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「星降る夜に」からコミュニケーションを紐解いてみる③手話を学ぶとは?

ドラマも佳境に入ってきましたね。
ムロツヨシさんの怪演が際立っていますが、
皆さんはどうご覧になっていますか?

ドラマを見て
「私も手話を覚えたいな」
と思った方もいるのではないでしょうか?

今回は一星のそばで手話を習得した
”春”に着目してみたいと思います。

ろう者に本音をぶつけられる?

「もしお前みたいに、耳の聞こえない子供が生まれて来たら、抱えきれない」

「星降る夜に」第四話より

ろう者である一星に対して
「俺はお前のように明るく生きられないし、
聞こえない子供なんて抱えきれない」
と感情をぶつける春。

感情的になるなんて子供みたい?
相手を傷つけるような言い方してひどい?

私は、
「あぁ、春は一星と「ろう者」だけでなく「人」として向き合っているんだな」
と思いました。

社会人になって、
他人に感情のままに思いを
ぶつけることって少ないですよね?
(私はあまりないです(笑))

ましてや、ろう者に対して、
感情を吐露できたり、
本音が言える聴者は
もっと少ないと思うから。

なぜか?
手話を学ぶということは、
言葉を覚えるだけではない
から。

もう少し説明を加えます。

聴者は、手話を学びながら、
ろう者の生活も知っていきます。

そして、世の中が聴者にとって便利に設計されていること。

その一方で、ろう者が強いられている不便さや理不尽さ。

自分が当たり前に生きてきた社会の中で
彼らが「弱者」にならざるを得ないことを
目の当たりにします。

「不憫だな」
「助けてあげたい」

聴者の想いも人それぞれ。
関わってるろう者だって人それぞれ。
善し悪しはなく、どの想いも自然なこと。

ただ、そこから相手に
感情を吐露できたり
本音をぶつけられるだろうか?

「もっとこうしてほしい。」
「それは間違っているよ。」
「私はあなたと考え方が違うよ。」

どうやって伝える?
それとも伝えない?相手に合わせる?

つまり
手話を学ぶということは、
音のない世界で生きる人たちに
思いを馳せ、向き合い、
自分なりに解釈をしていく過程

なのだと思います。

(だから面白い。と私は思ってます)

春だって、ポラリスの同僚たちだって、
一星とどう向き合ったらいいんだろう?
どこまで意見を伝えていいんだろう?
と初めは思ったはず。

そこからどうして、本音をぶつけあえる
関係になれたんでしょう?

その考察はまた次回。


いや、本音をぶつけることが正解って、当たり屋みたいな話をしたいわけじゃないのです。









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