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2023.5.6

何か書きたい。定期的にこの衝動に駆られる。から書きたい時に日記を書いてみることにする。やめちゃうかもしれないけど。昔から文字を紡ぐのが好きだ。会話がそんなに上手じゃないからかもしれない。今喫茶店でこれを書いている。

アイスココアが来た。ジッポでタバコに火をつける。何だか洒落た文章が書きたい気分だが、そんなん書けないことを知っている。うんこうんこ。アイスココアへガムシロップどばどば。生クリームうんまいペロペロ。(生クリームのカタチがうんこと掛かってたり掛かってなかったり)

今日は風が強かった。風が強いとワクワクしませんか?台風の日、豪雨の日、冒険に出かけたくなる。猫に出会うとついて行きたくなるし、雪が降ったら新規の足跡をつけに行く。

ずっと、少年の心が消えない。28歳なんていい歳なはずだけど、割と少年のままだ。小さい頃ずっと1人で遊んでいられた。今はあの頃よりも楽しむ幅が拡がって、精神が拡がって、逆により少年に近づいていっている気がする。じいちゃんばあちゃんが無邪気で可愛かったりするのはそのせいかな?未来永劫、この先襲ってくる絶望にも耐え抜いて、少年に近づいていけたら、それは自分らしさを失わないってことなのかな?

最近、菊池成孔の粋な夜電波を初めて聴いた。youtubeにあがっているものを聴き漁っていて、【神々が作った季節】という有名な回で「あらゆる音楽の響きの中には、未来から循環的に逆行して届くメッセージが含まれている」と言っていた。
昨日、ロロという劇団のBGMという舞台を観劇した。登場人物の中の少年(聞こえるという名前の役)は、作中で10年経っても少年のままで「10年経ったら小学校を卒業してるとは思うなよ?」と相手役を煽っていた。ロロは観客を強烈なノスタルジーで包むだけではなく、はっきりとそこに未来を描いていた。

昔から懐かしいという感情に浸ることが、好きだけど苦手。寂しくて死にたくなる。これを僕は寂死ぬ(さみしぬ)って言ってる。でも、例えばあの思い出たちが自分の作品だったとして。あらゆるノスタルジーが、映画や本や音楽や舞台や漫画だったとして。だとすると、そこには僕が少年になっていく、或いは戻っていく過程への道筋が標されているのかもしれない。初心に戻るなんてよく言うけど、そこに自分の好きと未来があるのかもしれない。だとしたら、懐かしいは怖くないな。

とか、考えた。

明日も2公演。舞台で少年の役を演じている。これが、何かに繋がっていくと信じて。誰かと僕の未来。

日記でした。

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