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自分のワークシフト/ライフシフト的なことについて、けっこう赤裸々に書いてみる

今回はライフポートフォリオ的なことについて書きたい。

でもまずお断りしておく。
目に見える行動としては、すでにワークシフトなどを実践し始めている他の方々とさほど変わらないかもしれない。
が、それにいたったプロセス、突き動かされる理由的なものが、ちょっと普通ではない、変わり者、つまり変人だとの自覚はある。しかしこんな変人は少なくないであろうと直感してもいる。

1.まず、なぜ「シフト」なのか

長年Facebook投稿を続けてきた中で、よくよく考えてみると「シフト」という言葉を多用していることに気が付いた。

リンダ・グラットン女史の「WORK SHIFT」「LIFE SHIFT」などが流行る前から、この「シフト」ってコトバはずっと使ってきた。
※「WORK SHIFT」とは、2012年にベストセラーとなった本。サブタイトルは「孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉」というもので、2025年をターゲットにしている。
あれからすでに6年経過し、2025年まではもうあと6年だ。ちょうど中間点なのである。(「LIFE SHIFT」はその続編である)

ちなみに、WORK SHIFTでは、世界規模の研究が描き出す2025年のに働く人の日常、が描かれている。
ざっくりいうと、
「漫然と迎える未来」には孤独で貧困な人生が待ち受け、
「主体的に築く未来」には自由で創造的な人生の選択が可能
どちらの人生になるかは、あなたがワーク・シフトできるか否か次第だ、といった内容である。

ここ、覚えておいてほしい「あなた次第」。

さて、話を戻し、わたしがいつから「シフト」って言葉を使いだしたか。それは遡れば約10年前だった。
わたし自身が、幼少期に中米のメキシコ、ベネズエラに住んでいた経歴からの興味もあって、マヤ族のアレハンドロ大長老が来日公演、そのスタッフをするご縁ができ、関わることになったのだ。

※マヤの中でも中核的なキチェ族アレハンドロ大長老とエリザベス女史

その話と同時に、マヤに伝わる預言(予言ではない)を世界へのメッセージとしてドキュメンタリー映画に仕上げるプロジェクトがあり、その日本側事務局として関わることになったのだ。

その映画タイトルが、「SHIFT OF THE AGES」だった。時代の変化、ないしは、時代の変化に気づきし者たち、といった意味だ。

※ぜんぜん伝わらないと思うので、「なにそれ」を解決
アメリカの若手映像プロデューサーが先住民系の取材の仕事のご縁のなかであるときマヤ族のシャーマンから、
「おぬしはマヤの叡智を近代社会に広げるさだめられしものなり!マヤと行動を共にし、マヤの叡智の深部を記録すべし。わかりたか!」(口調はわたしの妄想。)
的に言われ、本人もビビビときて、高給の仕事を辞めて、予算も手弁当でたった一人でそのプロジェクトを開始したのだった。イケメンだがとても真面目でシャイなスティーブ・コープランド君。

それを我々は、翻訳し日本語テロップ入れ、DVDパッケージデザイン、販売したのだった。
当時は、マヤ暦カレンダーで2012年12月21日以降がない!その日に世界が終わる!など終末説が流行し始めていた。映画「2012」までヒットする始末。

しかしマヤ族はこういった。
「マヤ族のわたしたち、滅亡なんて一言も言ってませんから!マヤのカレンダー、続いてますから!ビジネスにするんじゃないよマッタクモー!(ただし、シフトは起き始めてるがね。くほほほほ。)」(さらに調子に乗って相当わたしの脚色入りました。)

http://sotajapan.org/movie/
↑ これDVD販促ページ。
※ショートムービーもあるのでぜひ。

チラシも頑張った ↓

ちなみに、2012年世界滅亡説は本当にひどかった。
最も爆笑したのは、「マヤのカレンダーが終わる!」といって、だれもかれも、「アステカの太陽のカレンダー」の写真を使っていたこと(。-`ω-)。
何も知らない。誰も確認もしていないでシェアー。
間違った人のものを使ってまた間違いをどんどん流布する。ファクトを確認しましょう。

