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自分の歴史を音楽と振り返る⑩2008ー12 〜パワハラとうつと退職

この頃の音楽シーンはAKBとジャニーズの最盛期と言えるだろうか。個人的には、B'zのギタリスト松本孝弘がグラミー賞を受賞したこと(2010年)や、東方神起をはじめとするK-POPの台頭が大きい。この頃の自分は、正社員として学習塾に就職し、パラハラに遭い追い込まれた時期でもある。そのことを中心に当時の自分を振り返ってみる。


パワハラと運命の出会い
東方神起「Share The World」
少女時代「Genie」
KARA「ジャンピン」

大学を卒業しても塾講師のアルバイトで貯金を崩しながら生活していたが、正社員になりたいと思い別の大手塾の中途採用に応募、合格。そして新しい仕事を始めたのが2008年4月。1ヶ月ほど研修を受け、翌月には校舎配属。そこは社員2名体制で、私にとっては他に相談できる人がおらずパワハラを受けるには絶好の環境だったようだ。前任者も直属の上司もなかなか辛辣で、理不尽な嫌味をたくさん浴びせられた。上司は機嫌の良し悪しがジェットコースターというより高速エレベーターで、その機嫌に合わせるのもしんどかったし、言われのないことを責められるのも辛かった。

ある時、仕事の終わりで電車に乗ったら、目から水が流れてきてて驚いた。慌てて取り繕ったがどんどん溢れてくる涙。こんなのは小学校4年の日本脳炎の注射以来だ。

就職して2年ぐらい経って、私のことを気にかけてくれた人事部の同期が上に掛け合ってくれた。ただ、これが更に私のストレスを増やすことになる。空いた校舎長のポスト。私が座ることになった。他になる人がいない、私が一番後者のことをわかっている、生徒や保護者、大学生のアルバイトからの評判もいい。何度も断ったがやはり私の悪いクセなのか、自分が犠牲になってみんな安心できるなら、と思い結局引き受けた。

そこでは、入会率・生徒数・取得講座数・受講講座数・模試受験率・上位大学合格率・アンケート回答率…といった数値管理。いわゆるKPIだ。さまざまな数値から現状の課題や強みを分析し先に活かすのは、とても論理的で筋が通っていることではある。しかし、校舎長は数値管理をするだけで「生徒に教える」ということをすることがほとんどない。数値の理由を毎週の月曜の全体会議で言ってはダメ出しを喰らう。自分が実際にそれを喰らうのも、他の校舎長がそれを怒鳴られているのを聞くのも、ただ辛かった。また、校舎長同士や会社の社員同士の政治的な駆け引きを目の当たりにすることも多く、心から信頼できる人がいないような気がしていた。それにいわゆる「モンスターペアレント」もいて、その対応でも心が削られていった。

就職してからちょうど4年経った頃、精神的なストレスを原因に休職するようになった。この頃も精神科には通っていたが、主治医が退職して毎回違う先生で診てもらうしか無かったので、まともに相談はできなかった。人事部からは、今の人間関係から離れられる別のポストを用意するという提案をもらったが、その頃にはもう毎日寝ているだけの日々で希死念慮しか無かった。結局、4年と4ヶ月でそのまま会社を辞めた。労災や雇用保険だの、退職後しばらくは金銭的支援が会社から受けられるのを知ったのは辞めてからしばらく経ってからで、結局それも受け取れず。逃げるように、何もできないまま退職となった。

毎週色々な数値が記載されている表が配られ大勢の前で私も他の人も怒鳴られる、数値に関して電話でネチネチ言われる、朝までずっと校舎で仕事をする、帰りの電車での不意の涙。嫉妬と足の引っ張り合いという政治的駆け引き。今まで味わったことのない世界だった。もう2度と行くことのない世界を体験できたのはよかったのかも知れない、と今では思う。

さて、そんな中でも私にとって運命的な音楽の出会いがあった。職場の大学生のアルバイトの子が東方神起のファンで、とにかく聴いてくださいよと言ってきてしつこい。イヤイヤながらその動画を観た。ただのかっこいい5人が踊って歌ってる、それだけだった。しかし、よく聴いたらまあ音域が広い、ボーカルのうまさ、ラップのキレの良さ、歌唱パートの目まぐるしい入れ替わり、なんだこれは。昔の戦隊もので赤青黄色緑ピンクそれぞれの戦士たちが活躍するようなワクワク感に包まれていた。いつの間にか韓国人5人の名前を覚え、色々なMVを見てはワクワクするようになった。

そして衝撃的だったのが少女時代。今度は9人!がどんどん入れ替わるし軍隊もびっくりの群舞。GenieではVの字になったフォーメーションダンスと最終盤のテヨンのおたけびタイムの虜になった。少女時代はライブやMV舞台裏などで見せる性格の良さが好きになり、その後現在までずっとファンだ。

そしてKARA。「ミスター」がヒット。自分は次の「ジャンピン」が大好きだった。KARAは5人全員が日本語を話してた。どんだけ勉強したんだよ…!メンバーのハラは、東日本大震災の被災者に向けて、いち早く当時の所属事務所にも内緒で自分のお金1億ウォン(約720万円)を寄付したという。5人は日本が好きというのが色々な場面でとてもよく伝わってきた。(それだけにハラが亡くなったのはショックだったなあ…)

ということで、本格的にK-POPと出会ったのがこの頃だった。その熱はその後一旦落ち着くのだが、更に強くハマることになる。


という感じ。なんだか暗い話ばかりで読んでくださっている方には申し訳ないなあと。ただ自分の生きてきた軌跡を盛らず偽らずそのまま書いているところもあるので、ご容赦いただけたらと思う。次回は、精神保健福祉士を目指す話を。

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