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【続】尋常性白斑と15歳のわたし

先日の続きになります。
今日は昔のアルバムを引っ張り出して15歳の私と対面しました。
当時の私には写真が大嫌いでしたので、ほとんどなかったのですが、
それでも白斑が分かる写真が数枚ありましたので記事にも写真を追加しました。

今思えば、全ての治療過程の写真を撮影しておけばよかったです。

私は大学病院の皮膚科にアトピー性皮膚炎で幼いころから通院していたので、そのまま同じ大学病院の皮膚科で治療しました。
担当医師に白斑箇所の治療の写真撮影の協力をしていたので、きっと、どこかで私の治療過程の写真が残っているんだろうなぁとは思います。

私の場合はちょうど右眉の中心も白斑がかぶっていたため、
白斑部分だけ眉毛が白い毛になっていました。
なので学校に許可をもらい眉毛を書いてました。

15歳の夏のある日鏡をみていて右眉周辺が白くなっている気がしました。
母親に相談しはたけとかかな?と言いつつも皮膚科に行きました。

私立に電車で通学していたこともあり当時から病院へも一人で行くのが当たり前でした。
そこで白斑と診断され紫外線療法で治療していく話を聞きました。
この時点でも私は数回の治療で治ると思い込んでいたマヌケでした。
ナローバンドUVB照射療法、PUVA療法は行ったと思います。
記憶では白斑箇所に薬を塗り機械に入り日焼けさせるみたいな感じでした。


確か、週1で通い治療を続けていたと思います。
写真には軽度の時しか残っていませんが、重度の日焼け状態になり
痛かったり水疱などもでき、もはや治療前より白斑が目立つようになっていきました。

約25年前のわたし

ぐちゃぐちゃ、いつ治るんだよ…。と思っていました。
そう、当時から言いたいことを言えない性格だったので我慢我慢。
そして一言、いつになったら治るんですか?
と聞いた日に地獄へ突き落されたのでした。
元通りになることは難しい、治療は長くかかるという話を聞いたのでした。
最初にそんなこと言ってたかな?

帰りの電車で一人涙を流したのを覚えています。
「なんのために我慢してきたんだ。
きれいに治ると思ってたから我慢もしたし毎週通院してきたのに…。」

またこんな時に限って電車は地下鉄。
思い切り自分の顔がガラス越しに反射していて、また泣けました。
「汚い化け物な私」

私の15~16歳はこの顔と共に生きました。
電車通学だったので、ある日には
男の子ふたり組に顔を指さされ何やら言われてることに気付き
また、傷つきました。

私の心の中では「きたねえ。気持ち悪い」と言っているのだろうと。
実際は違うかもしれないのに、こういう状態のときはダメですね。
思い込みが大暴走。

こんな精神状態ですから、治療から数か月後にはお風呂で腰にもできていることを見つけまた凹む。
「ビキニを着ることはもうできないな…。」と思ったのを覚えています。

そして顔と腰の2か所の紫外線療法を1年繰り返した結果

「治らない」


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