自分の欲を傍観したうえではなしたい

こんばんは、西荻ぷれま委員会の北村です。noteを書くnoteを書いて対応策を作ったのはいいんだけれども、あの対応策の前提には日々書きたいネタがいくつかでているというものがあって、現実はそんなに甘くないということを思い知りました。

先に書いておきますけど、今日の話すごいややこしい上に全然おもしろくないです、たぶん!

今日は、「欲」と「表現」について書こうかなとおもうんだけれども、これはどうしてなかなかセンシティブな内容で、書きながらもすでにどんなはなしから書き始めようかと迷ってしまっています。

このタイトルの話をするにあたって、自分の欲に気づかないで話をするとこういうことになるからさーみたいな事を書くといいんだろうけれども、他の人のそういう事を書くのは穏やかじゃない感じがします。

ということで、言い訳を一通りしてつまらないかもしれない一般的な話をしてしまうのですが、人間というのは気持ちと考えを区別することが難しい生き物で、気をつけていないと考えのように気持ちを表現してしまって、そしてそこからただの自分の欲望を世界にたれながしてしまうのです。

ああ、おそろしい。

欲望を世界にたれながしたらなにがいけないのか。

これはもう、いいときといけないときがある、みたいな話になるじゃないですか。「え?正直にいってるだけでしょ」って。

あー、そうか、ここでぷれまで考える「オープンさ」の概念を使えばいいのかもしれない。

感じたことを伝えることと、思いやりをもって伝えること、この二つを両立させた伝えかたを「オープンさ」とぷれまでは定義しているのですが、欲望を伝えるときに思いやりを欠く結果になることが多いのでよくないってことですね。

例えば、無難にお腹がすいてなにか食べたいという欲望を考えてみると、自分がお腹がすいているということを伝えることそれ自体は何も悪くありません。では、その伝える相手が、その人にとって大切で集中を要する事をしているときだったらどうでしょうか。その人に、繰り返し何回も伝えることはどうでしょうか。だんだん風向きが悪くなってきた感じがします。まあ、小さい子とかはやりますよね普通に。ねこもやります。

しかし大人だったらばそこでそれを伝えるよりも、何かを食べておいたり、だとか、空腹だという感情的な表現をそれほどのせずじゃまにならない程度にをそっと「お腹すいたからおわったら早めになにか食べに行きたい」って伝えたりとか、そんな感じに思いやりを発揮したいところです。

で、これをするには、自分の欲に気づいていないといけなくて、同時に相手の欲だったり状況だったりにきづいていないといけません。

最悪のケースはその状況で「生活のリズムが大事っていってたじゃん、ごはん今すぐ食べるべきでは」みたいに、自分が食べたいだけなのにアドバイスのように説教をしてしまうことです。こわいこわい。

だれかに何かを伝える時、そのことは相手に影響をあたえることで、世界を少しだけ変えることです。より良く世界を変えるためには、自分の欲に関わらず良い方向に世界をもっていくことだと思います。そうあるためには、自分の欲の状態を他人事のように傍観して、その上で、それに対して自分の欲のために言っているんじゃないかと反論してみて、それでも残った何かを表現していく、そんな表現をして世界に知恵を増やしていきたいものだなーと思います。

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