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“芸術写真”を実践するために

芸術写真を実践する学校Plot(プロット)を立ち上げます。2019年の2月から京都での開講を予定しています。

こんにちは、美術作家でデザイナーのタケシタ ソです。学生の頃からお世話になっていgalleryMainKG+から作家まで色々している中澤と芸術写真に対して誰よりも批評的な視点を持つ山崎と共同でスタートします。

写真学校と芸術家と職人

 なぜ芸術写真なのか、国内には多くの写真を学ぶ学校があります。
ほとんどの学校で教えることは芸術ではなく、カメラマンになるための技術を教え込まれます。国内で芸術家といえば職人を想像しがちですが、分けて考えるべきです。
職人は技術を継承し追求することに特化しています。対して芸術家に技術力は必ず必要ではありません。アイデアを持って達成するため職人に依頼できるのが芸術家です。技術を持って最高の品質作るのと、表現したい目的に対して技術を考える。とではアプローチが異なります。

 多くの写真の学校では芸術家を生み出すよりも金銭的な自立 = 就職できる技術の取得が第一です。芸術を優位を置くことはありません。そのため芸術家になるには個人の資質に委ねられています。

芸術というのは、作品自体が唯一無二の意味を持つからこそ、歴史に名を刻み今に残っています。職人的なの技術は普遍的なもので唯一無二の新しいものを開発するためのものではありません。歴史を知ってその上で、今までにない価値を探りだすことで芸術は生まれます。

芸術写真を進めるための世界地図を

 写真界を見てみるとマーケットで売れる売れないの力が大きく働いています。そのため写真批評は影を潜め芸術的価値が高い作家ではなく、技術的に優れたりタレント性の高い作家が目立つ傾向にあります。これは、市場経済とアートマーケットが強く結びつき資本と結びついた新しいアートだったのかもしれない。けれど、いつまでも続けている分けには行きません。

芸術家として、評価されない不安な世界で戦って行くためには、自からで批評性を持って進んで行かなければなりません。これは、スマホで地図を開いて目的地を定めることに似ています。今、自分がどこにいて、周りに何があり、どこに向かうのかを自分で選び取る力が必要です。既存の価値から自立して生きて行くと言えます。遠くに広がる、まだ見たことない表現を、価値を生みたい。Plot(プロット)はその欲望のある人、または迷い人の学校です。

学校では写真技術/美術史/美術理論/演習/制作/講評を、初めての人でもわかるレベルからスタートします。初回プレ講義「世界の芸術写真にラディカルな変革は可能か」12月23日に予定しています。世界の写真作品を分析して、今の芸術写真の地図を見て行きましょう。


ここまでスクロールしていただけて嬉しいので、間違いなく嬉しい。