2.世界の先住民族も「シフト」って言ってる

わたしは現在、40代半ばのモバイル通信系のITエンジニアだが、
この短い人生のなかでも、いまほど時代が、既成概念をぶち壊し、そのきしむ音が聞こえるかとおもうほどに大きくうねりをあげ、さまざまなこれまでの「秩序」が機能不全となり、従来の在り方や暗黙のルールが一新されそうな時代はなかった、と感じている。

昭和から平成へ、バブル崩壊、インターネットの出現や、リーマンショックも経験した。9.11のときは親がニューヨークにいて冷や汗をかきもした。
しかし、2009あたりからの「ゾワゾワしたもの」はそれらの変化をはるかに超えていた。(わたしはそう感じた。)

そしてマヤの大長老の講演でも、ニュージーランドの長老の講演でも、
「時代の変化がとてつもない勢いでやってきている。備えよ!」といったことが言われ、それが自分のなかにあった言葉にならない違和感と一致した。
だから、前述の「SHIFT OF THE AGES」プロジェクトへの参画も、断る筈がなかった。

さて、先住民って、どのような印象をお持ちだろうか。
そのイメージによっては、人によってはつまらないオカルトフィクション、で終わってしまうかもしれない。しかし、歴史の長さを考えてほしい。
マヤ「族」とか「文明」とつけばその歴史は数百年~数千年と期間が限定されるが、アメリカ大陸に住みついたネイティブインディアンたち全体としては「一万年の旅路」を生きてきた。天皇家を神武天皇からとするならば2500年。その4倍である。ホピ、ナバホ、ラコタ、ユト・アステカ、インカ、オルメカ、多種多様だが、元はひとつ。

そんな悠久の歴史を旅してきた彼らですら、まさに「いま」が、人類の在り方や概念、精神性が一気に変容する時だ、と言っている。
そしてその変化はすでに始まっている、と発信している。
しかもそれは「預言」(予言ではなく、預言)として世代を超えて口伝されてきたものだという。「いま」このときのために。

マヤ族の大長老の講演会につづいて、各種先住民の講演スタッフをしたが、
ある種族の講演会企画が中止となった。
「日本に行きたかったが、大きなシフトが近いので、親戚の分まで畑を耕さないといけなくなった。忙しいので行けないわーごめん。」

えーーーっ!
インディアン、嘘つくーー!

それをきいて思ったのは、「ガチなんじゃん!!」だ。
種族によっては、日本で講演したほうが経済的に生活の助けになるところもあるはずなのだが、それよりも「畑を耕す」ことを優先された。
このようなことがあったため、自分のなかの言葉にならない心の落ち着かなさ、ザワザワ感と完全にマッチして、「シフトは・・本当だ!」と確信できたのだ。

このほか、スピリチュアルワールドでは、
「次元上昇」とか
「水瓶座の時代にはいった」とか
「ストーンクロックからウォータークロックの時代に変わった」とか
「コンシャスコンバージェンス(意識統合)の時代」とかいう。

目に見える天変地異でも起きるのか?
それとも意識変容による資本主義経済システムのバランスが崩れるのか?
予測不能な未来への不安と共に、変わりばえのない日常が大きく変わりつつあることへワクワクうきうきしている自分もいる。

3.でも、まだまだ変人・ヘンタイ扱い

しかし、そんな話を「ごく普通の人たち」にすると、たいてい「変人」「ヘンタイ」扱いである。
未来について考える暇もないあらかたの現代人は、忙しさを理由に今を生き抜いていることこそが、わざわざ言われなくても「マインドフルネス状態」なのかもしれない。瞑想か迷走かは知らないが。

しかしマヤの大長老ですら、「立ちあがれ!立ちあがれ!ひとつのグループも残すことなく!」と言っている。
ようは、祈ってないで、誰かが変化を起こしてくれるのまってないで、自ら行動せぇよこのバカちんが!
と言っているとわたしは解釈する。
変化がある一定の閾値を超えると、誰一人として、どこに隠れようが、その変化と向き合わざるを得なくなる。ひとつのグループも残すことなく。

