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好きがこだわりに変わる時

何故、自分に彼女ができないのか、考えていた。

「こだわりが強すぎるんだよ」

友達は、そう言った。

その友達によると、こだわりが強すぎると、彼女ができないらしい。
僕は、こだわりが強いらしい。
だから、僕は彼女ができないらしい。

例えば、僕は目が細くて、悪そうな顔をした女性が好みだ。洋楽が好きで、ロックが好きなら、なお良い。
例えば、嫌いな食べ物が少ない女性は素敵だと思う。食の選択肢は、広いに越したことはないと思う。
例えば、放置プレイが良い。お互いに依存するのではなく、パートナーみたいな関係が理想だ。

でも、これはこだわりなのだろうか?

だって例えば、今まで付き合って来た女性は、ほぼ全員、目がぱっちり二重だったし、
例えば、ベジタリアンと付き合って、便秘が治ったこともあったし、
例えば、メンがヘラっていた人に愛を誓ったこともある。
全くこだわれてない。

というか、それ以前に、なんて上から目線な考え方なんだ。
何様のつもりなのだろうか。こだわりだなんだ言う前に、自分が選ぶ側の視点に立っていることが、問題なのではないか?相手がジャバ・ザ・ハットでも、両手を広げて抱きしめるべきなのではないか?
そして、なんだこの文章は。無駄な改行ばかりしまくって。詩人のつもりか?相田みつをのつもりか?「こだわるもん、人間だもの」ってか?ああん???



自立したことが大きいと思う。
自立するまでは、基本的に学校という組織に所属して、家という屋根の下で生きていた。たまに訪れる濃密な自由は、写真に現像されない限り、泡が弾けるようにパチンと音を立てて、跡形もなく消えてしまっていた。
しかし、自立してから、平日のすべてを易々と会社に捧げた結果、週末という48時間の圧倒的な自由を手に入れた。

48時間。
この自由には、圧倒された。1ミリの濁りもない自由。
このベッドも、このテレビも、すべて自分の時間の上に成り立っている。
その気になれば、今来ている服を脱いで、裸で踊り出しても良い。
その気になれば、あそこに置いてあるテレビを叩き割っても良い。
その気になれば、朝8時からビールを飲んで、昼寝したっていい。
法律さえ侵さなければ、この48時間は何をしたっていいのだ。誰にも何も言われる筋合いはないのだ。フォレスト・ガンプのように、どこまで走って行ってしまいたい気分になる。

でも、走れなかった。
だって、週末の48時間のために、頭を下げて冷凍パスタを食べて生きていたはずが、いざその時間がやってくると、自分がなにをしたいか分からず、困惑することになったからだ。
「なにしてもいいよ」と言われると、なにをしたらいいか分からなくなる。
「皮肉と憐憫は、ふたりのよい助言者である」とは、よく言ったものだ。

次第に、圧倒的な自由を生き抜くために、ひとつの判断基準ができた。
好きであるかという、主観的な基準だった。
好きなものを食べる。好きな時間に起きる。好きなことをする。好きな音楽を聴く。好きな映画を見る。好きな人とお酒を飲む。
全ての決定権は自分にある。「これぞ自由だ!」と思った。スーパーサイヤ人のように叫びたくなった。

2年くらいして、飽きた。
好きな食べ物も、好きな時間に起きることも、好きなことも、好きな音楽も、好きな映画も、好きな人にも飽きた。
飽きて、安心感だけが残った。これを食べておけば間違いない、的な。

冒険心が湧いた。
街の外れまで行って、食べたことのないものを食べよう。めっちゃ朝早く起きて、ランニングしてみよう。口コミを見ないまま、映画を借りてみよう。

失敗に出会った。
食べログで評価の高かったあの担々麺のお店は、全く美味しくなかった。東京はどこも車が多すぎて、ランニングにならない。ラスト5分でYou Tubeを見始めてしまうくらい、つまらない映画に出会った。

