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日本を代表する国産ソファブランドNOYES

初めまして、日本を代表する国産ソファブランド株式会社NOYES代表取締役 牧謙次郎と申します。これからNOYESの経営のこと、私自身の事を書き綴っていきたいと思います。最近の趣味は貯金と節約と熱帯魚です。

このnoteにはソNOYESの経営、そして、私自身の人生の事を書いていきたいと思います。そして、NOYESで「ソファの世界」というオウンドメディアがあり、そちらの投稿も積極的に投稿していきたいと思います。

note初めての投稿は「ソファ専門店にこだわるわけ」です。

今までどのようにNOYESを成長させてきたのか、そして私自身どのような人生を歩んできたのか、私なりにまとめましたので、お読みいただけましたら幸いでございます。

1.日本を代表する NOYES のはじまり

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2002年、まだ、ISDNの時代、やっとYahooBBが普及し始めた頃、自宅のマンションでいわゆるSOHOでオンラインからソファを販売する事業を始めました。最初はWEBの作り方なんて全然分かりませんでしたけどオンラインで情報を集め、本を読みあさり、なんとか自社サイトを作りました。リスティングという広告が「ソファ」というキーワードで20万の時代です。

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私の父と兄が名古屋で国産ソファだけにこだわったソファ工場を営んでおりました。私はその頃、東京に住み音楽でご飯を食べていました。私の父と兄の会社は国産ソファにこだわっていましたが時代は中国に工場を持つ時代になり父と兄も中国に工場を作ったのですが、それがきっかけで、業績が急激に悪化、その時に、私がMacの大のファンで、ある程度コンピューターに詳しいと兄と母は知っていたので、ソファをオンラインで販売してくれないかと、相談され、東京で音楽とソファ販売という2足のわらじを踏みながらオンラインでソファの販売を始めました。

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当たり前ですが、はじめのうちまったく売れませんでした。しかし根気強く、粘り強く、オンラインサイトへの動線を工夫したり、オンラインサイトのデザインを変えたり、情報設計を変えたりして、一台、また一台と次第に売れるようになっていきました。


父はオンラインでソファが売れることに懐疑的だった。

少しずつオリジナルソファを作ることができはじめ、ゆっくりとですがオンラインの内容も充実していきました。でも、私の父はオンラインでソファが売れることにまだ懐疑的でした。父以外でもこの家具業界ではその頃、オンラインでソファが売れるわけがないというのが定説で、皆さん冷ややかでした。

それも情熱を持ってソファだけ販売し続けた。

私はMacの大ファンで漢字Talk7ぐらいから使っています。なので、なんとかしてオンラインでソファを販売する工夫を本当に寝ずに考えました。「自分達の作ったソファを自分達の手でご販売する」その情熱は結成くじけず、「ソファなんてオンラインで売れるわけが無い」という言葉を毎日のように誰かから言われながら、歯を食いしばって絶対にソファを全国に音どけるんだ!という想いを胸に、そのお陰か、思っていたよりもソファの売り上げは上がっていきまして。そうして、今でも販売はオンラインが軸になっています。

東京から名古屋へ

ちょうどその頃、音楽のお仕事が上手くいかなくなり始め、自分の人生を見つめ直しす時期がやってきました。歳は30歳前後だったと思います。音楽とソファの販売という2足のわらじを履いている時期が重なり、後悔の無い生き方とは何なのか自分の人生を真剣に自問自答し、やっと決心をして東京から名古屋に戻ることを決めました。

会社を起業

名古屋に戻り、名古屋の自宅のマンション一室でオンラインを使いソファを販売することにしました。しばらくして、もう一つ覚悟をしなければと思いました。それは会社を設立することです。ちょうどその時、政府の特例で1円から起業できる期間限定の制度があり、資本金30万円で起業しました。(まだそのころ、有限会社は300万、株式会社は1,000万の資本金がないと起業できない時代でした。)お金がないので、起業の書類は全て自分で用意することにしました。何度もお役所に聞きに行き、何度も訂正してやっと株式会社NOYESを起業できました。

