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返事を聞くつもりのない問いかけ、問いかけていないのに群がってくる返事

先日、〈ネガティブ・ケイパビリティ〉に関する本を2冊――『ネガティブケイパリティ 答えの出ない事態に耐える力』、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力』と『訂正可能性の哲学』を読みました。

〈ネガティブ・ケイパビリティ〉とは人間の能力の一つで、

「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」

『ネガティブケイパリティ 答えの出ない事態に耐える力』

のことです。いわゆる〈タイパ(タイム・パフォーマンス)〉を上げる能力とは、対極にあると言っていいでしょう。

自分はこの説明を読んで「問題に向き合うのを放棄しない能力」だとも受け取りました。「自転車置き場の議論」で例えられるように些細な問題にエネルギーが注がれたり、「銀の弾丸などない」という警句に戒められるように安易で誤った見せかけの解決策に踊らされるのは、この能力が不足しているからだと解釈するとスッキリします。

しかしこれで「スッキリした! 解決!」と結論づけるのはタイパ的な思考でしょう。一方で「わからない」と放棄するのも「考え続けねば」と決意を新たにするのも違うようです。

ネガティヴ・ケイパビリティは、「わからなくていい」と開き直ることとも、「考え続けよう」と号令をかけることとも違います。ネガティヴ・ケイパビリティは、何かに安易な落とし所に考えを落ち着けず、揺れながら考え続けることです。だから、それらの見かけはネガティヴ・ケイパビリティと似ていますが、実際には思考停止にすぎません。

『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力』

ではどうするのか。ひとつは「自分の問題」ではないなら距離を置くことで、「自転車置き場の議論」がこれに該当すると思っています。意見を保つ必要もないし訊く必要もないことがテレビにもSNSにも溢れています。

世論調査もSNSも意見を持たない自由を奪うところがある。「この政策や法案に賛成ですか、反対ですか」って聴かれたとき、知識や考えを持っていなくても人はイエスかノート答えたり、ニュースやツイート投稿の受け売りで何かを話したりしますよね。それ以前は関心を持たないこともできたのに、SNSで何かが話題になったとき、自分もそれに対して意見を持っていないといけない気になる。

『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力』

そう言えば〈ネガティブ・ケイパビリティ〉という言葉を知った企画展「あ、共感とかじゃなくて。」の英題は"How I feel is not your problem, period."でした。話題になっているということは、脊髄反射だったりクソリプだったり大喜利だったりが集まっているわけで、その誰かが自分の気持ちを汲んでくれると期待するよりは、宝くじを買った方がマシでしょう。

そうやってエネルギーの消耗を避けて「揺れながら考え続ける」について考えているのですが、私の言葉だと「揺れ」より「ズレ」が近いように思えてきました。「考え続ける」もしっくりきません。私の頭の中にはもっと途切れ途切れの不連続なイメージが浮かんでいます。

まだうまく言葉にできないので今回はここまでにします。次回に『訂正可能性の哲学』の話をしながら何とか描出できるだろうと楽観しつつ。


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