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どうにか呪いに打ち勝ちたい。

新しい年になりましたね。

昨年は色々ありました~とか、特別な1年が~といったフレーズをよくテレビとかで見かけましたが、正直どんな年でもいろんな事はあるだろう...とか思っていたわけなんですけれど(相変わらずひねくれてます)。

年末年始を過ごしてみると、例年だと年が明けるタイミングでお参りに行くのですが今年は行かないという事になり、家でテレビをずっと見て過ごしていました。すごく個人的な話をすると某アイドルさんの番組がとても好きだったのですが、今年は無いので見るものが無くて困ってました。

お参りに行かないとやはり年始感があまり感じられないまま年が明けたわけですが、年末年始といえば親戚の集まりがあるわけですね。

幼いころは皆で集まってワイワイご飯を食べたり、夜中まで起きていても怒られないので楽しかったわけですが、徐々に年齢を重ねて20代にもなると色々とキツイな~と感じる事も増えてくるわけです。

我が家の家庭環境を端的に申しますと、父が典型的なモラハラおじさんなので、私と全くそりが合わず普段はほとんど会話もしていません。そんな父も親戚の集まりには当然出席するわけで、親戚一同がわいわい飲んだり食べたりしているうちに、父も酔って気分が良くなるのかちょくちょく会話に参加するわけです。まあそれは特に問題は無いのですが、私が他の親戚と話している会話にも入ってくるわけです。正直普段全く会話をしないのは私が意図的に避けている訳なのですが、これはシンプルに父とは会話が出来ない(考え方が違いすぎるのと、向こうは人の話を聞く気が無いため)という判断をした結果なわけですが、おそらく父的には反抗期の娘とか思われてんだろうな~なんて勝手に感じて勝手に「違うわ。」とモヤついているわけです。

そしてさらにキツイ案件は出てきます。

「はしちゃんは彼氏できないの?」

「女の子は小さいくらいがちょうどいいわ~(身長の話)」

等の呪いの数々ですね。

特に最初の彼氏云々は特に叔父が性懲りもなく毎年聞いてくるわけです、叔父自身がその類の話が好きという事も大いにあるわけですが、やはり妙齢の大人が独り身だと寂しい人間であるという固定観念は親戚一同持っているようです。年代的にもそんな考え方が特に根強いという事も、実際にそういった考え方をする人が大多数である事も理解はしていましたが、やはり目の当たりにした瞬間だと思いつつ今年も適当にあしらいました。毎年のように適当にあしらっている訳なので、もう聞くのも諦めて欲しいのが本音ですが、当人に悪意は全く無いのが一番しんどい訳なんですけどね。

そしてこちらも根深いジェンダー的発言の数々。(例に挙げた発言のその2の方です)久しぶりに親戚に会うと大きくなったね~という話題にもなるわけですが、成長期真っ盛りの高校生の妹が身長が伸びているという話題になった際に、姉の私よりも大きいという話に当然なるわけですね。はしのの身長が小さい小さいという話の流れで祖母が「はしのはその大きさでいいの、あんまり大きいと旦那さんとの身長の釣り合いがとれなくなるから。」という超絶微妙なフォロー(多分)をしてきた訳ですね。(ばあちゃんよなんて微妙なフォローなんだ。)私としては本来は165cmくらいは欲しかったのですが、この手の話は何を言っても誰も嬉しくない、というか私自身が嬉しくない結末にしかなりませんので、適当に流して話題が変わるのを待つしかないのですが、密かな抵抗と言わんばかりに「身長を気にしているような器の小さい人間を配偶者に選ばないので大丈夫。」的な返しをしておきました。ばあちゃん頑なな孫ですまん。

その後、彼氏云々の話の流れで話題に上がった「結婚」というワード、当然私は結婚する前提で話は進んでいく訳です。そして「嫁に行く~」というワード、もう令和やで?と言いたくなるワードのオンパレードでした。

このモヤつき案件について改めて考えてみると、私自身のセクシャリティについて改めて考えてみるまでは、多少のズレは感じつつも普通に話題に参加もしていたし、人にそんな話を振ったりもしていたのが怖いところで。きっとどんなセクシャリティに属していても、この風潮が息苦しいと感じている人は少なくないはず。これからもあらゆる呪いと闘い続けていくことになりそうだと思った新年でした。

誰が何と言おうと私の人生の主導権を握っているのは私自身だという事を心に強く持ち続けようと思います。これを読んでいる皆さんもどうか自由にいられますように。