自宅マンショにお客様が訪ねてきた。

仕事はそのまま自宅のマンショで行い、ソファを見たい座りたいというお客様は工場へ来てもらい、工場で座ったり見てもらったりしていました。でも、一大事が起こったのです。ある日自宅でいつものように仕事をしているとチャイムが鳴り出てみると見知らぬご家族が。おや?と思った時、そのご家族が「ソファを見に来た」と告げました。僕はびっくりして、「お客様に本当に申し訳ございません。ソファはここにはないのです。」と何度も何度もお詫びをしました。

初めてのショールームを開設

それがきっかけで、もう自宅でこのままソファを販売し続けることの限界を感じました。経営者として、第二の試練がやってきました。家賃を払いショールームを出店するという大きな一歩です。大抵の経営者はここで二の足を踏みます。今のままでもやっていけるし、わざわざ高い家賃を払ってショールームや事務所に移らなくてもと。でも、お客様にこれ以上迷惑を掛けることはできません。一大奮起して、名古屋市泉にショールームを開設しました。4階建ての雑居ビルの2Fの置くの部屋です。そこをショールーム兼事務所にしました。

人を雇うということ

今度は人を雇う事に取りかかりました。人を雇うというのは大袈裟ではなくその人の人生に参加をすることになり、責任をもってもっと仕事に励み経営者として自立していかなければなりませんでした。なんとか2名を雇い入れ、新生NOYESがスタートしたのです。

1年でショールームを移転

雑居ビルの2Fの奥のショールームは予想に反して多くのお客様がお越しになり、スタッフも増え、売り上げもうなぎ登りに上がっていきました。それを受け、道を挟んだ向かえにあった3F建ての一棟貸しビルに引っ越すことを決めました。

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2.父の他界

ショールームを移転した2年後に父に肺がんが見つかり、その1年後、父は他界しました今でも覚えているのは病室のベッドの上で震える手でプリンを食べている姿です。それが父が生きている姿を見た最後の姿でした。父が闘病中、私と兄に残した言葉が「兄弟で同じ会社にいると、上手くいかないことが多い。だから、兄はソファの製造の代表、私はソファの販売の代表として、やってくれないか」という言葉でした。その言葉を受け継ぎ、兄が作ったソファを弟の僕が販売するというビジネスモデルを作り、本格的にそのビジネスモデルのNOYESが新たに動き始めました。

株式会社NOYES 基本理念

裏切らない、絶対的な信頼を届ける。

目標:日本でNo.1の質が高く親切なサービスと、安全性と快適性を融合した製品を開発、提供し、日本を代表する国産ソファ専門店としてソファと言えば「NOYES」を目指す。

目的:他者への貢献を通じ、人間の尊厳の為に生きることを原則として「永久価値」=「人生価値」までを創造する企業として存在し続ける。

ゴール:社会福祉に貢献した製品、サービスを創造し送り出し続けるエネルギーを全社員が共有財産として保有しつづけること。

ブランドイメージ:「スタイリッシュで親切」なサービスの提供。「洗練されていて、シンプル」な製品価値。


株式会社NOYES 原則

①お客様の期待に応えること

②お客様の期待以上に応えること

③お客様の期待以上に応え続けること


株式会社NOYES 思考規範

個人の自主性と成長を尊重する。

質と信頼性の高いサービスと製品を提供する。

スタッフは会社の源である。

お客様を満足させるために時を惜しまない

企業として社会に責任を果たす。

誠実で正直であれ。

絶えずサービス、製品を改善し、絶対に満足しない。

新しい事への挑戦を恐れない。

正しい行いは、正しい結果を生み出す。

3.ショールーム出店は平坦ではなかった

NOYESは現在、名古屋本社ショールーム東京銀座ショールーム東京青山ショールーム大阪心斎橋ショールーム宮城仙台ショールームを運営しています。どのショールームも地道に活動を続け、ありがたいことにどのショールームも軌道にのって、それなりの売り上げを立てています。しかしながら、それは平坦な道のりではなかったです。

東京青山ショールームの出店

東京に出店しようと考えたのは移転した1年後くらいでした。お客様から毎日のように「東京でソファを見れるところがないか」というお問い合わせを受けていました。思いや悩んだ末、東京への出店を決意しました。それがNOYESができるお客様へのサービスの一貫だと思ったからです。そこから東京の物件探しがはじまりました。僕がまだ34歳頃だったと思います。

