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こみ上げる思いを書き綴ったこのnoteが思った以上に読まれ,とってもうれしい。

今日は,今まで封印していた,過去のつらかったことと向き合い、過去の自分や,現在似たような境遇で奮闘されている先生へのエールとしたい。

最悪のシナリオ通りの荒れた学校

学校を支えていた先生方転勤でどんどんと抜けていく。

自分達はこの学校を支えていくことができるのだろうか?

生徒指導の難しい学校と言われてきた本校も,先生方のチームワークと保護者の協力により何とかやれていた。

しかし、自分の学年とその下の学年は大変落ち着きがない。

3年生とは明らかに空気感が違った。

生徒指導主事の私は,最悪のシナリオを想定し,先生方に危機感をもって生徒指導に当たることを日々要請していた。

しかし,その甲斐もなく,想定していた最悪のシナリオ通りに事が運んでいく。

予言的中!

全くうれしくない。

今に思えば,これも「引き寄せの法則」とよばれる類のものなのかもしれない。

2年生の3学期。

この子達が最上級生になった時,学校は果たして正常に動くのだろうか?

果たしてその予感はまたしても的中する。

私語と怒声が飛び交う着任式

不安のまま迎えた始業式当日。

グニャグニャと曲がった列。

いつもでも止めない私語。

案の状の落ち着かない雰囲気の中で,形式的に始業式,着任式は流れていった。

そして,学年の先生方の紹介の時。事件は起こった。

全先生方が登壇。クラス担任と教科担任等が発表される場面だ。

あまりのうるささに,壇上から学校長が

「君たち、,ちょっと話をやめてくれないか?」

とお願いするも,その声すら聞こえないぐらいの「騒音」状態。

その中で、3年生の後列で奇声と共に何かが投げられた。

私のクラスのMである。

「おい,おまえ達!いい加減にしろ!!」

私は紹介の途中であったが,壇から飛び降りて,ダッシュでMのもとへ。

周りの生徒はニヤニヤとこちらの様子をうかがっている。

「おい!出ろ!」

「うるせぇ!」

「周りの迷惑だから出ろ!」

個別で話せば話が分からない子ではないが,この状態では,そうするしかなかった。

「うるせぇ!きめぇ!」と壁をばんばん蹴りながら,Mは結局帰っていった。

空き時間が空かない実態

この年の一年間は器物損壊,対教師暴力,対生徒間暴力と,警察とのやりとりが多い一年であった。校内での喫煙も頻繁に起こる。消火器の粉もまかれた。

しかし,何よりも疲弊したのは,日々の徘徊者への対応である。

正直、授業をしている方がまだいい。

大変なのは,4~5名、多いときには,複数の学年で10名近くになる授業にでないで廊下を徘徊している生徒達への対応である。

別室にも入らない。廊下でスマホをいじる。奇声を発して教室の授業を妨害したり、時には乱入したり。

最悪のタイミングで最悪の事が起こる。

生徒指導でリーダーシップを発揮する立場の私は正直打つ手がない。

毎日が砂をかむ思いで過ごしていたと思う。

「心を鈍くしないと気がおかしくなるよね」

そんな言葉を学年の先生方と交わしていた記憶がある。

評論家の正論なんかどうでもいいから,この現場で物を言え!

そんな思いで日々を過ごしていた。

過去の私へのアドバイス

現在の私からのアドバイスは3つ。

①先生方の適所適材にもっと注力せよ!

 無い物ねだりをしても仕方がない。どの人にも得意不得意があるのだから,それぞれの持ち味をプラスにはたらくように組み合わせる。

 校内人事も含めて,誰がどうすれば,組織が機能するか?

限りある人材の適所適材にもっともっと注力してよかったのでは?

そう感じている。

②生徒の育ちの背景を適切に捉え,,適切な指導の仮説を立て,実行。修正は軽やかに!