このあたりから、こだわりが顔を見せ始める。
何かを選ぶ時に、できるだけ失敗しないよう、自分を少しでも納得させるために、僅かな違いを大切にするようになり始めた。
「お昼は担々麺を食べようか、いや、でもカレーの方が良い。何故なら、私は今、健康志向だからだ。カレーなら、あの店とあっちの店のどちらだ?あっちの店のが美味しいが、48時間を効率的に過ごすのなら、カフェの途中にある、あの店の方が都合が良いのではないか。しかしそれだと、」

こだわったことで幸せな気持ちになると、その複雑な方程式が立証される。
「僕は正しかったんだ」
経験に裏打ちされて、ひとつの考え方が確立される。

応用が始まる。
ここの方程式を、あそこでも使えないだろうか?だって、あの時のこだわりが良い結果を出したから、全く同じ事象ではないにせよ、この部分は応用できるはず・・・

気づいた頃には、抽象的になりすぎて、主観ですらロジックの立っていない、「=」のない長い方程式があった。
繋がっていそうで繋がっていない経験の数々は、これまでの「48時間」のすべてが、無駄だったと思わせる。




****

ここまで読んでくれる人なんて、2〜3人だと思うので、そろそろ真面目な話を。
「最初から真面目な話をすれば良いのに」と思うかもしれないが、それが出来ない性分なのは、ここまで読んでくれてよくわかったと思うので、ご容赦を。


最近、不条理をよく目の当たりにする。
「この世界はポップでカラフルだ!!」なんて思ったことはないけれど、最近、あまりにも僕の世界に不条理が介入してくる。

上司が会社に来れなくなった。
精神的にも、身体的にも、ドクターストップがかかったとのこと。今年に入ってからたまに会社を休むようになり、その回数は次第に増え、1ヶ月の休養を経て、追加で2ヶ月の休養になった。偉い人に問い合わせても、理由は詳しく教えてくれなかった。

新卒の時からの上司だった。社会人のイロハは、すべてその人から教えてもらった。僕にとって、感謝してもしきれない人だ。

入社してから4年以上ずっと、東京オリンピック・パラリンピックに関わる仕事をしてきている。もちろん、その上司と一緒に。今このタイミングで2ヶ月の休養となると、大会が始まる時に、その上司は現場に戻っていないことになる。

一方で、オリパラは、よく分からない方向に進んでいる。
女性軽視発言が問題になり、辞職へ追い込まれたおじさん。
緊急事態宣言中の、聖火リレー。
遠い国に住むおじさんに「犠牲が必要」と言われた後に、声高々にG7で開催の決意表明をする首相。
国民にお願いされる、大会期間中のテレワーク。


結果、この国に、失望しきってしまった。疲労感すら覚えるほどに、失望しきった。
「あぁ、この国は本当にクソなんだな」と思うようになった。

バブルなんて神話と同じくらい昔の話で、国際競争力も何もない、ろくにワクチンも回してもらえない、ただの小さい島国。それが、この国の正体だと分かった。
そしてここは、真面目に働いて体を壊す人と、自分のわがままを力技で押し通す人が、同居する世界。

大人たちは、いまの若者に、どんな希望をもって生きろというのだろう。言葉に詰まるようなら、それはあなた達の責任だと言いたい。
ちなみに、別に答えも求めていない。「じゃあ、なぜ聞いたんだ?」と思うかもしれないが、失望の再確認のために聞いただけ。


だからこそ、こだわりを大切にしたい。
この国を変える力も気力もないけれど、今日のお昼ご飯くらいは自分で決めたい。あの店ではなく、あっちの店とこだわりたい。
せめて、自分を幸せにする、小さなことだけには、手を抜きたくない。
そのこだわりで、少しでも自分の目から見える世界が色づくなら、なおさらだ。それで彼女が出来ないなら、彼女なんていらない。自分の幸せを確保することに、今はいっぱいいっぱいだから。


はぁ、当分彼女は無理だな・・・

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