混ぜる。
混ぜる。
にも
色々ある。
擦り混ぜる。
空気をいれて混ぜる。
真ん中だけ、混ぜる。
全体を混ぜる。
ゆっくりじっくり、混ぜる。
素早く混ぜる。
均一に混ぜる。
ザックリ混ぜる。
【混ぜる】
たかが3文字の
この言葉。
だけれども
色んな
目的
を
持った
動詞が含まれていて。
混ぜる の中に
それぞれの意味合いがある。
そして
その
意味合いを含んで混ぜた、
そのものの、
結果 は
全く違ったものが出来上がる。
同じ材料
同じオーブン でも。
これって
仕事 や
突き詰めて
言うならば
人生 にも
通ずることがあると思っている。
同じ
一日 や
同じ
出来事
同じ
仕事 でも
【どう考えどうありたいと思い、
どんな目的があって、行動するか】
で
結果は
変わってくるよね。
ただ、
混ぜる。だけの意味合い。
ただ、
生きる。
だけの意味合い。
で
過ごしちゃうのは
ゴールがなくって
結局、
自分の心は
表現するお菓子は
ふわふわ しちゃう。
と。
目的が先で
手段は後から足していく。
目的にあった
手段を選んでいく。
仕事は手段。
その仕事を通して
その先に何を目的として
その先に自分はどうありたいか。
どう生きて生きたいか を
最後はどんな経験をし
どんな自分であったな、と
目的を果たして死んで生きたい。
たぶん
そこを
明確にしないから
迷う。
迷子になる。
人には
その人だけの
可能性がある。
だから
自分を信じて
感じて
考え
向き合い
行動しよう。
それでも
思ってたんと違う。
は
必ずでてくる。
けれども
それは
試されている
それでも
あなたはそうありたいか?と
そして
何か違う方向に進んでるよ
と
うまくいかない、と自分が思ってしまう時は
そんなこともを教えてくれている、と思うから
また、自分を信じ直して
楽しく あろう。とすること
を選んで進んで生きたい。
。
ツイッターにね、
【私は
自分の菓子を焼きたかった。
自分が感じる表現で焼きたかった。
そしたらもっと食べ手に
寄り添えると思ってた。
それが目的で
菓子を仕事としていた。
その目的(欲求)が大きくなって
自分の店を去年始めた。
けれど菓子屋をやることだけを
目的にしちゃいけない。
菓子を作ること
菓子を売ること
それは
本当の
人生の目的ではない。
それは
人生の目的の
手段の一つ。
いつしか
手段が目的に。
でも
この
菓子という、
私にしか焼けない表現や手段は
確かにあって。
この手段を
うまく
人生の目的の
道へと続く、
手段へ
と
調和させてあげたい。】
と昨日書いたんです。
最近、頭の中で考えていることです。
引っ越しせざるおえない状況で
菓子屋を始めた9ヶ月前は
こんなこと決まってもいなかった。
もちろん
店、厨房も今の場所ではできません。
さて。
どうするか。
菓子屋について
これからどうあろうか。
悩んでいた時期に
引っ越しが重なるわけです。
そぼくな。はやっぱり辞めたくないんよね。
けれど菓子屋の形。
それから
私の人生の方向性や目的は
もう少し自分の中に探って生きたくって
表現(手段)の仕方を変えていきたいと
思っている。
小さいなりに
ネット販売だけの店やけども
店だして9ヶ月で次の行き先
(現実も在り方も)
考えなくちゃいけない、
もうなんなんやろ。
と
思うし
有難い機会だともちょっと思っている。
さらに
自分の人生をどうありたいか。を
考える機会を頂いている。
けれども
逆に
はい、どうぞ。と
行きたいところ行ってもいいよ。と
白紙を渡されたら
どうしよ。ってなる自分もいてる。
私が選択したことで
また子ども達を巻き込むのか
またこんな壁にあたっちゃうのか?とか
考える。
それでも自分を信じて進むことを選ぶんだ。
間違ってたら何かが止めてくれる。
きっと。
どうありたいか。
菓子では表現できるのに
菓子に依存して
自分はどうありたいか と
自分の人生を作り出すことに
目をそむけてたから
今、やっと目の前に
やってきたんやな、って思う。
さ、
今日もどうありたいか。
自問しながら生きたいと思います。
#そぼくな 。の
菓子のように
自分はこうありたい から
自分の生き方、
在り方を
表現できる
一生にしたい、と
思うから。
読んでくれてありがとう!
#焼き菓子屋 そぼくな。
ゆ季
#人生とは
#とは
#菓子とは
#在り方
#引っ越し
#暮らし
#菓子の表現
#人生の表現
#生きるとは
いつも、ありがとうございます。