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物も申す系オタクのスタンス

最近オタクをやるうえでのスタンスが固まってきたかなと思うので、一旦言語化しておく。


正しさをあなたにだけ背負わせたくない

好きになってから約1年間は、「ばーのんちゃん(当時)の考えと行動は全て正しい」という価値観でオタクをしていた。
それはある意味で正しかったと思う。バーノンさんの生き方を学ぶことで私の人生はずいぶん楽になった。

当時は、人を好きでいるうえで「憧れる」ことは無条件に良いものだと思っていた。執着と比べれば明らかにネガティブな感情が少なく、人を傷つけることがない……そう思っていたのだけれど、違った。
ファンになってから1年ほど経った後に出たバーノンさんのソロ曲「Black Eye」の歌詞で、私は考えを改めざるを得なくなった。

バーノンさんはこう歌った。
「僕の何を知っているの?僕には何もないよ/君の輝きを僕に無駄遣いするのはやめてくれ」
もちろん全てがバーノンさん自身の思いというわけではないだろう。でもこの歌詞は私に、「無条件に憧れることは憧れられる対象にとっては負担にもなり得る」という見方を気づかせた。

バーノンさんは全知全能の神ではない。私と2歳しか変わらない一人の人間だ。
人間一人に正しさの全てを背負わせてしまっては重たすぎる。
だから今では私はバーノンさんを神格化しない。等身大の人として見、人として好きであり、人と人同士として何をどう伝えどう表現すればよいかを考えながらオタクをやっている。

オンラインで送れるファンレターに、ネガティブな内容を盛り込んで送ったことも一度ではない(二度だ)。
それは一つは「ソロ曲を聴いて、ファンにできることはないのかと寂しくなった。あなたが歌の中でだけ表現するようなネガティブなことを、普段からも恐れずに開示してほしい」ということ。
二つ目は「ライブの最後の挨拶で一人だけ笑いに走って、ファンが話を聞いていない状態になったのが悲しかった。もっと自分の伝えたい言葉を大切にしてほしい」ということだった。

目に留まる確率は低いしそれが実際に影響を及ぼせると信じるのもおこがましいが、それでも、きっとバーノンさんが一人で気づくのが難しいことで、バーノンさんにとってプラスになることなら伝えたいと思う。
それにどちらも私の正直な気持ちだった。

こうした私のスタンスは、「アイドルとファン」という関係性に鑑みれば不適切な点があるだろう。
でもアイドルをやっているのは人だ。
何百人のファンがどんぶらこと流されていくようなイベントでも一人一人としっかり目を合わせてくれて、ファンの一人の人としての尊厳をその眼差しで守ってくれるバーノンさんには、一人の人として応えたい。

あなたの幸せだけを願ってはいない

私はバーノンさんがいつも幸せでいるようには願っていない。
人なら落ち込む出来事にも出合うし苦労もする。それがない人生が豊かだとは思えない。
明らかにメンタルが弱いアイドルならまだしも、バーノンさんなら、たいていの苦労は自分の糧に変えて結果プラスにするだろう。
これは人としての信頼だ。バーノンさんだけではない。周りの友達にも思っている。つらくてどうしようもなさそうな時以外は、不必要に口を挟まないことにしている。

そもそも、人を心配するのは自己満足だ。自分を心配するのはきついばかりだけれど、他人を心配してあれこれ口を出す時には、たぶん何かの物質が脳から出ている(うちの母親とか特にそう)。

人の心配をする前に自分の心配をしろ。人の幸せを願う前に自分の幸せを願え。
私はバーノンさんの幸せを願える器ではない。その前に自分の幸せのためにやりたいことがありすぎる。

ファンレターでも、幸せでいてということはあまり書かない。思っていないので。
それよりは、今回の公演であなたのこんなところが良かった、私はこんなふうに感じてこんなふうに楽しんだということを詳しく書く。
それが、一人の人として目の前に立つ方法だと思う。
物理的にバーノンさんの目の前に行ける機会はものすごく限られている。せっかく文章を書いて送ることが許されているなら、その中でできる限りのことをしたい。

最後に「stay healthy and happy」とは書き添えるが、こう書くのは、バーノンさんがライブの最後の挨拶でいつも言っている言葉だからだ。

ギブばかりでもテイクばかりでもおかしい

私ははじめのうちはバーノンさんから生きやすい生き方を学び、今はインスピレーションを得るために見続けている。
私はバーノンさんを足がかりに私自身を成長させる一方で、ファンレターや現場での振る舞いを通して、それから13人から彼を選んだファンという存在として、バーノンさんのためになりたいとも思っている。つまり、Win-Winでありたい。