 「発達障害の生徒」が授業に出たくない!と授業渋りが始まり,結局この生徒が徘徊し始めたことから徘徊の連鎖反応が始まった。

 夫婦の離婚調停で家庭が落ち着かないこともあり,情緒も不安定であった。この時に「発達障害」に対して「病院へ行って診断を受けて欲しい」という診断が出れば何とかなるのでは?という根本解決にならない方向に目が行っていたこと。夫婦の問題が早く解決することを臨み,それが落ち着かないことには,この生徒の問題は解決しないと見立てていた。

 その生徒が信頼を置いているのは,母親?父親?あるいは祖父母?

本人が心の拠り所はどこにあるのか?深く掘り下げることで,学校でできることもあったのではないか?

 「障害がある」とラベリングすることが大事なのではなく,その特性を理解して寄り添う姿勢。頭では分かっていたが,その体制が学校体制として取られていたか?

 現任校で似たような事例を抱えながらも,前任校のような事態にまでは発展しなかった。

 違いは,月並みだが,「深い生徒理解」に基づく「寄り添う気持ち」という心的なサポートを土台に基づいた学年を越えた組織的な関わりと,効果的な外部機関との連携ではなかったか。

今はそう感じている。

③暴力には毅然と立ち向かう

理由はどうあれ,対教師暴力が結果として,説諭だけで終わってしまっていたこと。

保護者も生徒も「暴力は悪かったが,先生の対応も悪い」と指導が落ちないことがあった。

警察に被害届けを出すべき!そう主張するも保護者・生徒とのこれからの関係と指導を考えて,被害届けを出さずにいた。

被害を受けた個人の問題ではなく,学校長が「先生方を守るために,職務命令です」と言ってもらうべきだった。

実際,現任校では,被害を受けた先生は病院で診断書をとり,被害届けを出すことを学校長から加害生徒・保護者につたえてもらった。そうやって暴力には毅然と一線を引いた。

その方針がぶれなかったことで,生徒も越えてはいけない一線は守っていた。


終わりに

学校の荒れは「たった一人の生徒」「たった一人の親」「立った一人の教師」から始まる。

私は大変お世話になり,尊敬する校長が口癖のように言っていた言葉である。

学校は一度「荒れ」に流れが傾くと簡単には元にもどらない。

よく言われることではあるが,身をもって感じた体験でもある。

シーソーは傾き始めたら元には戻らない。

こんな感じの1年であった。

「最悪の事を想定し,その通りになった」のである。

今にして思えば,「先生方の危機感が足りない!」と警告を発するのは良いと思う。

ただ、その警告を周りはどの程度受けとめ,どの程度動けるのか?

生徒指導主事の私はここをシビアに見極めて,適材適所に注力すべきだったのでは?

今そんな風に振り返っている。

ここは,管理職と連携を密にして,次年度の校内人事にも意見する大事なところだったのでは?

それくらい,限られた先生方をどう配置するのか。

誰がどの学年を担当するのがよりベターか。

誰がどの生徒の担任するのがよりベターか。

どの先生にも光る良さがある。そこを活かす視点。そして配置。

しかし,学校が荒れ始めると,その良さよりも「弱い部分」が生徒につけ込まれ目立ってしまう。自信をなくす先生がでてきたり,周りに無関心になる先生方も出てくる。そうしないと自分を守ることができないからだ。

校内の生徒指導の雲行きが怪しくなってきた時、私は「もっとちゃんとやってほしい」と周りに不満をもつ意識が強かった。

私は自分の立場で一生懸命やっていたと思う。

しかし,生徒指導は学校全体で行われて初めて機能する。

やはりチームワークなのだ。

限られた先生方で最高のパフォーマンスを発揮する組織とは?

その視点足りなかった。

不満を言っても何も変わらない。

1mmでも改善!


まずは,自分にできることを!

しかし,何でも自分で背負い込まないこと。

得意不得意をチームでカバーするんだ!

学校の総力を信じよう!

意外とポテンシャルはある!

そう信じてみよう!

世界が変わるよ!







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