他人にとってのストイックは

 私は父によく’’ストイック’’だと言われるのだが、毎回のように否定している。何度も同じやり取りをして気付いた。本当に自分ではなんてこともないと思っていることは、己を’’客観的に観察できていない’’ということだ。現状、私はストイックと言われる事に対して生活の一部に過ぎないと考えているし、習慣だと捉えている。
 それはざっと以下だ。
・一日2食で十分
・野菜ジュースを自分で作って飲むこと
・お米は毎日食べなくてもいい
・夜は23時5分頃に寝ること
・睡眠時間は自身がよく寝たと思える質であること(6時間50分前後)
・お風呂上がりは必ずストレッチすること
・起床後すぐに散歩へ出ること


 この習慣というのは趣味に熱中するのと同じ感覚で、辛いとか嫌とか何か負の感情がない。’’良い方向に進めるな’’と決めたことだから長く続けられる。

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 私はただ1つだけの指針に従い行動している 
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 ただただ少しでもいいから’’良い’’方向に進みたいだけ。その気持ちが核なのだ。情熱やら意志力が強いやらそのような類のものではないと考えている。少しだけでもいいから’’良い’’方向に進みたいという’’指針’’が自分で把握できているから長く続けられている。正確には、その道へ向かって歩いているだけだ。意志力やら情熱やら’’何とかだ’’と言い表すこともできるかもしれないけど、そんなのは正直どうでもよくってね。今よりもちょっぴり’’良い’’に近づけたら良いじゃんね。それだけだよ。

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