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0810「エンターテイメントとしてのサッカーの楽しみ方」

先月2週間休みをもらって新婚旅行に行ってきた。主にスイスに滞在していたのだが、そこで欧州の文化を垣間見た(と感じた)タイミングがあったので書いてみる。

スイスのツェルマットというリゾート地に滞在していたときのこと。町の中心にある教会の前のちょっとした広場で音楽祭が開催されていた。おそらく地元の同好会と思われるオーケストラがステージでクラシックを演奏し、ステージの前にはビアガーデンが用意されて大勢の人が音楽を肴にビールを飲っている。そして曲が盛り上がってくると手拍子をしたり、時には同じ長机の人たち全員で肩を組んで身体を揺らして踊ったりしている。

この「ノリ」はおそらく日本人の中にはないものだと思う。リゾート地という場所柄、集まった人たちが開放的であることを差し引いても、その場、その音楽をどう楽しむのが正解か、というのを欧米の人たちは理解しているように見えた。
100年以上愛され続けてきた音楽とビールを楽しむとき、どこで盛り上がるのか、どう盛り上がるべきなのかという積み重ねられてきた作法があるように感じられるのだ。

100年愛される文化

ここであえて100年という期間を持ち出したのは、日本のサッカーを世界と比較したときに欧州、南米と比べて100年遅れを取っている、あるいはそのギャップをいかに埋めるかという議論、あるいは努力が語られることが多いように感じるからだ。(イングランドでプロサッカーリーグが設立されたのが1888年。Jリーグの開幕は1993年。)

しかし視点を変えると日本で100年変わらず愛されているエンターテイメントがあるだろうか。少なくとも100年前の1919年に何が流行っていたのか私は知らない。日本発のエンターテイメントで長く続いているものと言えば歌舞伎がすぐに思い浮かぶが、町中で歌舞伎が始まってもその楽しみ方が分かる日本人は多くはないのではないか。

そのように考えると、過去の動向からしても、日本人は一つのエンターテイメントをそれが文化になるまで愛し続けることが苦手な民族なのかもしれない。戦後プロレスが国民的な人気を博したと聞くが、今はそのような状況ではない(近年の新日本プロレスの再興などは知っているものの)。サッカーも同じ歴史を歩む可能性はなくはないと思う。

サッカーの本質を楽しむこと

では日本のサッカーが今後100年単位で廃れることなく万人が楽しむエンターテイメントとして残るには何が必要なのか。
それはサッカーの本質を理解して楽しむことだと思う。なぜサッカーというゲームが面白いのかということをサッカーのボールゲームとしてのルールの中で理解するということだ。

欧州や南米では例えオフシーズンでも延々と個々の選手のプレーを評価したり論じあったりしているようなテレビ番組があったりするが、日本では受け入れられていない。その代わり相対的に日本のサッカーを盛り上げるという文脈ではサッカーのプレー以外の部分が語られることが実に多い。選手の私生活に密着してみたり、女性をターゲットにした環境やグッズの開発、試合前後のイベントなどなど。これを否定するつもりは全くない。私自身これらを楽しんでいるし、Jリーグの観客動員が増えるなど結果も出ていて素晴らしい取り組みが多い(私の妻もJリーグ各クラブの取り組みに興味を持っている)。

しかしその素晴らしい取り組みで獲得した多くのファン、いや、最古参のJリーグファンでさえ、いざプレーの具体的な話になると一歩引いてしまっているように感じる。どのプレーがなぜ良かったのか、悪かったのか、ということを自信を持って語ることのできるようになる環境が整っていない。だからJリーグのスタジアムではチャントは揃っていてもプレーに対するリアクションが一定ではない。自分のチームがボールを下げたことに対して不満を抱く人と高評価をする人に別れるような状況がある。プレミアリーグなどを見ているとチームのプレーに対するスタジアムの評価はかなりの割合で認識が統一されているように感じる。ここの差はまだまだ大きい。

度々プロレスを引き合いに出してしまって恐縮なのだが、プロレスの面白さの本質を分かっている人はたとえプロレスが国民的な人気ではなくなったとしても根強くファンであるし、そのような人に語らせると止まらなくなる。このようにどのプレーに対して面白いと思い、どのプレーが素晴らしいと思うかということを日本のもっと多くのサッカーファンが突き詰めるべきなのだ。そして100年後にはツェルマットの欧米人たちのようにその日初めて集まった人たち同士でもサッカーを見て同じように楽しめる日が来ると良い。

次の一歩として

Jリーグに限ったことではないがゴール裏問題というのがある。
私の周りでよく見かけるのはチャントを歌っていない人間がいるとか、飛び跳ねていない人間がいるとか、応援ではなく野次を飛ばす人間がいるとかという議論で、このような議論もより一体感のある良いスタジアムを作る上で大切なことなのだが、その変は表面的というか、人ごと場合ごとによって楽しみ方が変わる部分でもある。私も90分飛び跳ねて応援するときもあればビール片手にチャントにだけ参加することもある。
なのでもう一段階次の議論として、なぜあの素晴らしいプレーのあとスタジアムで拍手が起きなかったのか、なぜあのプレーで盛り上がらなかったのか、みたいな議論が出てくると良いと思う。

また、Jリーグのスタジアムにはサッカーのプレーのことはよく分からないけど地元のクラブや頑張っている選手を応援したい、スタジアムの雰囲気が好きなど、いわゆるライトなファンもたくさんいる。そのような方々が都度都度の盛り上がりや勝敗だけでなく、少しでもプレーそのものを楽しめるようになると素晴らしい。

そしてそのためには前提として各チームがどのようなプレーを志向し、各選手にどのようなプレーを求めているのか、ということが明確である必要がある。これは監督に依存するところが大きいが、これが明確でないとサポーターは各プレーをどのように評価してよいのか分からない。逆にチームのプレーモデルを明確にしてくれる監督がいると見る側の目が開かれる。
これは以前 note に書いたことにも通じるし、グアルディオラ監督やクロップ監督など、志向する戦術がそのままバズワードになるような監督が率いるチームが現在世界のサッカーファンを魅了していることも偶然ではないと思う。

なんだか偉そうにつらつら書いてしまったが私もまだまだサッカーの本質を分かっていると自信をもって言えるような人間ではない。なので日本のサッカーが自分の孫の世代にもっと盛り上がっているように楽しみ続けていきたい。

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