「ひたすら推しの幸せを願うオタク」にも通じるが、アイドルばかりを幸せにしてオタクの幸せがおろそかになってはおかしい。
アイドルが幸せなら私も幸せ? 自分の幸せを他人に委ねるな。誰しも、自分の人生で自分として幸せになる権利と力がある。それを信じて行動するかどうかだ。
それに、SEVENTEENは今や世界一CDを売るグループだ。世界中から愛されている。幸せでないことがあるか。

反対に、アイドルをコンテンツやサービスとしてだけ見て、自分が楽しめれば何でもいいというオタクもいる。これもおかしい。アイドル本人やそこに携わる人たちを人だと思っていない。
お茶の間で楽しむだけなら何も文句はないが、接触イベントにまで出向く人でこれなら、アイドルがかわいそうだ。ファン対応でああだこうだ言うならホストのほうがいいと思う。彼らはその道のプロだ。

自分で受け取って自分を幸せにし、その分だけ相手を幸せにするような行動をする。それを受け取って幸せに換えるかどうかは相手の自由。
取りまくって逃げるのでもないし、もらった分を遥かに超えて与えるのでもない。
また、そのギブアンドテイクの単位はお金が全てではないと思う。もちろん最低限のお金は払うけれども。

あなただけが知っていることがあれば、私だけが知っていることもある

バーノンさんはめちゃくちゃ博識なので、特に音楽や映画の知識には全然ついていけない。
バーノンさんが良いと言うものにすぐに良いという感想を抱けないこともざらにある。正直よくわからないものが多い。

そんなバーノンさんと同じような趣味を持っているバーノンさんのファンは世界中にたくさんいて、バーノンさんはそういうファンたちとの交流をイベントやSNSで頻繁に楽しんでいる。
かなり落ち込む事実だ。しかしこう考える。

私はバーノンさんの好きなものをよく知らないけれど、その分、バーノンさんも私が聴いているJ-POPや好きだったアイドルたちを知らない。バーノンさんだけが知っているものと同じくらい、私だけが知っていることもたくさんある。
そんなのは当たり前のことだ。友達相手だって家族相手だってそうだ。

大事なのは、知りたいと思うかどうかだ。今バーノンさんが選ぶものからはバーノンさんの今の思考が見えるので、できるだけ知りたいと思っている。
時間が許す限り音楽も聴いているし、お金が許す限り映画も観ている。

バーノンさんの幼い時のこと(子役をしていた)や、デビューしたての頃のこともよく知らない。でもこれはあえて知らなくていいと思っている。
だって、当時知ったとしてもべつに好きにはなっていないだろうから。当時の写真や映像を見るだけでそう思う。
ここまで月日を積み重ねて変わってきた今のバーノンさんが好きだ。大事なのは今だ。今に過去も全て入っているのだから、あえて過去単体で好きになろうとする必要はない。

私から見えるところにい続けてくれてありがとう

という言葉を、バーノンさんに対して書く時によく使う。

生まれてきてくれてありがとうと思わなくはない。でも、生まれてきただけでは私はバーノンさんを知ることができない。
アイドルになったからこそ私はバーノンさんを知ることができた。私はずっとアイドルオタクをしてきたので、アイドル以外の職業、たとえばアイドルでない歌手とかだったら知るのも好きになるのも難しかっただろう。だからアイドルになってくれたことはありがたいかもしれない。

でも、それでは本質的ではないような気がする。仮にバーノンさんがアイドルをやめたとて、私はバーノンさんを好きでいることをやめないだろうから。好きな音楽と映画をたまに教えてくれて、ごくたまーーーに趣味で曲を作って聴かせてくれさえすれば、今まで通り人生のど真ん中にい続けると思う。

それで私は、「私から見えるところにい続けてくれてありがとう」という言葉を使う。
生まれてきたのはバーノンさんの意思ではないが、たくさんの人から見えるところに立ち、自分自身を発信し続けているのはバーノンさんの意思だ。その意思のおかげで私はたくさんのものをバーノンさんから受け取ることができているので、その意思にありがとうと言いたい。
たくさんの人の前に立ち続けるということは、決して簡単なことではないと思う。


他にもいろいろあると思うけれど、また別の機会に。


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