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HSP・AC 自分史と日常の出来事を書きます。HSC時代→いつの頃からか自己否定の渦中…

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HSP・AC 自分史と日常の出来事を書きます。HSC時代→いつの頃からか自己否定の渦中→不安障害からのうつ状態→40代でHSPを知り回復の道へ ▶︎▷ASD兄妹育て中。イラストは楽しみたい☺ 副業系は🙅‍♀️ https://twitter.com/junjun_hsp

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HSP(HSC)に気づくのは早い方がいい

初めまして。sonoと申します。私は長年自分という人間が何者なのか疑問でした。私はASDの子供2人を育てており、私も?と思ったこともありますが、明らかに違うのが空気を、人の心を察し過ぎるところでした。自分は一体何者か?という疑問が無くならないのはトラブルの多い人生で、自己否定に陥って生きづらさがあったからです。10代後半頃からは、苛々や不安でいっぱいになっていて、その後も何とか周囲に同調しながら生きて来た感じでした。でも、そのうち自分の感情がわからなくなってしまいました。そし

    • 猫そして彼との出会い

      それまで幾度となくもうこの世から消えて無くなりたいと思ったけれど死ぬことなんて出来ず、20代前半で完全自信喪失していた私はただ何となく生きていくしか無いと思ってた。でも生きるにはお金が要る。でも仕事の人間関係からの胃炎や眠れないのも辛かったしもう辞めたい、、そう思ってた。 そんな時職場の人から“自分の友達のところに猫が生まれたから貰って欲しい”との話が。 高校生の時に家族から猫を飼うことを猛反対されたこともあって又反抗するのも怖かったけれど、とにかく私は寂しかった、、癒しが

      • 就職〜退職〜転職

        化粧をすることで少しだけ自信がついた私は、今までとは見る世界も違ったけど、やはり持っている気質や苦い経験からの対人面では上手くいかないことは続いた。 アルバイトでも同年代の人とは仲良くなれなかったし、コソコソ悪口を言われてるのも聞こえたりした。 でも年配の人は可愛いがってくれたし、そのおかげでアルバイトには楽しく通うことは出来た。 少ない友達ともたまには遊んだり私にとって短大時代はそれまでの中では楽しい時間だった。 就職そして短大を卒業して就職。いくつか面接を受けたけど、や

        • やっと少しは変われた時期

          私は中学生の頃からニキビに悩んで来た。 高校生の頃はそれがピークで顔中に、、首や背中まで出た。それを見た大人の何気ない言葉にも傷ついたし、気にするので余計に増える感じだった。そして髪の毛やメガネでそれを隠す様にしていた。周りには私の様にニキビのある子はいなかったし、可愛い子と比べては自信を無くし “ 私はブス” そう思い諦めてた。どうしても可愛いくなんかなれないんだ、と。高校の卒業写真の撮影は本当に嫌だった。今もアルバムを開くとニキビだらけで真っ赤な顔をして写っている。 私

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        HSP(HSC)に気づくのは早い方がいい

          高校生の頃②

          自己否定が強くなっていき、学校に行くのも憂鬱になっていた。“もう学校辞めたい”って本気で思い始めていた。でも親に反対されるのはわかっていたし、辞めたあとどうするか、、その不安の方が大きかった。 親にはアルバイトをさせてもらえなかったし、月5千円のお小遣いでは学校を辞めてどうしたらいいのか分からない。 抜毛朝も起きにくくなっていてギリギリの毎日。憂鬱な気持ちを抱えながら何とか通うものの、家に帰ると落ち込みからかプチップチッと髪の毛を抜いていたのを覚えている。そして“私なんか

          高校生の頃②

          落ち込むなあ…

          先週 2年ぶりにパートで働きたいと思って面接に行ったけどダメだったみたい。前のところでは過敏性大腸炎からの激痩せで辞めてしまってあのときも自信喪失、、息子の受験とかもあって不安定な時期が続いたけど、今ちょっと落ち着いたので勇気を出してみたけど、ダメだった、となるとどうしても自身を否定された様な気持ちになるんよね(T ^ T) 面接ってどうしても苦手で体が硬くなって、猫背気味になっているだろうし、喋りも苦手なので恐らく良い印象は与えないかな?とは思う。 しかも今回は性格テスト

          落ち込むなあ…

          高校生の頃①

          女子校への進学が決まった。中高一貫校だったので中学から上がった子たちに圧倒され、入学初日から不安で怖かった。不安の中 後ろの席の子が同じく高校からで、話しかけてくれたのが凄く嬉しかった。 それまでの経験からか人が怖くなっていった。可愛い子、運動神経のいい子、活発な子、、自分との差を感じてばかりいた。特に女子はグループを作る、、あれが本当に嫌だった。どこにも属したくなかったしグループ同士の険悪ムードもたまらなく嫌だった。 そして又 中学同様何もしていないのにあるグループから

          高校生の頃①

          中学に入ったら変われるかな?

