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良き隣人に出会うために

隣人の皆様へ

フランス滞在で得たキーワードから、なぜデザインするのかを建築やアートの実践を通して考えた哲学とデザインの話。

11月のフランス・パリは、Paris photoを中心に各地で写真関係のアートフェアが開催され写真一色に染まっていた。そのアートフェアの一つfotofeverに出展するため観光も兼ねてフランスに滞在した。
「君の哲学は何か?」
お客さんに聞かれた言葉で、哲学者を多く生み出し国らしい質問だ。私は美術家として活動し、また、Schooではデザイナーとして働いている。Schooのアドベントカレンダーということ、そして、パリで得た新しいキーワードを使って私のデザイナーとしての哲学について考える。

フランスは長く移民や難民を受け入れてきた国で、アジア、アラブ、アフリカなど民族別でコミュニティーができていた。黒人しかいない地域もあり、日本にはない多様な文化に触れてみると、短時間の滞在では言葉にできるない事がわかる。日本に帰ってくると日本人誰けだけれど、ヘイトスピーチとそれに抵抗するカウンターとのように主調が違えばあっさり関係を切断し合っている。また、隣国との関係を見ると経済面では結びつきながら、政治面ではナショナリズムを台頭する。硬直化した世界がそこにはあるように感じる。

話を戻してフランスではAirbnbを利用しホテル街ではなく現地人が住むエリアに宿泊し、Uberを使い簡単に街を移動することができる。現地のドミトリーを利用したけれど観光地の旅館と住宅街では暮らし方や住んでいる人が違う。サービスデザインによって違った環境で出会えることに出会うことのできるのは面白い経験だ。WEBサービスは隣人に出会うヒントになる。ここではデザインの力が働いているわけだけれど、どのような効果があるのだろうか?時間軸に分けて分類してみる。

デザインの隣人

大学、大学院と建築デザインを学び、アート活動を本格的に開始したのは卒業後で建築的思考が根底にはある。建築デザインと言うけれど方や建築事務所BIGビャーク・インゲルスのように自らをアーティストと定義する建築家もいる。私はデザイン、アートを価値の耐久性で分離して捉えている。

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近いところから行くと、アプリのUIデザインの改修は、目の前のユーザーを対象にして短い期間で変更するので、改修がかかった時点で価値失われる。大型アップデートでも、短い期間で次々とデバイスが変わる。スマートフォンだと2年契約、家具だと10年、建築だと50年。アートは言うと時代によってはゴミ同然に、価値がある時は国宝級にと振れ幅は大きく何より残り続けている限り価値は保存されている。例えば、現代アートの祖の一人といわれるマルセル・デュシャンのレディメイド「泉」が発表されて100年以上経っている。100年経っても、未だに現代アート(正確には近代だが)と呼ばれている。”現代”の有効性は失っているかもしれないが、アートは時間が経つごとにその時代の価値基準に合わせて変化している。

建築学科出身の私から見るとサービスデザインやUXデザインと言われる分野は建築デザインにとても良く似ている。情報アーキテクチャーと言うように、建築分野で使われていた用語や手法が多く転用されている。面白いところはWEBで起きた熱狂がリアルの空間を一時的空間の役割を変える。AirbnbやUberはプライベートだった空間をパブリックな空間へと変え、都市を活動させる。またWEBで生まれた熱狂は伝染しリアルの世界でデモを起こす。私はこのネットサービスにより変化する空間に興味がある。インターネットのおすすめ機能は自分と近い選択をしたデータからおすすめを導き出し紹介する。東浩紀「弱いつながり 検索ワードを探す旅」の中で知らないところに行ってみる事を推奨している。いつもと同じ環境では調べるキーワードに大きな情報の変化がない。twitterをログインした時に出る平均化された情報と私がフォローしているタイムラインとの風景の違いに驚いてしまう。ネットだけではなくリアルでワードを探す。その手段としての観光である。実際にフランス行く事で普段使わなかったサービスを使い、現地にいかないと知らなかったであろうアプリをダウンロードし、現地の友人とSNSで繋がっていたことでガイドブックには乗っていない人、場所に出会う事ができた。インターネットサービスは人の行動を刺激しリアル空間へと連れ出す事ができる。

隣人とは?

良き隣人は、2017年第15回イスタンブール・ビエンナーレで観客と作家に投げかけられたテーマ「a good neighbour(良き隣人)」から参照している。イスタンブールという隣国との関係がシビアな場所から発せられた言葉を聞いて、隣国との関係で日々更新のある私たちと無関係では決してない。アートの面白さは問いを投げかけてくることにある。価値が継続するというのは問いの深さにあるだけれど、問いと出会い考え自ら価値を探すことに意味があり、今から未来へと向けられている。ところで隣人とは誰のことを指すのか?お隣の住人から、会社の同僚もそうだろうし、大きな視点で持つと、周辺諸国も隣人である。ナチズムのように隣人を選ぶ社会は不健康者を、人種をと良き隣人を選別し、都合の悪い人物は排除する。この閉塞感から抜け出すために隣人に出会い続けなければならない。

隣人に出会い続けるため出会い続けるために、都市を作るという視点を導入する。藤村龍至「批判的工学主義の建築:ソーシャル・アーキテクチャをめざして」の一説だがインターネットの影響でもたらされる超都市について書かれている。

1995年以後に現れた新しい権力の主体について磯崎は名言を避けているが、それはおそらく「群衆」であると考えられる。磯崎のいう「手法X」は、ソーシャル・ネットワークを駆使した新たな結論を作り上げる「集合知」がもっとも近いイメージ事ができるのではないだろうか?

インターネットサービスのユーザー数は日々更新されていて、Schooのユーザー数はオフィスのある渋谷区の人口を超えている。ユーザーファーストつまり、僕らはユーザーにとって良き隣人にならなければならない。隣人を選び排除するのではなくサービスにとっての良き隣人=アクティブユーザーを増やし、隣人との出会いの切っ掛けを作り群衆となり都市を変化させ続ける。

「君の哲学は何か?」

私がインターネットサービスのデザイナーという選択枠をとったのは、長い時間をかけて都市を作る行為のようであり、方や今いるユーザーに向けて小さなボタン1つに時間をかける。マクロとミクロの視点が共存した世界で隣人と付き合っていく手段だからである。隣人と出会い、そして、良き隣人となり、隣人との出会う切っ掛けとなるべくインターネットサービスで都市を作る。


ちなみにこのエントリーは Schoo Advent Calendar 2017 の1日目?でした

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