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中学に入ったら変われるかな?

小学校では結局最後まで誰とも喋らずに過ごしたけど、環境が変わったら周りが変わるし、まだ私も変われるよね?って思ってた。

中学入学


変わりたい。友達が欲しい。

でも、、入学式当日のクラスの集まりのとき、早速担任からの言葉に傷ついてしまった。
私には2つ上の兄がおり、兄は私とは違って積極的で友達も多く人気者だった。そんな兄と比べて「なんか、、、全然違うんやな」って、、
小馬鹿にする様な言い方だった。

その担任には何度か傷つく発言をされた。

家庭科では苦手な編み物を苦手なりに一生懸命に作って出来上がったとき、嬉しさのあまり見せに行ったときも

「あんたでも作れたんやな」

あんた

でも

(涙)


積極的になりたかった私は部活(卓球部)にも入って頑張ろうとしたけれど、そこでも顧問の先生や先輩の厳しさ、、それに試合で闘うことに耐えられなかった。
そんなことらでクラブ活動も2年の終わりごろには退部してしまった。

何をしても褒めてはもらえない、続けられない、ほとんど話す友達がいない、自己否定は強まる一方だった。

その頃からだな、、
本気で消えたいって思い始めたのは。

どうやったら消えることができるのかな、、
どこに紐をくくるか色んな場所で上を見上げていた。

そんなある日、職員室に行き「死にたい」って漏らしてしまった。するといきなり背後から首を絞められた。苦しくてもがいた。
担任ではなかったその先生は「苦しいやろ!!そんな簡単に死にたいって言うな!!」って言った。怖さから返す言葉も無く放心状態、、


話せる友達はわずかだった。

ある日友達の家(何でも家にありそうなイメージ)に遊びに行ったときも「死にたいから死ねる薬ちょうだい」って本気でお願いした。その子はしばらく別室に行き帰って来たとき黒い見たこともない薬をくれた。“毒薬”と言って。
これで死ねるんや、、本気で思ったし本当に飲んだ、、

………

何にも起こらない。

友達は笑った。「お腹痛の薬やもん」
笑えなかったな、、、、

それからも高いところを見上げながら、、
でも、苦しいし怖いしってしょっちゅう考えては思いとどまっていた。


私の過去には何もしていないのに目をつけられる経験が数回あって、エンパスの経験のひとつにそれがあったのでもしかしたら何か関係があるのかもしれない。

何もしていないのに、先輩達から気にいらない!と呼び出されたし本当に怖かった。
いつトイレに閉じ込められるのかと毎日ビクビクしていたけど、呼びだされて質問に答えるだけで済んで何とか先輩達が卒業するまでの時間を乗り越えた感じだった。


**中学3年生 **


先輩が卒業してホッとしたけど、今度は又クラスの子からの無視やイタズラ電話に悩まされた。完全に無視されているのに保健委員として聞き取りをしなくてはならず、毎朝緊張していた。聞き取りの時には仕方が無いので答えてくれるものの顔は違う方向を見ている、、その態度が辛かったな、、
イタズラ電話もその子とその子の友達から。
私はわかっていた。

私には中学時代から今でも続く親友がひとりいて、その子のことは不思議なもので初めて見たときから「この子と友達になりたい!」という思いが強かった。同じクラスにはなったことが無いのにいつも私の話し相手になってくれた。
その子はたくさん友達がいたけど、何故か私を親友だと言ってくれた。
私を無視した子たちはその子が私と仲良くしていたら「あんな子と遊びなよ」と言ったらしい。その子は「○○(私)はそんな子じゃないで」と言ってくれたらしい。そんな話も教えてくれた。言われたことは傷ついたけどその子が私の味方になってくれたことが本当に嬉しかった。
そんな親友の存在のおかげで私は他の子に無視されていても学校に通うことが出来たし、私も負けなかったので周りの子も徐々に話してくれる様になったのかもしれない。

だから中学の修学旅行ではひとりぼっちにならずに済んだ。

ここに書くのも一部分で、なんとか無事に卒業出来た中学だけれど、常に怯えていたその頃の脳にはどれだけのダメージになったのか?と思ってしまう、、

そういう経験(+家庭での出来事)が不安障害に繋がっていったのでは、、と思う。

悩みごとは一切家庭では話さなかった。何を話しても受け入れてくれない、、そう思っていたから。

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