見出し画像

2023.9.16

綺麗に整理整頓された高級焼肉弁当。とあるイベントの日に頂いた。厳重な外箱を開けると更に内箱がある。厳かに包まれた食材は、肉も野菜も皆丸々と肥えていて、見事な比率で区画整理されたそれぞれの部屋に、ぎゅうぎゅうと押し詰められている。おまけに食後のブレスケアまで付いていた。

「こんなの食えない」

滅多に食べられないせっかくのご馳走を前に、箸が持てない。見てるだけで肩が凝った。もっとぐちゃっと、乱雑に盛られたいつものご飯が無性に食べたい。これは自分ある程度キテるなと自覚する。


や、キテる話なんてし出したらキリがない。この歳になってもまだまだ軟弱な僕は、HPはフルでも5。まだ最初の草むら。何回闘えばその敵倒せるのってくらい同じ相手と闘っている。ポケセンはどこ?ふしぎなアメはどこ?

毎日、何かしらの刺激に焼かれ続けている。人間関係、仕事の政治、電車内の腹立つ広告、SNSの見たくも無い投稿、いらんテレビのニュース、雑音、雑念、の脳内で雑踏を歩く。泥だらけの心で帰宅し、シャワーで汚れを洗い流し(たまにシャワーは精神をキレイにするために存在してるんじゃないかと錯覚する)、深海に沈むようにベッドへ落ちる。いい加減うんざりだと思う。
しかし困ったことに、僕はそんな様々な刺激を浴びないと、"暇"だと感じる生き物になってしまっていた。

たまに、平穏が訪れることがある。先に書いておくと、僕の日々は基本的に何かしら問題の渦中にある。問題の大きさは大小様々であるが、江戸川コナンばりの問題(ある種の刺激)遭遇率で、平穏な生活はなかなか訪れない。常に何かしらに追われている。

そんな中で、ある日突然平穏がやって来る。睡眠に入る前の瞑想中に、「あれ?今割と抱えてる問題がない。割と今順調かもしれない。しばらく大変な予定も無い」ってなる。すると、次の日の朝、小鳥の鳴いている声で目を覚ます。窓を開けると心地よい風でカーテンが揺れ、外は青い空がどこまでも続いていることを察する。ベランダに出て、長いこと放置されて雨水をたくさん吸ったガビガビのアウトドアチェアにどかっと座り、コーヒーを飲みながらタバコを吸う。タバコが美味しい。目の前の草木がいつもより色鮮やかに見え、運が良ければ近所の野良猫がそこを通ったりする。余計な雑念が無いと空気も美味しい。どこからどう見ても、至福のひと時。予定も無い。何をするのも自由。最高の休日だ。
って、本来なるはず。しかし、僕が出会うのは、圧倒的退屈。何なら憂鬱。何なら絶望。小鳥が鳴く代わりに寂しさが鳴き始める。こんな日を求めていたはずなのに、自分どうしてしまったんだろう。ってなる。


“刺激”を、愛してしまっている。洗濯機に汚れた衣服をたくさん入れて、一気にぶん回すあの時の感覚と似ていて、僕は僕を掻き回して洗いたいのだ。容量オーバー手前まで刺激をインストールして、ディスククリーンアップをしたい。そうする事で、浄化されていく感覚があり、よりハイスペックなバージョンでサクサク世界をネットサーフィンできるようにしているのだ。これは恐らく、生きてきて形成された門田の防衛本能。今後襲って来る絶望的刺激に打ち勝つために、自ら刺激に飛び込んでいるんだと思う。なんてことだ。ミイラ取りがミイラになった。ミイラを倒すためにピラミッドへ突入してたのに、自分がミイラになって平穏に嫌われてしまった。

うんざりだ。ジェダイになりたい。僕がフォースを操れる時は来るのだろうか。フォースとはスターウォーズ曰く、生きとし生けるものの中に流れるエネルギー。誰の周りにも存在していて、銀河系と生命を繋ぐエネルギーの場所らしい。僕は、フォースってありそうだなと思っている。そしてきっと、フォースは平穏の中にある安らぎから力を得る。想像だけど。例えばヨガみたいに。木々を感じ、命を感じ、世界を感じるみたいに。いつか歳を取ったら「嵐が来る、、、」とか予言できる白髭を蓄えた長老のように、僕はなってみたい。なってみたい。かも。

でもせめて、システマチックな高級焼肉弁当の食材一つ一つに、ストレスでなく、本気で敬意を感じられるようになりたい。いただきますもごちそうさまも必ず言うようにしてるけれど、あいつとはまだ当分仲良くなれないみたいだ。挨拶から変えた方がいいかもしれない。いただきますじゃなくて、「ちっす」とか「よう!兄弟」とか「電子レンジの中ってやっぱしんどいすか?」とか。

親友が、モノが多い雑多な僕の部屋を見て、「落ち着くわ」と言った。わかる。彼も同じタイプだ。僕みたいな刺激洗濯機ミイラにはチルが必要で、雑多な部屋は日々の刺激を彷彿とし、心を満たす。でもいつか、ミニマリストみたいな、机と椅子と植木一つしかないような部屋に住むからね。それでも遊びに来てね。

フォースと共にあらんことを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?