なんで日本人がアメリカ大陸のネイティブインディアンの話で勝手に盛り上がってんのよ。という人もいるかもしれないので、日本のものにも触れておきたい。

日本にも、似た予言チックなものがある。
「日月神示(ひつきしんじ)」という。
岡本天明という信仰心強めなアーティストが、あるとき千葉の麻賀多神社というところでおさんぽしていたら、激痛と共に手が勝手に動きだし、紙に意味不明な記号を書きまくる事態となった。
(その場で見ていたらきっと「変人」など通り越して「キチガイなおっさん」とみて、速攻、距離を置くだろう。)
やがてそれは「(神の)お筆さき」「自動書記」と呼ばれ、解読も進み、それが麻賀多神社内の末社の「天之日津久神社」の前だったため、日月の神の示したもの、=「日月神示」と呼ばれるようになった。

その、「日月神示」にもかいてある。
「誰一人として、どこに逃げても、のがれられない」
「備え無きものは、死んだ方が楽と思うほど」

なんてニュアンスの、衝撃的な表現すらあるのだ。

はい、ここで、先頭に書いた「ワークシフト」のざっくりを思い出してみてほしい。

「漫然と迎える未来」には孤独で貧困な人生が待ち受け、
「主体的に築く未来」には自由で創造的な人生の選択が可能
どちらの人生になるかは、あなたがワーク・シフトできるか否か次第

リンダさんのワークシフトの「生易しさ」。
「マヤ」も「日月神示」も、あなた次第、なんてやりすぎ都市伝説みたいなファジーな表現はしていない。
もっとストレートに、「誰一人として逃れられない」と言っている。
恐怖を煽っているわけではない。自分は大丈夫だろう。自分は守られるだろう。自分だけは。人間は基本的に楽観思考なので、そう思い込みやすい。だから、きちんと現実を見て、すぐそこにある「変容の兆候」に敏感になり、行動を始めたほうが、どう考えてもよさそうだよね?ということだ。
すなわち、「自分自身と向き合えよ」ってことだと思うのだ。

4.ヘンタイ界でなくてもすぐそこに兆候はある

転がり始めた小石は、やがて大きな石を動かし、山体崩壊規模の土砂崩れへと拡大する。

企業活動においても、いまにも転がりそうな小石があちこちにある。
コスト削減と品質の向上、それを突き動かす無理なKPI、KGI、目に見えにくいパワハラ、プレッシャー。組織となると倫理観も暴走し、粉飾、偽装、うつ病・・・限界状態である。

リンダ・グラットン女史の「ワークシフト」「ライフシフト」のみならず、
昨今の本屋をここ最近プラプラしてみても、「マインドフルネス」「ホールネス」「Teal型組織論(生命体型組織)」といった、「既成概念を乗り越えた先の世界観を示唆」するようなタイトルの本が並び始めてきたことにお気づきだろうか。

先住民たちのアラートとはまたちょっと違った角度ではあるが、「精神性を高めよ」といった点では、似ているどころか、形を変えて世の中の事象がすべて同じゴールを目指しているように、わたしには見える。

この手の本がベストセラーになるのはもちろん「ニーズがある」からだ。
15年前だったらドヘンタイ扱いである。「マインドフルネス」なんてタイトルの本を手に取りレジに向かうのは、エロ本買うより勇気がいたかもしれない。
ニューエイジ系、オルタナティブ系ね~、ヘンプとか好きそうね~系な。

そんなカテゴリーの本が、今、普通に本屋に並んでいる。
誰もが、「本質」を求め始めている兆候だ。

しかし、だからといって資本主義経済やグローバリズムが一気に崩壊したとしたら・・
世界は混乱し、秩序は乱れ無法地帯化し、
それはそれは、想像を絶する地獄絵図となるだろう。
略奪、暴力、戦争となれば、Tealでいう「ジャイアニズム時代」に逆戻り。焼肉定食。弱肉強食。

ただ、そこまでネガティブに考える必要もないと思っている。

もし仮に、グローバルエリート(超大金持ち)たちが来たる大変革の事実を掴んでいたとしても、それはさすがに、(自分たちの既得権益を守るためにも)なんとか回避しようと思うだろう。
文明の転換は、「群衆蜂起」によって行われてきた歴史だと熟知しているからだ。完全回避はできないとしても、ゆるやかに降りていくエスカレータを設置するために世界は必死に協力するのだろう。と、思っている。

ただ、庶民がそんな心配をしていてもしょうがない。

兆候があるのはわかった。他人任せでなく、なにか自らも具体的行動を始めてこそ、シフトに向けた相乗効果が起きるであろうことも、まあ、理解できたとしよう。
では、庶民は庶民で、個々人、具体的にどのような行動をしなければならないのか?

