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年々「死」について考えるようになった。


こんにちは。
相当暑くなってきましたね。シャワー後に水を浴びても問題ないような気分です。

表題の通りです。
年々、死について考えるようになりました(まだ30歳にもなってませんが)。
平均年齢80歳といえども、1分1秒と確実にその時に近付いているのは言うまでもなく、昨今の無関係の人間が無慈悲に命を落とすニュース等は、自分がたまたまラッキーで今を生きていると教えてくれているようなものです。

「死」をどう考えているか、
①死後の世界とはどんなところか?(輪廻転生的な)
②自分が死んだらどうなるのか?(当然に明日が訪れる)
③死を考えると日常生活がどう変化するのか?(ほとんど何も変わらない)

では①から。
死後の世界なんて行ったことないんだから知る由もありません。
これだけネットが発達して、グーグルが先生と呼ばれても、siriちゃんが優秀だと言っても、誰もわからないのです。
三途の川説が非常に私の中でしっくりする概念で、渡るともう二度と現世に戻れない。その先は天国と地獄に分かれていて、どちらに分かれるかは神のみぞ知るというところでしょうか?

次、②。
当然ですが、自分が死んでも、同じように時計の針は進みます。
夜が来て朝が来て、また夜が来ます。
自分がこの世から存在しなくなっても、
そもそも、元からいたのか、いなかったのか?という程度の存在感で今を生きてますので、別に心配する必要もなくなりました。

ラスト③。
時々、「明日死ぬとわかったらどうしますか?」と言った質問を見たり聞いたりしますが、私はいつも通りに糞して寝るだけの人間です。
いきなりイングランドにプレミアリーグを見に行くような行動力もありません。
もっとメリハリがある生活をしなきゃなと思うのですが、これ以上老体に鞭を打つのは辛いです。

長生きはしたくない。
生きてる理由なんてない。だけど死ぬこともない。こうして今日をやり過ごしてる~♬(ミスチルの未来)」

※※※ 追記 ※※※
大事なことを書き忘れてました。
そもそもなぜ「死」についてnoteを書こうかと思ったと言いますと、
先日NHKで放送されたとある2つの番組のせいなんですね。

プロフェッショナル 仕事の流儀▽亡き人を悼み、魂をおくる~納棺師・木村光希
2019年5月28日(火) 午後10時30分(50分)


彼女は安楽死を選んだ
2019年6月2日(日) 午後9時00分~9時49分


ツイッターとかでも相当騒ぎになってましたので、見られた方も多いのかなぁと思います。

上記のプロフェッショナルという番組は、「The 仕事人!」という方にフィーチャーし、その仕事について色々と紹介していきます。
一番印象的だったのは、同じく納棺師の仕事をしていた父親から、仕事について何も教えてもらえなかったことだ、と述べていたシーンです。
父親のしてる仕事って存在が身近なだけあって、興味関心の対象になりやすいというか、「自慢のお父さん」をよく表すものですよね。
にも関わらずそれがなかったのは相当悔しかったのではないでしょうか?
今でこそ素晴らしい仕事として敬意を持たれると思いますが、
昔はさぞかし忌み嫌われていたのだと感じました。

次の安楽死についてです。
私は気持ちの面ではさっさと安楽死を認めるべきだと思いますが、
法律の点、倫理モラルの点など問題点が山積みなのも分かります。
しかし、安楽死が認められれば、悲惨な自殺も減らすことができるのではないかとも思います。
自殺ほど悲しい別れはありません(もちろん私も死にたいと思ったことは何度もあります)。
この番組ではスイスで安楽死を選んだとある女性が出演します。
彼女は死ぬための点滴薬を投与する前、何度も幸せだったと姉妹の方に伝えていました。そして、自分の意志でその点滴薬を投与しました。
その後ものの15秒程度で、医者による死亡確認がなされました。

生とは?
死とは?
非常に重いテーマですが、誰もが直面するこの問題について、色々と考えざるを得ませんでした。

以上です。

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