相手にされなかった

東京の物件を探すために何度も東京へ足を運びました。しかしながら、どの不動屋さんも力になってくれそうな所は中々見つかりませんでした。それもそのはずです。東京の家賃は坪2万〜3万、僕は70坪位を想定していましたので、一ヶ月多くて210万円ほど家賃が発生します。おまけに保証金は家賃の10ヶ月分が相場で2,000万円は必要になります。それに工事費をいれると5,000万はゆうに超えていきます。そんなお金を34歳の若造が払えるわけないだろうというのが根拠です。足が棒になるくらい何件も何件も飛び込みで不動産屋さんを廻りました。吉祥寺、自由が丘、目黒通り、などなど、本当に色々と廻りましたがなかなか厳しい風が吹いていました。

思わぬ出会いから青山に出店

東京で青山というとめちゃくちゃ家賃が高くブランドのお店が建ち並ぶ高級街というイメージでしたので、最初から青山での出店は考えていなかったです。でも、あらゆるところで相手にされなかったのでいっそのこと青山にぶっつけで行ってみようと一件の不動産屋さんに足を踏み入れました。すると、それまでとまるで違った対応で親身に話を聞いてくださり、一生懸命私たちの予算に収まる物件を探し始めてくれたのです。もう嬉しいやら驚きやらで、その方とも意気投合して、青山の物件をしらみつぶしに探すことになりました。そうして見つかったのが今の東京青山ショールームです。思わぬところから出会いがあり、思わぬところに出店が決まりました。

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ソファだけでやっていけるわけないだろう

青山に出店が決まったら、色んなところで「ソファだけで青山で売れるわけがないだろう」「青山なんかで成功するわけがない」「あんな高級街でNOYESのソファが通じるわけ無い」と本当に色々と言われました。でも、決めたからには成功させねばと参考意見として建設的に捉え、青山出店に約1年かけてようやく出店できたのが2007年10月でした。それから12年東京青山ショールームは今でも成長を続けています。

4.ホッと一息も束の間

正直ここまで創業から5年突っ走ってきました。ちょっと一息入れようと思った矢先に名古屋本社ショールームをマンションの開発で移転しなければならなくなったのです。名古屋本社ショールームは3F建てで全部合わすと150坪ありました。150坪の物件なんてそうそうあるわけもなく、青山同様にしらみつぶしに探しましたがなかなか見つからず諦めていたところに、土地から買い、建物を建てるという案が浮上してきました。当初の予算の10倍近い予算がかかります。でも何を思ったのか、それにのっかり、土地を買い、建物を建ててしまったのが、今の名古屋本社ショールームです。大きな借金を作りました。(^^!

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名古屋の鶴舞という場所での出店

名古屋で鶴舞と行ったら、鶴舞公園くらいしか印象がない地域でした。特段何があるわけでもなく、わざわざ足を運ばないと鶴舞に名古屋の人は行きません。そんな場所に名古屋本社ショールームを作ったのは、東京青山ショールームもそうですが、どちらかというと隠れ家的な立地という戦略を実践するためでした。本当にソファをご検討されているお客様がゆっくりとソファをご検討できるようにしたかったので、表通りはなるべく避けたかったのです。でも、中々鶴舞の名古屋本社ショールームにお客様が足を運んでくれるのは難しかったです。

次第に訪れるお客様が増えていく。

名古屋のショールームもそうですが、青山も大阪も仙台も最初はお客様が中々お越しにならなかった期間がありましたが、次第にお客様が訪れていただける様になってきました。本当に感謝しかありません。わざわざへんぴな所のショールームに来てくださりNOYESのソファをご検討いただけることは奇跡に近いことだと、常々スタッフとその気持ちは共有しています。

3.スタッフが50名近くに。工場を併せると100名超えに

名古屋本社ショールーム、東京青山ショールーム、大阪心斎橋ショールーム、と増えて来た頃からスタッフが30名を越してきました。そして、宮城仙台ショールーム、東京銀座ショールームと出店を続け今では50名を超すと組織になりました。