「人生100年時代らしい。60歳以降なにも考えてなかった。」
「公的年金もらえそうもない?うそでしょ?」
「基本的にうち副業禁止だから、規則を守って、本業一本さ!」
「退職金は401k確定拠出型年金制度でリスク負って自分で増やせってさ。でもきっと増えるんでしょ?」
「定年は伸びそうだが、いまの仕事を70歳になっても続ける知力も体力もありましぇーん。運動?してましぇーん。」
「親友とより、ローンとの付き合いのほうが長いかな、末永くよろしく!」
「年収高いぜ。でも血糖値とLDLコレステロールも超高いぜ。」
「個人事業主ですが、いまは順調だけど未来は不安。そしていま・・思えば半年くらい休んでません。」

これらひとつもヒットしないひとは、すでに備えができている人かもしれない。
そうでない、このような状況のひとが大半を占めているなか、いったいどうやって、「不安サイド」から「ワクワクサイド」へシフトすればいいのか。

5.誰もが「哲学」しないといけなくなる

まず、人生100年時代ってことがわかった時点で、誰もが「哲学」に触れなくてはならなくなるだろう。

自分は○○株式会社のエンヂニアです、ぢゃない。
それは100年のなかのほんの数十年だ。

その後のあなたはナニモノ?
あなたは、なんのために生まれ、何をするためにこの星にいるのか。
この哲学することから逃げていると、コンセプトなく目に留まる手段だけに飛びつくことを繰り返す人生になりかねない。
人生プランは、人生デザインがなければたてられないし、
人生デザインは、人生コンセプトみたいなものがなければ描けない。

良い大学を出て、良い企業に入り、出世して、(たとえば)年収X千万以上、広い家、高級車・・・が人生の夢だとしたら、なんと物欲に満ちた悟りから遠い世界だろうか・・まだそんな幼稚な精神レベルの人はこの地球にいるだろうか。

前述したように、すべての人が、そこを避けて通れなくなるのは時間の問題だと思っている。
枠組みが今、大きく変わろうとしているのに、また先行したどこの誰とも知らない人が作った「パターン」に自分を押し込むことにあなたは耐えられるか。
哲学か信仰めいた「何か」を自分の軸として持っておかないと、今後も永遠に変化に振り回され。苦労するだけの100年人生となるのが目に見えている。それであなたは、ワクワクでるか。

6.で、わたしシフト。わたシフト。

ちなみにわたしは30代のころからこんなことを計画し、ちまちまと実行している。

横軸は年齢。縦軸は年収イメージ。縦軸の数字は特に意図はない。10刻みで作り始めたら足りなくなり付け足したら12になった。12=1200万ではない。自分のトータル年収との比率、で見てほしい。

まぁ、これだけ明確にグラフにすれば、特に説明も必要ないだろう。
親に資産があるとかいうラッキーな人を除き、日本のあらかたの一般的労働者のかたがたは、図のように
「従来型スタイル」から「未来型スタイル」に思考をシフトさせ、実際に転換できる行動を起こしていかないと、少なくとも経済面では皆窮地に立たされるのは間違いないだろう、ということである。

わたしは10年前の35歳くらいから始めたが、それを過ぎたひとであっても、もう遅い!ってことはない。絶対だ。
励ましでなく、そう「保証できる理由」がある。
10年前と明らかに違うもの、それは、SNSの機能の進歩と、利用者のリテラシーが高まったこと、だ。飯テロや自慢日記のレベルから、もっと高度な発信をするための使い方になってきている。
これは10年前のわたしからしたら本当に羨ましいことだ!

