いて頂けたら幸いです。

ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました!今度こそ次回は2019年ボカロ曲10選(か裏10選)になると思います。

おまけ

ちなみにこのnoteのタイトルはこの曲のオマージュです。良かったらこちらの曲も聴いてみて下さい!














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