写真2

mixiで付いた傷はnoteで回復するのか?

僕らがいたというマンガの中で、矢野は、


「倒れた花や木はちゃんと起き上がるよ
 日の光を向いて
 枯れない限り

 たくましいもんさ

 けどね
 倒れた跡は残るんだ
 立ち上がるけど
 折れて曲がった部分は元に戻らない
 ちぎれた葉っぱはそのまま成長して
 折れた枝は折れた部分を残して新しい枝を出す

 倒れないで真っすぐ成長できた鉢の花のほうがずっときれいなんだ

 傷は癒えても跡は残る。」
 

と言っていた。(冒頭に引用するにしちゃなげえよ!笑)

僕が、このnoteというサービスを見てすぐ思った事は、

そして何日か経っても変わらずに思う事は、

mixiの初期の頃の静かな熱狂に似ているな、という事だった。

理由はいくつかあるのだけれど、まず一つは、このテキストを書く部分が、書きたくなるようなインターフェイスだな、って事。"文章を書きたくなる"って部分が、なんとなくmixi日記に対して持っていた印象と似ている。

これはなんとなく、だけれど、日本製の日本向けサービス、っていう事が大きな要素のひとつなんじゃないかな、って思ってる。 そして、知らない人でもコメントを付けやすそうな雰囲気、という部分も。

僕はTwitterにもFacebookにもあまり愛着を持てなかったけれど、このnoteというサービスには、なんとなく愛着が持てそうな気がした。

Twitterみたいに短い文章を沢山書く事は割と苦手だし、Facebookみたいに実世界で会った人としか繋がりづらいっていう空気も苦手。
そしてどちらも、文章を入力するスペースが狭苦しくてあまり美しくないから。

それにたぶん、愛着が持てそうなのは、noteにおける繋がる動機が「好きなもの」だからじゃないかな、って思ってる。

そしてTwitterもFacebookも、世の中の記事たちもみんな、文章を短くする事を求められる方向なのに対して、noteはそういう部分が見えない事も好もしい事のひとつ。

文章の力、言葉の力、強さ、みたいなものを十分に知っている方だからこそ、こういうサービスになったんだろうなあ、と想像してる。

そんな諸々もあって、僕には、mixiが好きだった頃と、なんとなく重ね合わさって見えた。 (色々な人のnoteのアカウントを見たけど、意外と、mixiについて言及してる人は見つけられなかった)

そこでもうひとつ思った事は

多くの人にとって、mixiがたぶん、「沢山のログを残したデジタルサービスが、いつかうしなわれてしまうんじゃないか、という傷」を、最初に残した存在だったんじゃないか、という事。

いや、多くの人にとって、かは分からないか。

少なくとも、僕にとっては。 (まるで、別れる事なんて想像もしない、初めての彼女の時のように!)

もちろんね、mixiというサービス自体はうしなわれてはいないよね。

でも、何かが生まれそうだったあの頃の熱はもう残っていないし、すごく単純に言えば、アクティブな人たちが少なくなってしまった。

デジタルサービスに何かを残していくかどうか決める事は、そのサービスの存続性にかかっている。

もちろん、ログを取っておく事は可能だろう。

だけど、インターフェイスやコメントなんかも含めたものが全て、"自分が残したコンテンツ"に含まれるんだと僕は思うから、単なるバックアップでは価値が薄れてしまう。

セカンドライフを見ても、mixiを見ても、Plannarも(僕はPlannarというサービスは結構好きだった、けどサービス自体終了してしまった。あの写真たちはどこにいったのだろう)、その他色々なサービスを見てきた僕たちは、アクティブな人たちが増え続けるサービスなんてたぶん存在しない事も、ユーザーの熱がうしなわれたサービスの寂しさ、みたいなものも、もう十分に知っている。 (そして恋がいつしか終わってしまう事、も知ってしまっている!)

だから、なんとなく。

このnoteというサービスは、

折れた枝が折れた部分を残して新しい枝を出し始めた、

状態なのかもしれないな、って、少し思った。


僕は、noteが始まったその日にアカウントを取ったものの数日間、はっきり言ってしまえば、様子を見て、いた。

そして、忙しくてゆっくり文章を書いている時間も無かった。


でも、思い出してみると、あの頃もそうだった。

やらなくちゃいけない事が山積みの中で、寝る間を惜しんで、mixi日記を書いた。

今も、そして明日も明後日も、やらなくてはならない事が山積みなのはきっとそうそう変わらないだろう。

でも、これを書いてしまって、いる。

たぶんそういう事なんだろう、と思った。 (だから今僕に何かをお願いしている人、怒らないでね)

そういう事を差し置いてでも、文章を書きたくなってしまうような何か、熱を感じられるようなもの、がないと、とてもデジタルサービスに大事なコンテンツを預けていくなんて事は出来やしない。

苦手と言えど、TwitterアカウントもFacebookアカウントも2つずつ使っているし、アメブロもライブドアブログもスポーツナビブログも1つ2つは記事を書いた。wordpressで作ったブログだって持っている。

それでも、僕がこんなに長文の文章を書いたのは、もしかしたらmixi日記に書いていた頃以来、かもしれない。


そう思ったら最後には、さっき書いた、

折れた枝が折れた部分を残して新しい枝を出し始めた、

というフェーズはもしかしてちょうど過ぎ去って、

同じ鉢植えから新しい芽が生えてきた、

頃なのかもしれないな、と思い直したのでした。


だから、noteというサービスが、更に大きな、きれいな花を咲かせるように祈りながら、この長い文章を終えようと思います。





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