さて、わたしの具体的状況に移ろう。

現在、サラリーマンではそれなりに満足な給料セグメントであるため、それ以上の出世は避けている。ピーターの法則のごとき「無能」におさまりたくないし、なにより1企業にかける時間が惜しい。

労働組合も、脱退した。
まず、税金のごとく組合費を払いたくない。月5000円として年6万、10年60万円である。自分だけの金銭的わがままで辞めたわけではない。
数年間はきちんと組合に入り、さまざまな活動を見た結果として、労組の存在意義は戦後の高度経済成長期とは違い、現代には必要ないとハッキリと感じたからだ。悪い面も見えた。

投資もちょいちょい勉強している。サラリーマン大家さんをしている。株その他では大失敗もした。

SNSやリアルコミュニティ、ボランティア活動等で会社以外の人脈を増やしている。(ここでは「発信=OUTPUT」がとても大切だ。これについてはまた死ぬほど長くかけそうなので別の機会に。)

そんな繋がりから、ホームページ作成やマーケティング戦略のお手伝いなどの複業でありがたきお小遣いを頂き、それをまたさまざまな活動の交通費や、誰かのボランティアの後押しに使ったりしている。
※副業ではなく複業なイメージ。福行でもいいんだが。

これは、リンダ・グラットン女史流にいえば、「ライフポートフォリオ」。
偉そうに自慢できるほどの派手な結果も成果も何一つないが、べつに大金を稼ぎたいわけではない。
ただ「今後歳をとっても、生活に追われることなくやりたいことをやるために」生活基盤がゆるがない程度の状態、はつくっておきたい。

まだまだ道半ば。

自分の人生ミッション的なことはぼんやりきめている。
しかしここであまり高尚なことはやめておこう。しいていうならば、

「問題の一部であり続けるのではなく、解決の一部となりたい」のだ。

会社の会議であまりに崇高なことを語ってしまうと、
「それ世界平和を目指しますって言ってるようにしか聞こえませんよww」とか突っ込まれることもある。
正直、わたしは心底ムっとする。
じゃきくけど、世界平和目指さない事業なんて、そんなあってもなくてもどっちでもいい事業なんて、やってる意味あんのか?このたわけっ!
と思うわけである。

しかし”そこ”へ意識が向いていない人に対してそれを押し付けるのは、わたし側のエゴ。抑えるのだ。
ヘンタイが市民権を得るまではまだ時期尚早。呼吸を整え、意識を中庸に戻すのだ。

他人にイラつかされようが、このポートフォリオを趣味かライフワーク的に、とにかく手は休めずこつこつ続けている。

みなさんは、どんなことしてますか?

わたしはそんなはなしがしたい。そんなこと、カッコつけず、晒して話せる人と、繋がりたい。
人を馬鹿にしたり、知識をひけらかしたり、比較したりするのではなく、自分の成功も失敗も誰かのためにオープンにできる人に、心からリスペクトできるし、わたしもそうでありたい。

7.自分のライフシフトをシェアする人が増えた世界は

ところで、こういうことはみな発信したがらない。
(少なくともわたしにはそう見える)

いたとしても、うまくいっている部分だけ見せる。あとは隠すのが人ってもんだ。

よく目につく発信としては、自分のシフトを「成功」体験と称してセミナーを開いて起業支援とかコンサルビジネスにしてるひとばかり。
突き抜けたオーラを放つクリエイターやアイデアマンはいるといえばいる。でも割合的にはごく少数かもしれない。

会社辞めて独立、ちょっと先行く自分のライフシフトを深みのないコンテンツとし、キャッチーな発信でオーラが胡散臭い人、の方がその50倍はいる。
ビジネス、利益に必死であり、そのビジネスの結果が自身が描く成功=ゴールであるようなもの。
noteサーフィンすると、その臭いを醸し出している有料コンテンツも多そうだとわかった。いわゆる「情報商材」ビジネス目的のnote利用。
成功ってなんだ?いったい、なんのために稼ぎたいんだ?

