呪縛は地獄の気付け薬

中学時代の猛勉強、高専入学、上京就職、海外赴任。これは中学時代に決意した「脱獄」のシナリオだったのだ。中学時代の家庭の呪縛から逃れたくて、脱獄達成に必死になった結果だったのだ。中学以前の家庭の出来事の記憶が無いのは、記憶したくない悪夢だったのだ。トラウマに気づいた。

何をしても信用されていない不安感、常に監視下に居るような閉塞感。親の顔色を見ないつもりで行動しても、常に心の何処かで、親を怒らせないように、という判断軸を排することが出来ない。嫌われることを恐れるのではない、怒られる場面の地獄のような痛みを恐れていた。

高専入学後、寄宿舎で生活。1年生から5年生まで1つ屋根の下に暮らす。上下関係が厳しく封建的なコミュニティでは先輩からの圧力は厳しかったが、母親からの圧力に比べたら楽。母親の謎の呪縛は精神が病むが、寮の序列は理解しやすく、自分が自分で居られた。精神の解放を得た。次は経済的な解放。

中学卒業後5年で高専卒業し上京就職。海外赴任への最短ルート。地理的にも経済的にも親から解放された。親との繋がりを絶ちたかった俺は仕送りなどしない。夜な夜な遊んでいたのは、愉悦に溺れていたというよりも、自分を探し求めていたのかもしれない。今はそう思う。

就職後、海外赴任を訴え続け、英語を使って海外と交信する役に就く。訪日外国人との交流が増えて、海外赴任が実現するも、1年限定のNY。ここでも自分探しで夜な夜な遊んでいた。自分が美しいと思うこと、自分が楽しいと思う時空間を少しづつ理解していった。

帰国後、長期の海外赴任を目指して、専門性を高めるべく手元の業務に専念した。誰よりも努力し、誰よりも結果を出す。いつでも誰にでも手元の仕事を引き継げるように常に準備は怠らなかった。その成果あってドイツ赴任が決まった。

ドイツは邦人の同僚が少なく、ドイツ人との交流が多かった。ドイツ語を少しづつ身に付け、英語を駆使して、多くの文化と直接触れることができた。おかげで大いに自分の日本人らしさを自覚することができた。それも1年半で終えて、次は隣国オランダに赴任することになった。

オランダでは畑違いの部署に異動したが、そこでも精一杯務めた。空いた時間に、現地の文化に触れることと、日本の状況を俯瞰するように研究していたのは、自分が本当に遣りたい仕事、自分の天職は何なのか見出すため。中学時代の目標は達成できた。次の人生は生き甲斐で社会貢献したかった

帰国直後に17年務めた会社を退職し、縁のない雪国で、自分が日本国に貢献する手段として選んだ仕事に就いた。未知の分野は苦労が多い。同僚から敬遠されたり、不況の煽りで解雇されたり、自分の実力の無さを思い知らされていた。そんな頃に東日本大震災が起きた。復興の様子から日本再生の予感がした

日本に必要なものをゼロから創るために絶好の場所として故郷仙台に戻った。しかし何をするのか当てもないモラトリアム期間。実家で過ごした数週間で、母親から「父親に似ていて嫌だ」と暴言を吐かれた。俺にはどうしようもない遺伝を罵倒される。これだ。地獄を思い出して、家を出た。

40過ぎてモラトリアム期間。謎な人間は、好奇心旺盛な人が集うゲストハウスではウケが良い。自分の居場所を地獄の実家から、自分が自分で居られる空間に直ぐに移せたのは嗅覚が養われていた証拠かもしれない。読書や研修で自己研鑽を積んで、次の道筋を見出すことができた。

社会貢献に盛んな会社を創って、嫁と一緒に働こう。その目標に向けて、働きながら勉学に励んだり、導かれるように県庁職員になったり、NPOの中間支援組織や起業家支援団体で働いた。仕事では足踏み状態が続いたが、芸術活動や障害者支援活動に触れて、格差社会解消の舞台を予感していた。

その間に関わった障害者支援団体で副理事長に就いた。時ほぼ同じくして、また無職となった。団体に貢献しようと団体運営を深掘りし始めた。すると障害者を支援する業務と裏腹に、支援者のエゴが見え始めた。格差社会の構造は、底辺をミクロで見ても存在していた。弱者がさらなる弱者を食い物にしていた。

正義心に火がついて、団体を根底から改革した。無駄な支出を減らし、業務の効率化を推進し、目指すべく志を整え、最後には創業者一族を排除した。しかし成果は出ていない。構成員と志を共有していないのか、原因は多数あるのかわからないが組織基盤の整備は終わらない。格差社会解消はまだ遠い。

もがくほど人間関係は崩れる。表面だけの謝罪、偽りの信頼関係、そういう不誠実は残っている。幸いなのが誠実で実力のある仲間が増えたこと。彼らが行動を起こすことで自分の行動が特異なものではなくなっていく。しかしそれが職員間格差を生んだ。その原因は反抗心だと勘違いしていたと後に知った。

理想とする団体を持って、その運営方法を模範に、組織を整えてきたが、モデル組織は言葉で統制を取る体制。自分は模範を行動で示すタイプ。どうやら自分には相応しくないようだ。自分のポジショニングが相応しくないから、職員には地獄を味わわせてしまった。組織内不和の元凶は俺だった。

全員が自分らしく居ることを許して、職員の精神を安定させる。自分らしさを見つけて、全員が自分らしさを愛するような環境を作る。全員が生きがいとなる天職探しを手伝う。全員が、この職場に関わったことを人生の誇りに出来るように、研鑽と勤労と交流の楽しみを得られる職場にする。2020年はこれだ。

つまり「いつまでも働きたい環境づくり」、これが今年の目標だ。
思い返すと、自分の成長は母親からの脱獄がきっかけ。脱獄を夢見て猛勉強し、希望の学校と会社に入った。自分らしさを探し出し、信じて邁進して今ここに居る。母親がいなかったら目標はなかっただろうし、叶えようとする情熱は20年も燃え続けなかっただろう。呪縛は自己成長の気付け薬だったのか。

感謝はするけど、もうたくさんだ。

あれに耐えられるほど若くない。

地獄は記憶の妨げ。中学までの幼少時間は取り戻せない。その分、今後の人生は記憶してゆきたい。楽しいことを記憶して、死に際で思い出して、ほくそ笑みながら天に召したい。


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