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福岡 :人生の話

神戸編から読んでいただいたほうがいいかも。

神戸から夜行バスでそのまま福岡の実家へ。火曜日は1日中寝て、水曜日は同級生のお父さんがやっている喫茶店に挨拶に行った。ここ1、2年、両親はこの喫茶店に入り浸って話を聞いてもらっているらしい。ただでさえ狭くて変化のない町なので、2人きりになり続けない環境でよかった。ずっと2人でいたら険悪になるわよね。

ご主人(同級生のお父さん)はデヴィッド・ボウイの大ファンだそう。いじめられていた学生時代、ボウイの音楽に惚れて「学校なんてたいしたことない」と思えるようになったというエピソードを聞かせてくれた。いつの時代も、スターはファンを救い、その人の人生になる。

木曜日には、福岡在住のジュンペンさんとご飯を食べた。何度も長電話をしたことがある、最も仲の良いCARATの1人なのに、今までことごとく現場が被らず、今回やっとお会いできた。身長が同じくらいのようで、バチッと高さが合う目線が初めましてとは思えず嬉しかった。

10代の頃いつも遊びに行っていた天神駅に巨大なSEVENTEENが出現していて、いつも友達の誕生日プレゼントを買いに行っていたお店や、忘れられない映画を観た映画館や、生徒会のボランティア中に通った通路にもメンバーの等身大パネルがあり、私はずっと混乱して興奮していた。止まらない思い出話をひたすらジュンペンさんに聞いてもらう。

ジュンペンさんは福岡に来て4年とのことなので、もう6年近く東京にいる私とは住んでいる時期が被っていない。私の青春の全てが置き去りにされているこの街に、新しい馴染みの友達と、新しい馴染みのアイドルがいることが不思議で仕方がなかった。

ジュンペンさんおすすめのお店でご飯を食べている間、私たちはほとんどSEVENTEENの話をせずに、互いの認識と表現の話をしていた。こういう話ができる相手のことを、私はほんとうに大切にし続けたいと思う。

金曜日は、両親と太宰府天満宮のめちゃめちゃカッコいい仮殿を見に行った。太鼓橋でギュペンさんハオペンさんの2人連れとすれ違った。CARATがいるだけで芯から幸せになるのはなんでだろう。


そして土曜日。父親にPayPayドームまで送ってもらう。百道浜はまだ小学校にも入らない小さな頃から遊びに来ていた場所。ホテルから帰りたくなくて、ベッドの上で脚をぱたん…ぱたん…とさせていたチビLEONの逸話は、我が家の鉄板ネタだ。朝福岡に到着してそのままサウチェに行ったミンギュペンと合流。冷たい風が吹き荒び、居場所に迷う。ピックアップブースの手前でFFさんたちと大集合。

1塁側スタンドの、上から数えたほうが早いけれど、とても見やすくて意外と近い席だった。PayPayドームってこんなに狭かったっけか。生まれて初めて行ったライブもここ(当時はヤフオクドーム)だったけれど、もっと大きくて遠い気がした。まだ上のほうの席だったのかしら。

いざ開演すると、ギュペンの隣も私の隣もがっつり掛け声をするCARATさん。環境に恵まれた!ここぞとばかりに声を出す。私の隣の方(誰ペンかわからなかった)はライブ経験が少ないのか、全てに新鮮に驚いてはべしょべしょに泣いていて可愛かった。あなたが幸せで私は嬉しい。ギュペンの隣の方はライブ慣れしている様子で、何度か励ましの言葉を掛けてくださった。心強い味方だ。

終演後はギュペンと、木曜日のジュンペンさんと中華バイキングへ。美味しすぎて大満足。両親と合流し、車でジュンペンさんを送り、ギュペンは我が家に。思った通り、2人ともうちの両親と相性良い感じ。2人がどう思ってるかはわかんないけどね。

小1から高3まで過ごした私の部屋に、大学で出会ったギュペンが泊まった。ずいぶん昔からそこにいた気がする。私は両親と過ごす時けっこう気を張るというか、気を遣ってかなり疲れるのだけど、ギュペンの彼女がいてくれると、不思議とその緊張がほどけた。

日曜日はドームの隣の商業ビル・マークイズのフードコートに居座った。この建物は私がいた頃はなかった。今検索したら、2018年11月開業ですって。私はすでに東京の大学生ですね。1つのテーブルにFFを全員呼び寄せて、入れ替わり立ち替わり挨拶し通し。席が空くのを待つCARATたちの目がちょいと痛くて、SHAKE SHACKほど快適にはいかなかったけれど。スマンね…。

オーラスの席は3塁側スタンドの注釈席。後ろと右前が掛け声ガチ勢だった。目の前の2連はペンラすら振らずパフォ中も謎にボードを持ち続ける地蔵だったのだけれど、んなもん知るか。声を出すヤツが正義です。