こんなブログもあった。
「noteがどんなものか試すために3000円の有料コンテンツを買ってみた。こんなので3000円?ぼったくられました。成功したければ、自分も同じことをすれば儲かる。そう、アナタが買ったようにと。そこにノウハウなど何もない。マルチと変わらないじゃないか。有料noteは注意せよ。」

てなかんじだ。
ちょっと結論が単純すぎるかもしれないが、一度でも「被害者」になればこう言いたくなるのもわかるじゃないか。

シフトに向けてヘンタイ化が求められている日本、
そういう情報ばかりがはびこると、ますます日本的な真面目なタイプのひとびとは、ヘンタイ界から目をそらしてしまう。

しかし、隠れて行動中の人は多々いる。間違いない。
「副業禁止」が言いにくくさせていたり、
「言うなら成功してから」といった心理のせいだろう。

先日も職場の50代部長が転職するというので、いろいろ話した。
他から見ればごくふつうのサラリーマンだが、どことなく自分と同じにおいがしていたのだ。そんな部長とお酒飲んだら大暴露、不動産・株などの投資、NPO、有限会社、なんでもやっていた。
だからこの人の会議での発言、視野の広さが別格なんだ、超納得・・と感じるわけである。

そう。
複業をはじめると、サラリーマンだけでは知り得ない世界を知ることになるため、意識せずとも脳のニューロンが新たなシナプスで結ばれまくり、OUTPUTのクオリティがどんどん向上するのだ。
隠れてでも複業をしているひとは、いわゆる本業側で、まわりから「いろんなこと知ってるなぁ」、「この人優秀だなぁ」、「経験豊富風だなぁ」、「この人がいうなら間違いないなぁ」といった評価を受けている人は多いと思う。
そんな人たちは「類は友を呼ぶ」そのままに、引き寄せ合う。
あ、なんか、このひと違うな、なんかやってるな、は、ほぼ当たる。

外交情勢や経済も「行き詰まり感」だらけの日本。
もっと日本、ポテンシャル高いはずなのになーと思う。
というのは・・・たとえば、マヤの長老もニュージーランドの長老も「日本人、立ち上がってね!あなたたちが目覚めるの、待ってるから!」と言っているのだ。

リップサービス?いやいや。むしろ怒ってる!なにしてんのさ!はやくしてよ!と。
(なぜ日本が?についてはまた別の機会に。選民思考とかそういう類の話ではないのだ。)

とにかく、日本、そして世界の未来をもっとワクワクにしたいじゃないか。

それには、もっと素のままに、ありのままに、思ってること、やってることを恥ずかしがらず発信しあって、
プチ協力、プチ協創しあえる仲間を見つけ、
しっかりと繋がりあう、ことだと思う。

オンラインサロン等で閉鎖的にならず、
そういった繋がっていくプロセスや行動、活動そのものをオープンに晒していくことで、
そういったシフトやヘンタイ界にまるで興味もなかった人たちがやっと、はたと気づき始めるのだ。あ、なんか楽しそうだな、と。

さっきはリンダ・グラットン女子の「ワークシフト」を「生易しい」などとディスりもしたが、最後にちゃんと、その発信の核たる部分については共感しておきたい。

・「食えるだけの仕事」から意味を感じる仕事へ
・「忙しいだけの仕事」から価値ある経験としての仕事へ
・「勝つための仕事」からともに生きるための仕事へ
金儲けと消費→価値ある経験
孤独な競争→みんなでイノベーション
覚悟を持って選べば、未来は変えられる。

そうよね。リンダさん。ほんとに、おっしゃる通り。素敵っす。

そして、加えさせていただくならば、
これからの時代は、「分離」から「統合」へ。
「依存」から「自律」の末の、「調和」へ。
ユニティを作って、みんなでエボリューション(進化)!

※ちなみに、「経済」面だけでなくまだまだ書きたいことがある。それは別の機会とするが、キーワードだけ書いておくと、「健康」と「農」だ。
このふたつは、人生100年時代に必要不可欠であり、また、密接なに絡んでいる。
どれだけリッチでも、不健康では意味が無い。
どれだけリッチでも、自給率が低ければ意味が無い。

以上、大した内容でもないが、恥ずかしながらいろいろ晒してみたが、こんな私で良ければ、ぜひぜひ繋がらせていただき、いろいろ情報交換させていただきたいなぁ、と、思います。こう見えて人見知りなので、繋がってから壺とか売りつけたりしないのでご安心をw

☆facebookのほうが投稿は活発です。
https://www.facebook.com/nishimura.keiji.5

ところで自分の長文力が怖くなってきた。
1万字ってどういうことだよ。
まじで本でも書く気かよ。
天之日津久神の自動書記かよ。
ではこのへんで。

問題の一部であり続けるのではなく、解決の一部でありたいと思っています。