見出し画像

同担コンプレックス


先に言っておきます。同担拒否はしていません。同担さん・同ペンさんも安心して読み進めてください。安心はできないか。


ジャニーズの入口・櫻井翔のことは、遠い昔すぎてあまり覚えていない。布教してきたクラスメイトの1人に櫻井担がいたので、たぶん何も気にしていなかったと思う。

中学に上がる時に初めて「自担」と呼べる存在ができた。関ジャニ∞の安田章大。可愛くてキラキラしてて大好きだった。
同じ学年の同担の教室に行って、ヤスが生まれた9月11日8時18分を2人で祝ったり、高校の時は別の同担と3人でカラオケに行ったり、文化祭実行委員をやったり、片方の子とライブ連番したり、つまりは同担とめちゃくちゃ仲良くやっていた。なぜか安田担だらけの学年だった。
多分みんな可愛いヤスを愛でていて、独占欲とかは一切なかったと思う。今の私じゃもう戻れないけど、同ペン同士で肩組んでいるCARATを見ると、あの時の私たちみたいな感じで推しを囲んで愛でる会をやっているのかなと思う。

エイトも引き続き見ながら、高校に入ると山田涼介が自担になった。高校で初めてスマホを持って、全国津々浦々のオタクと繋がった。
山田担時代に片鱗が現れたのだとは思うけれど、その時は他の山田担とあまりにもスタンスが違いすぎて、拒否するとかどうとかの次元にまず至らなかった。
黒歴史の一種になるので詳細は省くが、いわゆるキャー山ちゃん王子様♡系のファンではもちろんなかった。
ネットで繋がった子たちとは適当に話を合わせていたと思う。周りがほとんど年下だったので、1人クールにしていても特に支障はなかった。

決定的だったのが、大学時代の自担、SixTONESの松村北斗だ。
同担拒否と公言してTwitterアカウントを始めた。それなのに気づけばできた友達は半数が同担だった。
この時も界隈で私が最年長で、他の子たちは北斗の顔が好きだったりアイドルをしているところが好きだったりと、あまり内面に踏み込むタイプではなかったので、北斗への重たい感情は私に譲ってくれていた感もある。
私は1人で北斗への独占欲をぶん回したり、独占欲が行き過ぎてモラハラ悪口を北斗に浴びせかけたり(「松村」と呼んでいた)、他のJr.にフラフラ浮気してみたりと常に情緒不安定だった。こんなお姉さんで申し訳ない。

スト担になって2年が経った頃、他担のFF経由で新しい同担と繋がった。とてもキラキラしていて、自分自身の人生にストイックな子だった。
じめじめしがちな北斗担には珍しく、北斗の努力家でどんどん夢を叶えていくところを尊敬していて、その気持ちを人生のエンジンにしていた。
勉学の出来も、コミュニケーション能力も、意志の強さも、何一つ勝てない。
私は彼女に北斗を譲ろうと思った。(おこがましい話。)
それが全てではないが、彼女は私の担降りの1つの要因になった。


バーノンを好きになった当初、私は同ペンと繋がるつもりがなかった。
直前の苦い経験もあって、適度に距離を保っていたほうがいいと思っていた。
でも、最初は拒否していたというわけではない。初めての現場のHANABIで同ペンを見かけた時は、すごく安心したし嬉しかった。その時はみんな私と同じようにバーノンを好いていると思っていたからだ。BE THE SUNで同ペンを見た時も、やっぱり嬉しくて心強く感じていた。

当初、私はバーノンを尊敬していた。
決して手の届かない人であって、バーノンに対して思うのと同じように、これまでのバーノンと歩んできたバーノンペンさんたちを尊敬していた。
バーノンとバーノンペンが好きで、私はその輪を遠巻きに見ているだけで満足という感じだった。

でも、CARATの友達がだんだん増えてくると、望むと望まざるとにかかわらず視界に入ったり知り合ったりする。
すると、私のようなバーノンペンばかりではないことがだんだんわかってきた。
意外と顔から入っている人が多い(顔がいいのはわかるが、顔から入ってあの内面を好きになるのはハードルが高くないか?と思っていた)。
可愛い可愛いとよしよししている人も多い。
アカウントの内装が淡い系統の人も多い(黒系も多いけど黒のほうが安心する)(自分はアボカドのくせして)。
社会活動に関心の高い人も多い。
なんか、どれも違う感じがする。

「自分が珍しい存在かもしれない」と思うと、私は一気に客観性を失う。
自分と違う考えや感じ方が受け入れられない。だけど私の考えや感じ方が他人に理解されては困る。私だけが理解者でいたい。
戻ろうと思っても、一度流れ出したものはもう止められない。

ばっさりと拒否してしまうと何か大事なものを失う気がするのでシャットアウトはしていないが、それでも今は同ペンを見ると緊張する。
私が知らない頃を知っている人、私にわからないセンスがわかる人、私よりも面白くてバーノンとツボが合いそうな人。みんなが怖い。
他ペンがバーノンの話をしている時も緊張する。実はこの人のほうがバーノンをよく知っているのではという気持ちになる。


同ペンと差し向かう時に最も感じるのは、アイデンティティの危機だ。
他ペンといれば、私は「バーノンペン」という単純な名札をつけてさえいればいい。そうすれば当たり前のようにそこにいられる。
けれどバーノンペンが2人以上に増えるとそうはいかなくなる。
向こうが「バーノンペン」の役割になって、私は名札のない丸裸の何かに戻ってしまう。私は名札を取り戻すために戦わなければならない。いつもほとんど丸腰で。

好きであることに優劣も何もないはずだが、私はどうも、好きであることに別の意味を加えすぎているようで、こんな不具合が生じる。

不思議なことに、同ペンが目の前にいる時と似たような緊張を、バーノン本人を見ている時にも感じる。
私が思っている人と全然違ったらどうしよう。次の瞬間、もう二度と修復できない拒絶がやってきたらどうしよう。感情がわかると思っても、あまり主観的になって曲解してはいけない。彼とはわかり合えない赤の他人なのだから。そうやって私は絶えず緊張している。

「自分」が奪われる危機。
こう感じるのは、私がバーノンに抱く思いをまるごと「自分」にしてしまっているからだろう。
もっと他のことでアイデンティティを確立して、アイドルなんかに頼らず、自立しなければいけないのに。
これは立派な依存だ。

やめなければと思う。だけど治し方がわからない。
ありがたいことに、周りの同ペンさんたちはとてもフレンドリーで優しくしてくれる。
本当はどう思っているのかわからないけれど。
みんな、同ペンのことをどう思っているんだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?