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小説・ショートショート タツノオトシゴ 胸を差すSF的医学掌篇

果たしてタツノオトシゴに脊柱を支えるStand細胞は、有効に 存在するのだろうか?


「タツノオトシゴに、STAND(スタンド)細胞はあります。画像データも保存済みです」「タツノオトシゴに、STAND(スタンド)細胞はあります。画像データも保存済みです」

 礼和大学医学部・細胞生理学系准教授、保田奈津子氏は百名を超える報道陣を前によどみなく語りはじめた。澄んだ瞳に希望の粒子をみなぎらせて。

檀上の大型モニターには以下が映し出されている。

人類を足腰の悩みから救う 

タツノオトシゴの力 

STAND細胞 発見!

※画像:頭のうえの冠が目立つタツノオトシゴ(キャプション:日本と韓国の海草藻場に生息)

 記者発表会場に集まったメディアの誰もがこぞって固唾をのみ、次の言葉を待っている。なんせメディア諸氏の頭のなかには十年前の理研発生・再生科学総合研究センターの女性研究ユニットリーダーによる捏造事件が今もしっかりと記憶されていたからだ。

「研究の端緒を開いてくださったのは、J大学整形外科教授、山村幸弘先生です。〈人生一〇〇年時代〉もだいぶ定着してきた今日、街には背筋のラインの崩れた方も少なからず目につきます。七十歳の定年まで元気に働くには〈腰が資本だ〉がモットーの山村教授は父に相談を持ちかけました。父は脳神経外科の医師でしたが、すでに引退しており、娘にお鉢が回ってきたというわけです。幸いわたしは、若くも美人でもなく、すでに既婚の身。父の愛弟子の保田隆・J大学准教授が夫です。もちろん今回の研究チームのメンバーです」

会場内にちらほら笑いがもれる中、保田氏は長めに息を吐き、檀上端にいる山村教授に視線を移し、

「右側ご年配の方が山村教授、そのお隣が辰野(たつの)和真(かずま)先生。「右側ご年配の方が山村教授、そのお隣が辰野(たつの)和真(かずま)先生。Horse faceでとてもやさしい方です。ごめんなさい、馬面だなんて」

と発言を促した。

 会場の何名かがクスッと吹きだした。

 山村教授はだいぶ白いものが混じった頭髪を右手でかきあげ、

「私の場合、純粋に臨床医学の見地からの疑問で、とくべつ新しい観点はありません。ここは辰野先生に〈なぜタツノオトシゴに目をつけたのか?〉その核心をお聞きしましょう」

と、渋い声で言った。

いきなり振られた辰野先生は、人なつこい長い顏を照れくさそうに崩しながら立ちあがった。

「辰野(たつの)和真(かずま)と申します。「辰野(たつの)和真(かずま)と申します。日本海洋生物研究所の主席研究員を長年やっております。申し訳ございません。まず余談から始めさせていただきます。皆さんの中にはすでに私たちのジョーㇰにお気づきになり『もっと真面目にやれ』とご立腹の方もいらっしゃるかと思います。タツノオトシゴはれっきとした魚類でありながらギリシアの昔から〈海にすむ馬〉と呼ばれ親しまれてきました。お断りしておきたいのは、私の顔が馬面だったり、姓がタツノであることと研究とはまるで関係がないことです。偶然です。お間違いなきよう」

 報道陣から笑いや「よっ、イケメン・オトシゴ、頑張れ」といった囃子コトバが飛び、場がぐっと和んだ。

 辰野先生はハンカチを取りだし、額の汗を拭きながら、逆の手を首の後ろに当て何やら指を動かした。と、猫背気味だった背中がギシ・ギシ・シャキィーンと伸び、なだらかで美しいS字カーブを描いた。

「無理によい姿勢を保っているんでしょ?」

「冗談は顔だけにしろよ」

 野次が飛び交った。が、辰野先生はたじろがない。

「ぶら下がり健康器にぶら下がったみたいにきれいな背筋でしょう。これがSTAND細胞の真実です。種も仕掛けもありません」

 後ろを向き、後頭部を拡大撮影した映像をスクリーンに映し出した。そこには直径15ミリほどのはめ込み込み式の穴が開いていて、タツノオトシゴの尾部三分の一が挿入され固定されている。尾部の先端は頸椎のなかでしっかりと連結しているという。

 カメラマンのストロボが連続的に光った。

 辰野先生はまぶしそうな眼を見開き、

「では、タツノオトシゴの隠された力の発見から、動物実験成功までを動画でご覧ください。現在は治験が始まったばかり。多くの方の注目のまとです」

 出席者の表情は、半分は驚異的な発明だ、人類への貢献だ、と歓喜し、一方でタツノオトシゴにそんな魔法があるわけがない、眉唾ものだといぶかしむ思いに引き裂かれていた。

 

――四年前の初夏、辰野先生は研究室の水槽でほほえましい光景を目撃した。

 ワタリガニの雄どうしが雌をめぐって喧嘩し、一方が相当なダメージを受けた。何時間もうつ伏せになったまま動かなかった。ところが夕刻覗いてみると、タツノオトシゴが尾部でカニを吊り上げ、その腹を正面に向けて引っぱっているではないか。ふつう尾部は海藻の茎などに巻きつき、体が波にさらわれるのを防ぐ。が、今は他の生物に何かしら作用している。

(タツノオトシゴの尾部には特殊能力が秘められている!)

