創一郎

浅草でグラスを削ったり売ったりワークショップしたりしてます

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最近の記事

Notionで作るコーピングリスト

適応障害去年適応障害を患って医者にかかった時に、コーピングという概念を教わった。 簡単に言えば自分が辛い時に少しでも気分を戻してくれるもののことで、例えば「温かいお茶を飲む」「深呼吸をする」など多岐に渡る。そしてこれは適応障害ではなく単に落ち込んだ時にも有効であり、リストにしておくと良いということだった。 しかしコーピングリストは真っ当に作ると数十個から百個にもなる。それをリストにして実際に見返すだろうか、と疑念を持っていた自分はこれまで作らずにいた。ただスマホ依存気味の

    • 腱鞘炎と生きた14年

      14歳から現在まで14年、人生の半分を腱鞘炎と生きてきた。 腱鞘炎という問題に振り回され続けたこれまでの人生がどのようなものであったか、一つの区切りとしてここに記しておく。 発症中学1年からドラムを始めて1年、文化祭前で練習に熱が入ってきたとき、手首が痛むことに気付いた。 病院に行っても、返ってくる答えは「手首を使わないこと」と湿布の勧めのみ。いくつかの病院を回って同じ答えをもらい続けるうちに解決を諦めてしまった14歳の自分が取った選択肢は、とりあえず湿布をして文化祭を

      • ダンスがみたい!新人シリーズ15

        1月5日、日暮里のd-倉庫にて。 9日間、毎回異なるチームや個人が作品を演じる内の1日。 目当てはジャグラーの小辻太一だったが、大塚郁実『It isn't a story about war.』が良かったのでこちらから振り返る。 印象的だったのは前半のシーンだ。 6人が体育座りで連なっている。最前と3番目がゆっくりと後ろへ頭をもたげる。緩慢な動きや薄いベージュのタイツがクレイアニメを思わせる。もたげた頭は後ろの2人の間に入り、するりと後転すると並びが入れ替わる。 意志あるダ

        • ながめくらしつ「心を置いて飛んでゆく」

          ジャグリングが他のジャンルのパフォーマンスと同居するとき、まず初めに勘案しなければならないのは両者の非対称性だ。ジャグラーの前で多様な姿を見せる道具たちが、他の人間の前ではあまりにも貧相になってしまう。反対に、豊かな身体を見せるダンスやアクロバットに対して、道具なしで晒されるジャグラーの身体は乏しい。 共通言語が存在しないのだ。必然的に両者はただ並び合うだけで会話をしないか、なんとか通じるいくつかの単語を以って話を広げるしかない。 ただこれはお互いの言語を尊重する場合に限る

        Notionで作るコーピングリスト

          Defracto "Flaque" 考察

          JJF海外ゲストとして招致されたカンパニーDefractoの今回の作品"Flaque"は、一見して一貫性のあるようには思えない作品であった。 それぞれのシーン同士の繋がりは薄く、ジャグリング公演でありながらボールを持たずに床に寝て踊ったり、転けるふりをし続けたりと突飛なシーンも見られた。 しかし、それでありながらこの作品は見心地のよいシーンの詰め合わせを超えたものに見える。行為そのものは突飛でありながら、この作品を作品たらしめる、本質とも言うべき一貫性があるように見えた。

          Defracto "Flaque" 考察

          頭と口旗揚げ公演 MONOLITH 所感

          MONOLITH所感という題を冠しているが、ここでは山村の「ネタオーレンに捧ぐ」についてのみ、また本作の意義を矮小化することを恐れずに、ドロップの価値転換の観点から述べることとする。 山村の演技は旗揚げ公演に相応しく、カンパニー頭と口の存在意義を表すものであった。 前半、たくさんのボールは無造作に散らばっている。その中で彼はジャグリングをするのだが、時折ボールと共に彼の身体も床へ落ちる。自身の身体をボールと対等の立場へ立たせているかのようだ。ジャグリングにおけるドロップ

          頭と口旗揚げ公演 MONOLITH 所感

          空転劇場 Vol.3 所感

          以下では勝手ながら幾人かの方々の名を連ねて評しているが、ここで書かれていることの一切は思想的な意味しかなく、作品の批評ではないことに留意されたい。 今回の空転劇場をひとつの観点から考えるにあたって、漠然としてしまうのを恐れずに、「自由」を主題として振り返ってみよう。無論空転劇場はひとつに取りまとめられた舞台ではないためひとつの主題において振り返ることに意味はない。しかしこの空転劇場はジャグリングにおける主要な人間が一堂に会する機会であったため、ここで「自由」の観点から語るこ

          空転劇場 Vol.3 所感

          イリヤプラスカフェにおけるセルフサービスについて

          浅草、蔵前、清澄白河など、下町では今カフェが増え続けている。今回はその中から代表してイリヤプラスカフェについて取り上げることとする。 ところでこれらのカフェだけではなく新しいカフェはそのほとんどがセルフサービスである。セルフカフェは店側としては経費削減となり、スターバックスを始めカフェの主流になっているのだから驚くことはない。 しかしここで主張されるのは、スターバックスで行われているセルフサービスとイリヤプラスで行われているセルフサービスが、同じ言葉で括られながら全く違う理

          イリヤプラスカフェにおけるセルフサービスについて

          Les beaux orages (qui nous étaient promis)

          Festival d'Avignonに続き2度目の鑑賞。 https://vimeo.com/collectifpetittravers/lesbeauxoragesfilm まずタイトルにある「雷雨」について、これがなにを意味するのかはわからなかった。雷鳴と稲妻は直接的に表されており、ボールの動きが雨に見えなくもないが、ではなぜ彼らは雷から逃げるのか。 また「約束された」という以上雷雨は最後の装置だと思っても、そこに雷雨らしき要素はない。 それ以外の点について考えよう。

          Les beaux orages (qui nous étaient promis)