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映画かがみの孤城

以前から気になってウォッチリストに入れていた作品。

【かがみの孤城】

原作は未読で映画のみの感想だけど、人の心にある孤独の部屋に、少しずつ優しい風を通すような素敵な作品でした。

(以下完全ネタバレあり)





一番最初に「お?」と思ったのは、主人公がフリースクールで初めて喜多嶋先生に会ったシーンの、

「私、喜多嶋っていいます。座っていい?」

というセリフ。


とても小さなことだけど、この「座っていい?」という言葉に、相手に対する敬意、人との距離感を大切にする姿を垣間見て、映画の展開が俄然楽しみになったのです。


人間関係にはいくつかのキーポイントがあるけれど、「距離感」はその一つだと思っています。


近すぎても遠すぎてもコミュニケーションが難しいし、どれくらいの距離が心地よいかは人によって違う。もちろんマニュアルもない。

いきなりぐいぐいと来られて不快に感じたり、なかなか距離が縮まらず、もどかしく思った経験は誰でも一度はあるのではないでしょうか。


この物語の主人公・安西こころは、最初は心のパーソナルスペースをかなり広めにとっていて、仲間が集まる孤城に足を運ぶのも時間がかかりました。
それは自分が再度傷つかないための警戒による距離だったようにも思います。

仲間達との距離をゆっくりとせばめていくうちに、自分の心の傷と対峙する主人公。
殻に閉じ籠もっていた自分を少しずつ解いて、周囲に助けを求めたり、自ら問題に向き合うようになりました。

全ての人に理解されなくてもいいし、全ての人を理解できなくてもいいと私は考えます。
それでも自分を受け入れてくれる人や、自分を必要としてくれる人はいます。

世の中は自分の目の前に広がる世界よりも広く、たくさんの人々で溢れているからです。


そして、孤城の仲間は年代を超えて繋がっていたけれど、このように自分の救いとなる存在は、実際の「人間」だけでなく、いくつもの時代に残された芸術や、音楽などの作品でもあると感じました。

例えば、80年代に作られた映画を観て孤独が癒やされた場合、時を超えて、その作品と自分との扉が繋がるのではないかと思うのです。

はるか昔に描かれた絵画や建築物に思いを馳せたり、小説の世界でひととき現実を忘れたり。

そんな風にして私達も、過去と繋がる、心安らぐ居場所を見つけることができるのではないでしょうか。

また、かがみの中に存在する孤城を別の側面から見てみると、共通点を持つ様々な年代の人が集う場であることから、ゲームの世界やSNSの象徴のようにもみえました。
鏡を介して現実と繋がる様子は、まさにそれを比喩したもののようにも思えます。


どちらにしても私が強く感じたことは、自分が生きているこの世界は平面ではないということです。

そこにはいくつもの世界が存在しています。

同時進行しているものもあれば、過去に繋がる扉や、まるで宙に浮かぶ風船の中ように、現実に存在する夢の世界もある。

私達はいつでもそこに出入りすることができる。

現実で補えない力を、過去や夢の世界からもらうことで生き抜くことができるのです。

立ち向かうことができない時、心寂しく苦しい時にも、温かな繭のように、傷を癒せる場所はどこかに存在します。

だから自らオオカミの裁きを受け入れてはならない。

半ば諦め震えながらも、どこかに差し伸べられているはずの手を探し、掴み、勇気を持って部屋を出るところから、新しい世界が開けるのかもしれません。

ラストも瑞々しく、希望を感じました。
原作も読んでみたいです。




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