泣いても笑ってもこれが最後。ここで死んでもいいというくらいに叫んだ。翌日は無事、声帯が大橋和也(なにわ男子)になった。よくやり切ったと思う。

福岡の2日間は「楽しい」が一番大きかった。泣いたのは一度だけ。オーラスの開演前、お手洗いに並んでいたら、入場する人波の中に、顔を一方的に知っているだけの高校の後輩を見つけた。彼女はきっと私を知らないだろう。でもあの子と私の人生は、SEVENTEENという一点で再び交わったのだ。見つけられないだけで、同窓生も、現役生もきっとここにいることだろう。あの頃私が他のアイドルを好きだったように、誰かの青春は今、SEVENTEENだ。みんな生きてる、と思って、少しだけ泣いた。


FOLLOW TO JAPANが終わってしまった月曜日、空港へ向かう前に、ジュンペンさんと母親が通っていて私も以前よく行っていた福岡アジア美術館に、ギュペンを連れて行った。私よりもうんと遅い歩調でじっくり作品を見ていたけれど、どうだったかな。何か1つでも良いものを持ち帰れていたらいいな。

展示室で見かけた方がディノペンで、ロビーのベンチで声をかけてウエハースのステッカーを渡した。これ、持ってなかったんです!と言って、とても喜んでくれた。

実は前の夜に、もう明日は疲れているだろうから遅く起きてどこにも寄らずに帰ったら?と母親に言われていた。私は、せっかくギュペンが福岡に来てくれたのだからライブ以外にも思い出を作ってほしいと思って、遅い飛行機を取っていた。それを話すと母親は手を引っ込めてくれたが、疲れた体には酷で、1人残された部屋で泣きそうになった。

母親は極度の心配症で、私が何をするにも、こうしたらこうなってしまうんじゃないか、こうしたほうがいいんじゃないかと自分のおすすめを押しつけてくる。私ももう大人だから、良かれと思って言っているのはわかるのだけれど、それでもずっと晒され続けると、自分の選択がことごとく否定され続けるようでつらい。だから上京するまでは、着る服も食べるものも生活ルーティンも、全て母親に任せていた。選択して無駄になるなら、最初から選択しなければいい。

父親も父親で、生活習慣には全く口出ししないけれど、父親が評価するカルチャーが全てだという姿勢を貫いていて、私がアイドルの話をする時は父親の興味を惹くような切り口で話さないと耳を貸してもらえない。私が何かを好きになっても、「きっと父親からしたら取るに足らないものだろう」という考えがついて回る。

両親とも高齢なせいもあるけれど、アイドルのファンになる心情は理解してくれない。理解できないのは無理もないと思う。でも、盛り上がっている私を見て「やれやれ、熱いね」というような反応をされるのは、内心傷つく。おかげで私は、感情を表に出しすぎるのは滑稽なことなのだと考えるようになった。人前で泣くのは得意じゃない。楽しい時は声が大きくなるし、興味がない時は不機嫌にもなるけれど、そう振る舞ってしまった自分を大いに恥じる。

バーノンさんが子どものようにはしゃぐ姿を、以前はかっこ悪いと思っていた。いつでも冷静で大人で口数が少なくて、かっこいいバーノンさんでいてほしかった。それが私の理想だったから。

でも今は、バーノンさんがステージで好き勝手はしゃいで、よくわからないノり方をして、うずうずしながら挙手して発言して、人のメントを全然聞いていなくて、メンバーにだる絡みして、子どもみたいに口を大きく開けて笑っていると、安心する。私がSEVENTEENのために死んでもいいと思うくらい声を出す姿は、絶対に両親には見せられないし、周りの人にも引かれているかもしれないけれど、それでも、バーノンさんには見せてもいい姿なのだと思えるから。

バーノンさんはうちの両親みたいに文化・芸術が大好きで、数十年後にはうちの父親みたいになれそうなくらい博識で、ついでにうちの父親みたいにシャイで不器用で頑固でユーモアセンスがあって、うちの母親みたいに瞳の色素が薄くて綺麗だ。そして、バーノンさんは、絶対に私が両親に見せられない、見せたくない心の内側まで共有していてくれる。


福岡1日目、トロッコで回ってきたバーノンさんは私を見つけて、かなり長い時間そのままこっちを見ていてくれた。最初に「あっ」というふうに指をさして、「 버 」1文字のうちわしか持っていないのに何か熱心に覗き込んでいたところまでは覚えているのだけれど、自分が腕いっぱいに手を振ったり謎にでかいハートを作ったりするのに必死で、後のことをよく覚えていない。手でハート作ってくれた気がするな。かなり戸惑いながら。あまりにも噛み合ってなくて面白かった。隣のギュペンがめちゃめちゃ叩いてきた(良い意味で)のはめちゃめちゃ覚えている。後から、あれは私が着ていたKENZOのTシャツを見ていたのだと気づいた。私はとにかく自分ができることを全部やろうとするので精一杯でした。