自分で創作した組織体制

ツリー型の組織はどうしてもトップダウンになりがちです。僕はそうはしたくなったかので自然型の組織を創作しました。土があり、木があり、雲があり、そして太陽があるそんな組織です。これによって、風通しが良くなり50名を越すスタッフが仕事がし易いようになりました。でも、、、、。

なかなか人が定着せず苦労の連続

そんな中でのなかなか人が定着せず苦労の連続でした。会社が大きくなるのは人の定着が必須です。でも、ちょうどこれくらいの規模になると人の定着が難しくなります。それは売り上げが上がっていく中、お客様へ届けるサービスレベル、新しいサービスの発想など、会社が大きくなればなるほどそういったことに手を付けていかなければならいのですが、中々人が定着せずビジネスのスピードが落ちてしまいかねなくなってきます。

ブランディングに着手

大阪心斎橋ショールームを出店したころからブランディングに着手しました。まずはロゴを手がけました。それまではロゴもNOyesでyesが小文字だったのですが、yesを大文字にして「NOYES」にしました。


そしてブランドコンセプトを策定したり、それをスタッフに広めていく作業をしたりと何かと2012年2013年は忙しかったです。

期間限定ショールームを企画

実は大阪心斎橋ショールームを立ち上げる前に、期間限定の大阪ショールームを開催したんです。それから札幌期間限定ショールーム、期間限定仙台ショールームと行い。昨年は静岡、そして広島、福岡、横浜、神戸など日本全国で期間限定ショールームを開催しています。

「ソファの世界」充実

NOYESは参加型のイベントや職人の絵本のイベントなど沢山行っています。G-パンスツールといって実際のG-パンでスツールを作る企画も人気で毎年10月に開催しています。また児童養護施設の児童たちと一緒にソファを作り、作ったソファは寄附する活動を続けています。なぜそのようなイベント行うというのは、やっぱりソファ職人が普段中々触れ合う事が無いお客様と触れ合うことで新しい発見が有り、よりソファ作りにも思い入れをもってもらえるんじゃないかということと、NOYESのコンセプトとして「社会に求められる起業でなければならない」というコンセプトを貫いているからです。是非「ソファを知る楽しむ」をご覧いただければと思います。

体を壊してしまった。

2014年までに入院を3回しました。疲労と肺炎と小腸の炎症です。自分では健康であるとおもっていたのですが、体は正直です。蕁麻疹がでたり、熱が出たりはしょっちゅうでまさに体を削ってきた10年でした。そして、2017年にある病気を患い今も治療中です。2018年の12月から病気が急に悪化してとうとう、2019年の1月〜2月半ばまで仕事を休みました。それから復帰したのですが、その復帰が早すぎたのか、また3月の半ばから2ヶ月間会社を休むことになってしまいました。突っ走ってきてこんなに仕事を休んだことなんてありませんでした。でも、休まずにはいられないくらいの病状で本当に大変でした。この病気は中々治りづらい病気なのでちゃんと調整しながら労っていきたいです。2021年の今でもこの病気と闘っています。

まだまだ書きたいことや書き損じていることはありますが。

NOYESは国産ソファのブランドとしてこれからもソファひと筋で企業活動を行ってきます。まだまだ未熟な点も多いですが、なんとか19年やってこれました。20年、30年を目指してやっていきたいと思います。そして「社会に必要とされる企業として一人前になりたい」とそう、強く思います。

どうぞこれを機にソファ専門店 日本を代表する国産ソファブランNOYESのことを知っていただけましたら幸甚です。

もしよろしければ、日本を代表する国産ソファブランド NOYES 公式サイトにもお越しくださいませ。お待ち申し上げております。

最後までお読み下さいまして誠にありがとうございます。

これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。


流行にNOを。普遍にYESを。

株式会社NOYES 
https://www.ny-k.co.jp/

〒466-0058 名古屋市昭和区白金1丁目4番地3号
フリーダイヤル:0120-351-780
TEL:052-613-7584(代表)

名古屋本社ショールーム
https://www.ny-k.co.jp/showroom/nagoya/

東京銀座ショールーム
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東京青山ショールーム
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横浜関内ショールーム
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大阪心斎橋ショールーム
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