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【炎上とバズの境界線】嫌われる悪口と、許される悪口

みなさん、どうも。ガイアックスの重枝です。

ガイアックス ソーシャルメディアマーケティング事業部部長 重枝重枝

とあるYouTube動画が燃えています。

炎上を受けて動画は既に非公開化されていますが、Xではそのコピーが既に拡散されている他、FNNプライムオンライン などマスメディアにも取り上げられる事態になっており、今でも拡散し続けています。
https://www.youtube.com/watch?v=KU2VAKJNmco

批判の投稿は数多く上がっているのですが、それらの主旨は基本的に、「自らを持ち上げるために、他者を揶揄するのはいかがなものか」というものです。

日本の風土では比較広告が馴染まないとはよく言われることです。なので、比較するにしても、自社の従来品(サービス)を対象にしているものが多いという実情があります。

これは謙虚さを尊ぶ日本文化が影響していると考えられます。つまり、褒められても、そんなことありませんよと否定してへりくだる、勝ってもガッツポーズなど控え喜びを隠すことを美徳する文化があるということで、他者を蔑んで自己を持ち上げるなど、その真逆、つまり悪徳の極みということになるのでしょう。

もちろん日本のSNSにも、海外のそれと同じように、他者を引きずり下ろすコンテンツが溢れています。日本人だけが例外的にそれらを嫌いなわけではありませんし、むしろ好きでしょう。

ただ、そこに自慢や自己賞賛が合わさると悪口を楽しんでいた人たちも途端に引き出す、あるいは反目に回るというのが、日本に顕著な傾向だと言えるでしょう。

しかし、そのような弊害を上手に避けて、悪口を有効に使うことも可能です。悪口合戦をエンターテインメントとしてやっているという了解があれば、日本人は安心して悪口を楽しむのです。そのお手本のような事例が、NetflixとTinderがコラボした屋外広告でしょう。

その詳細は下記のねとらぼの記事をご参照いただきたいのですが、悪口もこのようにお決まりのエンターテイメントとして行えば、SNSで好意的な拡散を得られるのです。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2202/18/news099.html

ネガティブな表現は、用い方で毒にも薬にもなります。その境界線は、自分を持ち上げているかいないか、あるいはちゃんとエンターテイメントになっているかどうかだと言えます。