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中学「受検」をしてぼっちが極まった!?(人生振り返り②)

 知的好奇心と自尊心を満たすため(?)に小5で始めた塾通い。しかし、このときも母は私の成績よりも、私の友人関係に気を揉んでいた。
「友達と遊んだりしたほうがいいんじゃない?」
「小学校生活楽しんでる?」
2つ目の問いにお答えしよう。小学校最後の一年間は対人関係がうまくいかなすぎて、まったく楽しくなかった。

 小学5年生までは学校のクラブ活動で合唱をやっていた。たしかそのころのスケジュールは
月:合唱 火:塾(普通の理社)水:塾(適性検査)木:英語→塾(普通の算国)土:合唱
 うろ覚えだがこんな感じだった。まだこのころはクラスの子と遊んだりもしていたと記憶している。

 小学校6年生になってから合唱をやめた。塾の夏期講習とコンクールがかぶっていたからである。合唱のことは別に好きではなかったし、未練はない。しかし、これによって友達と過ごす時間が減ったからだろうか。教室で仲の良い友達というものがいつまでもできなかった。英語が同じ子、塾が同じクラスの子、去年仲良くしてくれた子、大体みんな別のクラスで。私は新しい友人を作ろうとせず、休み時間はひたすら図書室にこもっていた。

 でも、塾は楽しかった。上に書いたように私は週3回塾に通っていた。火曜日と木曜日は受験しない子と一緒に受ける学校の予習のような授業。それも楽しかったが、一番は水曜日の「公立中高一貫校対策」のための授業だ。

 公立中高一貫校の適性検査において中学範囲の先取りや知識の詰め込みは必要ない。問われるのは知識よりも思考力や表現力だ。そのため、ほとんどの問題が記述だったり、問題文が太郎さんと花子さんの対話形式だったりする。その水曜日の先生が面白い人で、楽しい語呂合わせを教えてくれたり、声を使い分けながら対話形式の問題文を読み上げてくれたのを今でも覚えている。

 そんなわけで塾「は」好きだった。同じようなレベルのみんなが同じ方向を向いて、勉強にいそしんでいるから。でも、小学校では一人だった。

 「別に受かれば中学からはみんなと違う学校だから仲良くしたって意味ないし」心の中で言い訳しながら一人で放課後を待つような生活をしていた。
(結果として合格していたからよかったものの、落ちていたら小学校のほとんどが進学する地元の中学に行く予定だった。)

 そんな一年を過ごしていよいよ中学生。しかし、対人関係の悩みをひきずったまま新たな悩みを抱えることになるとは思っていなかった。
人生振り返り③につづく、かも


 

 

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