オーラスはトロッコが真下を通って死角だったのと、ステージ端でもステサイエリアまでしか見てくれなかったから近くでは見つけてもらえなかったのだけれど、April Showerの回転ステージと、コルコル中のセンター花道から見つけてもらえた。私はどんな席にいてもバーノンさんから見える視認性特化うちわを持っているからいいのだけど、正直こっちからはバーノンさんがよく見えない。だからApril Shower1周目で私かな?と思ったお手振りを一旦スルーして(?)、2周目でもう1回手を振ってくれたので今度は振り返した。コルコルの時も、わざと確認するようにワンテンポ待ってから振り返した。だからさ、見えないんだよ。近くまで来て振ってくれよ。斜めの角度は見づらいのかもしれんけどさ。

1日目とは対照的に、オーラスの手の振り合いはとても落ち着いていた。April Showerは、授業中に目が合ってこっそり手を振り合うみたいな質感でちょっとドキドキした。そりゃ他の人にも振ってたけど(笑)。コルコルの時は、ビーサン名古屋トロッコで初めて確定をもらった時みたいに、カチッと合った感覚だった。私らしい返し方だったと思う。

バーノンさんは、私にはいつも、無邪気な顔もふざけた顔もスーパーアイドルな顔も見せない。名古屋で初めて手を振ってくれた時の、まっすぐで自然な目のまま…っていうか、あれ以来表情は見えてないんだけどね。でもそんな感じがする。HANABIで会場の隅々にまで手を振り続けていた頃のあなたと変わらない佇まい。

今のところいつも同じうちわを持っていて、違うボードを出していた時は見つけてもらえていないので、もしかしたら覚えてくれているのかもしれない。いや、それは期待しすぎか。でも覚えていないのだとしたら、私の印象の何かが、最近の上機嫌さを封印させるのか。私を見つけた時のバーノンさんは、なんだかいつも、穏やかに凪いでいる感じがする。

バーノンさんを笑わせている人も、表情を大きく動かさせている人も、羨ましくないと言ったら嘘になる。でも神戸のお見送りで「私のバーノンさん」がいるんだと思えたから、今はもう背伸びしてまで笑わせたいとは思わない。私はここで、視認性抜群のうちわを持って、あなたを信じてただ立っている。

ハートとかソンキスとか名前を呼ばれるといったことは、特にしてもらいたいとは思わない。してもらいたいのはたった1つだけ。私のうちわを覚えてほしい。認知されたいだけじゃんと言われたら言い返せないけれど、でもそれだけじゃない。一度の現場だけでなく、あなたのペンでい「続ける」ということは、あなたがこのうちわを覚えて初めて成り立つことだから。

HANABIで熱心に手を振り続ける姿に衝撃を受けて、7周年記念グッズの動画とPower of Loveの映画であなたの思いを知ってから、私はあなたの覚悟に応えようとしてきた。し続けてきた、とは言い切れない。LOVEの時は大いに迷っていたから。だけど、直接確かめられたからもう大丈夫。

私はあなたのどんな感情も、好意も、覚悟も、選択も、無駄にせず、否定せず、利用せず、ただ、ここから大きく手を振っています。

時々呆れた顔はするかも。ゴメンね。

私の選択が正しかったかどうかはわからないし、確かに東京に帰り着く頃にはすっかり疲れ果てていたけれど、今、あのディノペンさんの手に日曜日までは持っていなかったステッカーがあるということは、少なくともあのディノペンさんにとって、私の選択は間違っていなかった、よね。


1週間の帰省で懐かしい場所をいろいろ巡って感慨深い気持ちにもなった。けれど同時に、あの頃通った道を歩いても、あの頃聴いた曲を流しても、あの頃の感情と今の自分が重なるわけじゃない。今は今の自分なりの見え方があって、次に帰ってきた時もきっとそうだ。SEVENTEENを知らなかった自分はもういないし、もう私の帰る場所はCARATで、両親のことは好きだけど、二度と一緒には暮らせない。

「あの頃には戻れない」ということが嬉しかった。だってそれは、私が今まで生きてきたということだから。あの頃があったからこそ、私はSEVENTEENとバーノンさんを好きになり、SEVENTEENとバーノンさんに出会えたからこそ、あの頃は過去になった。SEVENTEENとCARATとともに生きていく今と未来が、私は嬉しい。



ファンサの話ばかりでごめんけどもう1つ!トロッコ、顔は死角なのでせめて腕だけでもと思い、後半、ホシの乗ったトロッコが来た時に右腕を高く掲げてホランへをした。(バーノンさんは前半組だった)

そうしたら、人と人の隙間からかろうじて見えた白い腕がしっかりとホランへをしていた。私の後ろにもいたのかもしれないけれど、前を見回すとホランへをしている人は1人もいなかった。これはもらっておこうと思う。勘違いでも。

2023年はLOVE東京でホシに声出しを褒められて号泣してからというもの、現場ではずっとホシについていき、ホシを最高にさせるために声を出し続けていた。周りがどんなに引いていても、いや、ホシが正義だから!と気持ちを強く持って頑張ることができた。今年声出しCARATとして駆け抜けた全ての現場のお返しがあの一瞬だったような気がする。ありがとう、ホシ。スタジアムも頑張るよ。


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