          小学校では結局最後まで誰とも喋らずに過ごしたけど、環境が変わったら周りが変わるし、まだ私も変われるよね?って思ってた。 中学入学 変わりたい。友達が欲しい。 でも、、入学式当日のクラスの集まりのとき、早速担任からの言葉に傷ついてしまった。 私には2つ上の兄がおり、兄は私とは違って積極的で友達も多く人気者だった。そんな兄と比べて「なんか、、、全然違うんやな」って、、 小馬鹿にする様な言い方だった。 その担任には何度か傷つく発言をされた。 家庭科では苦手な編み物を苦手

          中学に入ったら変われるかな?

          HSC(小学生高学年の頃)

          ひとりぼっちの修学旅行 小学生になったらもっと積極的になって、友達を作りたいと思いながら高学年になってもなかなか思う様にはならなかった。そしてその頃から周囲に同調するのが私の中の当たり前になっていた気がする。周囲に合わせてばかりだったけど、時には自分をアピールする為の大袈裟な発言をしたり、嘘をついたりもした。そんな子に誰も友達になってくれないどころかいつの間にかクラス全員から無視される様になった。 毎日学校に通うのが辛かった。家族には何も話さなかった。心配かけるというより

          HSC(小学生高学年の頃)

          病気になったら怒られた

          体調が悪かったり、病気になって母に怒られたことが何回かあります。 ある夜中 気分が悪くなり嘔吐したときに怒鳴られた事、それも私が大切にしてた人形の上に…だから傷つきも2倍。母はとにかく怒りながら掃除していて私は泣きっぱなしでした。 (小学3年の頃) 家族旅行のときに高熱を出した時もそうでした。「こんなときに何で⁈」って…私はフラフラするし怒られるし、結局それは水ぼうそうだったんです。あとは無関心です。薬も全部自分で塗っていました… (小学6年の頃) 中でも1番酷いのは

          病気になったら怒られた

          知らない人やその場限りだと大丈夫

          これを読んでくれているHSPの方でこんな経験ってないでしょうか。 学校では(大人では職場や保護者間)話せないのに、全然知らない人やその場限りだったら話せたり行動出来ることって。 私は小学3年生でクラスの女子からの無視に合って友達と遊ぶことが無くなり、心配した母が知らない子供達だけのキャンプに行かせました。一人遠距離で不安でしたが、行ってみると楽しくてよく話したし中心になって行動出来たのです。キャンプの担当の大人が母にその様子を話し、「心配無いですよ」と言ってて母が驚いていた

          知らない人やその場限りだと大丈夫

          HSC(小学生低学年の頃)①

          何か怖くて不安だった幼稚園。小学生になったら、もっと友達を作って元気な子になりたかった。だから頑張ったと思う。授業では積極的に手を挙げて、勉強も頑張った。習字(硬筆)では賞を取ったし、2年生では学級代表にもなった。あの頃の母は嬉しそうだった。 でも、何か分からない不安があった。 それの証拠に当時の記念写真はいつも隅っこでみんなから離れ、背中を丸くしている姿が写っている。 学年が上がりクラス替えがあり、担任が変わり周りも変わっていった。唯一母が喜んでくれた習字も毛筆になって

          HSC(小学生低学年の頃)①

          HSC(幼児の頃)

          幼稚園児だった頃の記憶といえば、いつも怯えていた様な記憶があります。 やはりやんちゃな子っているし、怒っている先生、親子遠足のときのお弁当の時に母が開けたコーラが吹き出て隣の人ににかかってしまって、怒鳴られた、、あの人の顔、今でも浮かんで来ます。 そしてとにかく話さない子でした。もしかすると場面緘黙だったのかもしれません。 家では母から、先生に聞く言葉を繰り返し練習させられましたが、自然に出る言葉ではないので変な話し方になってしまいました。 それは「雨が降ってもバザーするの?

          HSC(幼児の頃)

          HSPの五感と感受性

          HSPは五感が鋭い人が多いと思います。 今日は嗅覚の話です。 私は何かの匂いで懐かしい気持ちになったり、 温かい気持ちになったり 又 切なくなることなど…あります。 気候や季節を感じることもあります。 その中でも幼稚園バッグの匂い… 大人になっても、ふと何か同じ匂いに出会うことがあります。 そのときの私の気持ちは “切ない” です、、 と、いうことは幼稚園はそんな場所だったのかもしれません。

          HSPの五感と感受性

          寂しかったに違いないよね

          母は生後三か月で、フルタイムでの職場復帰をしました。私は母方の祖父母と同居していて日中はほとんど祖母と過ごしていたのだから、記憶には無くても寂しかったに違いないと思っています。 あと私はタオルの肌触りが好きでよく顔に乗っけて喜んでいたのを覚えているのだけど、その記憶の姿が赤ちゃんだから不思議、、 タオルは母の代わりだったのかな、、❔ #AC

          寂しかったに違いないよね