冤罪の20年。転院書類付き。

また今朝(午前3時頃)、母の夢を見て叫んで起きた。

“今まで書いてきた事では生ぬるい”と思った。

夢の内容は車の中。
助手席の私が、運転する母に対し
「お母さんを殴りたい。殺したい。」
と言っていた。
犯罪者っぽく、憎らしく、しつこく。

母は
『何?何だって?私の何が悪いの!失礼しちゃう!ほんっと、失礼しちゃう!』
と言った。
その先は多分こうだ。
『私はこんなに頑張ってるのに!私はこんなに理恵ちゃんの為を思ってるのに!理恵ちゃんは解ってない!』

私と母は、こうやってずっと戦ってきた。
餓鬼が争うように愛を奪い合ってきた。

私は今日この夢で、改めて鮮明に理解出来た。
自分がされてきた酷い事を。

この夢の中で私はこう言った。
「お母さんをバンバン叩きたい。バンバンバンバン。」

「バンバン!!」
叫びは実際に声に出ていた。
私の部屋は看護室から一番遠いのだけど、看護室まで聞こえたらしい。
看護師が来た。
『柳井さんだったんですね。』
そうです。この前の寝言も私でした。

この看護師は家では母親かも知れない。
私の話など解って貰えないかも知れない。
その前に聞いて貰えないかも知れない。

それでも私は声に出して言えればそれで良かった。
この人が話を聞いてくれなかったとしても、
同じ部屋の誰かには聞こえてるかもだから。


「母の夢を見たんです。
前の病院で先生に
“助けてください。母を殺したくなってしまうんです!”
と真面目に訴え、説明したのに…」

皆、よく喋る私より、
言葉少なにしおらしくうつむいている母を心配し、気にかける。

病院関係者だけではない。
一般的な人は親のほうを信用する。
自立して金を稼ぎ、精神科に通っていない人間の話を信用する。

共感者の多いほうが勝ち。立場が有利なほうの勝ち。

前の病院からこの病院に転院するときの文書は決定的な出来事だった。

母は『いつまでも根にもつから辛いんだよ』と言った。

母は昔からこうだった。
『世の中にはもっと辛いことがあるの。
誰も味方なんかしてくれない!
お母さんいつも独りぼっち。
辛かったよ。悔しかったよ。忘れてないよ。
でもね…
そんな甘ったれた事を言ってたら生きてなんてこれなかった!
誰が働いてくれるんだ。誰が変わりにやってくれるんだーー!!!!』

なんだよ自慢気に。
金を稼ぐ人間は偉いよ。
あんたのおかげだよ。
あんたが辛かったのは知ってるよ。
頑張ってきたんだろ。
偉かったんだろ。
でも誰も認めてくれなかったんだろ。
みんな冷たかったんだろ。

でも、
今は私の話なんだよ。
あんたの話はどうでもいいんだよ。
私はあんたの子供だよ?
私の話を聞いてくれ。
慰めてくれ。
偉かったね。辛かったね。って。
家族しかいないんだよ。
愛をくれよ。
お願いだから愛をくれーーーー!!!!

病院は患者が溢れてる。
皆忙しいんだ。
私は沢山いる患者のうちの一人。
柳井さん元気じゃないですか。
もっと大変な人がいるんですよ。


話は今朝の3時に戻る。
看護師がこう言った。
『柳井さんはとても考え方がしっかりしています。
周りに解ってくれる人がいたら、柳井さんの人生はもっと違ったものになっていたでしょう。
辛い事が沢山あった事。
助けてくれる人がいなかった事。
とても伝わってきます。』

どれだけ伝わったかは解らないが、
解って貰えたと思った。
母親に
『お母さんは何があっても理恵ちゃんの味方だから。』
と言われた時よりも。
母からは今一つ解って貰えてないばかりか、上から目線も感じた。

入院前日の夜、母に
『理恵ちゃんの病気、酷くなっちゃったね。』
と言われた。
「終わってるな」と思った。

うちの親はよく
『他人は冷たい。優しいのは表面だけ(母)』
『血の繋がった本物の親子は良いなあ~。(父)』
そう言っていた。けど。
他人のほうが優しいよ。
身内はワガママが出るから。

地位のある人が私のブログを読み、私の母と話がしたいと言った。
柳井さんのお母さんが可哀想というニュアンスだった。
「わざわざお時間をさいてくださろうとしてくれて有難うございます」
と私は言った。

馬鹿で話が理解出来ないのも
意地悪で話を理解しないのも同じ。
結果私が孤独な事に違いないから。
馬鹿を責めてはいけない風潮があるが、
私は馬鹿も意地悪もどちらも嫌い。

こういう事を書くから私は孤独なのではない。
私は元から孤独なのだ。
私の理解者は極端に少ない。
今までも。そしてこれからも。

私にはこのブログがある。
これは私の分身であり、子供であり、遺言であり、私の全て。

世の中がどういうものなのか、よぉーく解った。
また死にたくなるだろう。殺したくなるだろう。
私が肉体的に死のうが、社会的に死のうが、このブログが残ればそれで良い。


入院仲間に『楽しめよ。』と言われた。
楽しむよ。せっかくこんなカッコ良い人生なんだからさ。

以上の書類は4枚とも前の病院の医師2名が書いたものです。

こういう書類は研修医が書く事もあるらしいのですが、
記載者は私の担当医達の名前でした。

あと、医師がこういう書類を書く際はあえて重症に書く場合もあるそうですが、私はこの文面にそれ以外の悪意を感じます。
あくまで私の主観ですけどね。

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