と科学者の勘が全身を走った。

 海洋生物学の辰野先生と細胞生理学の保田奈津子准教授は『タツノオトシゴの他の生命体に影響を及ぼす、神経系の仕組み』をテーマに、共同研究に乗りだした。

 科学者魂をぶつけ合い、議論し、仮説をたて、解剖し、実験を重ね、二年をかけてようやく目標への近似解を特定できた。世界的権威ある科学誌『nature』掲載の論文の記述を借りよう。

 

   タツノオトシゴの稚魚は、雄の育児(いくじ)嚢(のう)から誕生する。   タツノオトシゴの稚魚は、雄の育児(いくじ)嚢(のう)から誕生する。全長は小さいが成魚と形態・機能はほぼ同一である。ただし稚魚は成魚に比べ、姿勢が直線的傾向にある。研究チームはここに着目。稚魚の時代にだけ存在する極小の細胞を発見した。

これは接触するものに〈直線化情報〉を送り、運動伝達神経に牽引性を生じさせる。しかし成長とともに同細胞は極超微細な原核細胞に変化し、牽引性は消滅する。こうした時間的制約のため、体細胞の解析や培養などに苦労が伴った。

数多くの実験の末、誕生後三時間以内に同細胞を抽出し、他の生物の神経系にリンクできうるようユニット化。これにより例えば人の曲がった腰を垂直にする信号を発信可能にする。同細胞を私たちは『STAND細胞』(起立細胞)と名づけた。

 

 礼和大学医学部の細胞生理学・研究チームリーダーの久保氏は、この発見を明確な裏付けを持ったものとして公表するには、学問的知見以前の問題をクリアしておかねばならないと、終始一貫して考えていた。それは毎朝行われるチーム朝礼で彼女が決まって、

「研究室と冷凍庫のカードキーは必ず警備員に返却するように。実験該当細胞にひとたび混入が行われれば全ての実験の真実が崩れ落ちます」

と語っていたことからも明らかである。むろん、セキュリティ企業と契約はしている。だが、次代へ新たな科学の地平を切り開くのはテクニックでなく、インテンション(intention 意思)の力であると信じていたからだ。

 

 STAND細胞活用研究の動物実験は、整形外科および脳神経外科の二分野において、霊長類モデル(サル)を実験動物として行われた。

前者では現実に腰痛に悩むサルおよび脊髄にあえて損傷を与えたサルを用いて、STAND細胞移植後の経過を見た。わが国には六種類のタツノオトシゴが生息するが、相性があるようで、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症には、タツノオトシゴおよびイバラタツの細胞を培養したものが適していた。

この実験では、J大学整形外科・山村教授の研究チームが着実に成果をあげた。七十歳近い老体に鞭打って実験を進めた教授に、保田奈津子准教授は感銘を受けた。こころからの拍手を送った。

それに対し、脳神経外科の研究・実験について、彼女は少々残念な思いを抱いた。

こちらの実験のリーダーは、夫のJ大学脳神経外科・准教授、保田隆氏。サルの脳の黒質に働きかけ、運動を円滑にするのに必要な神経伝達物質ドーパミンの出る量をあえて減らし、STAND細胞の効果を調べた。結果は上々だった。

 しかし、奈津子准教授は、夫に失望してしまったのである。

「僕の方への実験依頼の時期、少し遅かったんじゃないかい」

「そんなことないわ。山村先生と一緒よ。あなた、また甘ったれる癖が出たんじゃない」

「君と辰野先生があんまり仲良く研究してるもんでね」

「そう言うのを焼き餅もちって言うのよ。そんなの焼いてる暇があったら、実験・研究の遅れ、挽回できるでしょ」

 それからの保田隆准教授は、目の色を変えた。頑張り過ぎたかもしれない。終電で帰宅する日が何日も続いた。疲れが蓄積したのか、ついにギックリ腰になってしまった。奈津子准教授がJ大学付属病院まで車で連れていった。(この人、ほんと弱虫なんだから)

 こうして動物実験の過程では、直立歩行するサルが研究室から逃げ出し、付近の住民を驚かした事件もあったが、将来の医療革新が大義となり、何とか収まった。

 

 初夏の薫風ここちよいある朝、奈津子准教授は出勤途中ふと巣鴨の地蔵通り商店街に行ってみたくなった。きょうは実験予定もそれほど詰まっていない。絶好のチャンスに思えた。

巣鴨駅からぶらぶらと高岩寺のとげぬき地蔵をめざした。平日の午前中といえど人通りは多い。やはりご高齢のご婦人が目立つ。でも思っていたほど腰の曲がったご老人は見当たらない。彼女はピンッとひらめいた。

(人生百年時代、高齢者の背筋がSTAND細胞できれいになったら、巣鴨の街もずっとファッショナブルになりそう)

 地蔵尊の前にきた。彼女は一礼して黒光りする頭に柄杓で水をかけた。以前鹿児島のタツノオトシゴハウスで買った開運ストラップをバッグから取りだし、地蔵の足もとに供えた。尾部をクルッと巻き乾燥している本物が可愛らしい。

肩の力がすぅーと抜けた。

(隆のギックリ腰がはやく治りますように。STAND細胞が認可されますように)

 顕微鏡をのぞき、細胞の成長と老衰を見極め、記録する仕事はまだまだ続く。でも彼女の胸はわくわくしていた。大学院を卒業して研究者の道を歩きはじめた頃のういういしい自分がよみがえっていた。夢の実現は近い。

 

バッグの中でスマホがLINEを受信した。

――タツノオトシゴに連結反応発生。STAND細胞機能は漸次、消滅。至急戻られよ。          〈了〉

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