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青春と一瞬は... セットだった。

母校の文化祭にて

 私は先週、母校の高校の文化祭に足を運んだ。
 母校にとって、コロナ禍明け久々の一般開放だった。
 
 去年まで、生徒が一挙に体育館に集まる事が出来なかった。

 私を含めデジタル分野に精通する人間で教室へのライブ配信を行うなど
 先進的なことをたくさんさせてもらった。

 懐かしい…

  ちょうど去年の今頃はスパイファミリーとVtuberが流行っている時。 
 
 Vtuberで使われるアバターという機能を世に伝えたいと思って、同志とクイズ企画をした。クイズはクラス対抗ができるようにシステムを組んだ。

 ある同志は遠隔で見ている生徒とリアクションを行いたいがためにリアクションシステムを作った。

これからは現実世界とデジタルで創る世界が融合していく時代。

それにいち早く私の母校は気がついてくれたと思っていた。


 

グレートリセット

時代は刻々と変化している。

2021年の上半期に開催されるはずだった、世界経済フォーラム、通称ダボス会議のタイトルは

「グレートリセット」。

コロナ禍で一転した世界を以前の姿に戻そう、という趣旨の言葉である。

コロナ禍は、我慢が強いられたことは言うまでもない誰ものコンセンサスであるが…

例えば、デジタル分野が急速に社会に取り入れられたように、全てが悪だったのか。

デジタル分野に比較的精通していた私は、

その部分においては良い思いをした部分というのは大きいのかもしれない

というのが、私自身におけるコロナ禍の評価である。

話を戻すと…

母校も「グレートリセット」の考えに近い、文化祭の開催だった。

昨年まで、の2年間で創り上げた文化祭の新しい形はどこに行ったのだろう…

良いも悪いも依然として、首を傾げることしかできないが…

我々の意志を引き継いでくれた後輩たちは相当な苦労があった事だろうと思う。

なぜ母校へ帰るのか

大学から母校は400kmも離れている。
それでも、公共交通を乗り継いでまで帰省するのには理由があった。

”後輩”がいるから

私たちが好き勝手をして形にしたあの組織を、

引き継いでくれる人がいた。

せめて、彼らが卒業するまでは、面倒を見てやりたかった。

そして同時に感謝の気持ちでいっぱいだった。

当日になると・・・

当日は、これまでも・これからもお世話になっている先生と代わって、

彼らの見守り役として、本部に行った。

懐かしかった。独特の緊張感と気持ちの高揚。

机には機材とケーブルが乱雑に並べられていて、そのうちいくつかのケーブルが下手側に延びている。


私は途中からセンターのカメラを操作した。
今年から入った最新機材だった。

ステージ上の演者、後輩が仕込んだDMX照明、それに音響。


きれいだった。


高校生である彼らはしっかりと年に一度しかない文化祭を楽しんでいた。

彼らが今最大限にできる彼らしかできない方法で。

男女を問うことなく、睦まじく、わいわいと。

もう、それらの経験はできない。

しようと思っても、過去にはもどれない。

「青春って一瞬なんだ。」

その時、マカロニえんぴつの曲が頭から離れなくなった。

2年前の文化祭のエンディングを思い出した。この曲が流れていた。


対比して、今の自分の環境を考えてみる。

なんて非生産的で、面白くもない生活を送っているのだろう。

高校で活躍していたあの人って、そこが人生の頂点だったよね。

なんて思われたら・・・

代わらないといけなんだな

とようやく理解することができた。

また、自分が興味を持つものを、

興味のままに

探求しつくすことをまたやりたい。

後輩たちが目標にできる道を、

また私は創りたい。

大学入試は失敗した。 
落ちこぼれた。
行く大学が決まったのは誰よりも遅かった。
人生そこで一度どん底に落とされた。

このブログは、一度どん底におちたそんな筆者が再起をしていく様子を綴る物語である。

拙い文章しか書けない私の醜い文章も合わせて見守ってくれると嬉しい。

それでは、また。

















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