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神戸のこと

神戸三宮に朝9時20分着の予定が、1時間近く早く到着した。コインロッカー用の小銭をつくるために吉野家で朝食をとり、リュックサックを預け、諏訪山公園という、小高い山にある公園へ行った。前々日、大好きな本屋でやっていた個展で、神戸在住の画家さんから聞いたスポットだった。展望台から、神戸の街と海までが一望できた。短い山登りの道程は、HEAVENに至る過程に少し似ているような気がした。

しばらく日光浴をして下山し、元町駅まで歩いて、電車に乗って尼崎まで行った。初めての「自担」である関ジャニ∞の安田章大さんが生まれ育った街だ。バーノンさんに会う前に、もっと大きなもので体を慣らしておきたかった。人生の中で、バーノンさんの名前を知っている時間よりも、尼崎という地名を知っている時間のほうがうんと長い。すでに手を振ってもらったことがあるバーノンさんに会うよりも、中学生の頃からどんな場所だろうと思っていた尼崎の地を踏んでいることのほうが、自分にとってはあり得ないことだった。

尼崎は、こう言っては悪いがごくごく普通の郊外という感じで、この街からあの神秘の塊のような人が生まれたことがうまく想像つかなかった。目に留まった喫茶店に入り、ミルクセーキを飲みながら、いしあいひでひこさんの『ロックのしっぽを引きずって』(鈴木並木)という音楽エッセイの本を読んだ。先述した大好きな本屋で買ったものだ。とても興味深くて一気読みした。デヴィッド・ボウイの楽曲を形容した「踊りながら考える」という表現が、私の好きなバーノンさんのようだと思った。

お店のおばさんと常連と思しきお客さんたちが交わす会話の方言に、とても安田さんを感じて、来てよかったと思った。あとで関西のCARATさんに尼崎は治安が悪いと聞き、また安田担時代から「尼のヤンキー」という表現は知っていたけれど、平日の昼間だからだろうか、そんな印象は受けなかった。お店の人たちの言葉はとても柔らかく、優しかった。

三宮に戻り、ポートライナーのホームへ上がると、大好きなミンギュペンのピンク色の頭が目に入った。約束も何もしていない。全くの偶然だ。私は彼女の正面に回り込んで「ミンギュ〜!」と手を振った。黒いロングコートに、ピンクでまとめた髪と服と爪がよく映えていた。手には青く背の高いドライフラワー。偶然見かけて、ミンギュだと思って買ったのだという。私は彼女の、心ときめく世界のつくり方が好きだ。私はポートライナーの車内で、彼女に尼崎の話をした。

会場では、東京ドームで一度お会いしたもののまだTwitterで繋がっていなかったウジペンさんに会い、せっかくだからとフォローし合って、一緒に入場した。私は1・3・5部の3部分のバーノンさんのチケットを全て取っていた。1部は、東京ドームのプレミアムシートで見つけてもらえなかったKENZOのTシャツを見せるということだけを決めていた。長い待ち時間のあと、ジョンハンさんとバーノンさんがトークのステージに上がり、にわかにバーノンペンの列が沸き立った。私は冷静だった。私は平静を欠くのが嫌いなのだ。

トークでは、ジョンハンさんばかりが喋ってバーノンさんはずっとファンサを飛ばしていて、2人の視線は全く交わらず、もどかしいノニハニの原液だ、と気分が上がりかけた。しかしすぐに打ち消した。これから会うのは人間のバーノンさんであって、勝手に見て消費して楽しむためのキャラクターではないから。

ブースの中で、私はとびきりの笑顔をつくって「ジャーン」とTシャツを見せた。バーノンさんはおお〜!という顔をして両の親指を立ててくれた。意外と時間が余って、手も振ってくれた。それだけだった。プレミアムシートで悔しい思いをしたマイナスを、ひとまずゼロまで引き上げられた。感慨は特にない。次の準備をしなければならない。

詳細は省くが、3部は笑わせることを目的に、Tシャツの上からちょっとしたパロディ画像を貼った。これはチケットが当たる前から決めていた。バーノンさんはよくライブ会場でCARATのネタボードを読み、大笑いする。Weverseでも面白いコメントによく返信している。バーノンさんにとってユーモアはとても大事なものの一つなのだろうと思う。FFの同ペンにもバーノンさんのようなユーモアセンスを持つ人たちがいて、私は正直得意分野ではないので、羨ましかった。自分だけ仲間外れにされている気すらしていた。私も一度くらいバーノンさんを笑わせてみたかった。

自分なりに面白いと思うものを用意して行ったのだけれど、結果は惨敗だった。人によっては、あの「変なものを見る顔」を喜ぶバーノンペンもいるのかもしれない。でも私にとっては失敗だった。どんなに気まずくても、本人の前では笑顔だけは崩さなかった。会場を出たあとは機嫌が悪かったと思う。

3部分を計画し始めた時は、この「ネタ回」を最後に持ってこようとしていた。もし5部でこれを使っていたらと思うとぞっとする。構成を変えようと思ったのはいつどんなきっかけだったか思い出せない。最終的に5部のために用意したのは、メッセージだ。前2部分のメインが服だった分、最後は目を合わせてもらえるように、眼鏡の下辺に小さな紙を貼りつけた。内容は伏せるが、事前に用意していたものを当日「違う」と感じ、急いで新しい文言を印刷した。ハサミを貸してくださった同ペンFFさん、ありがとうございました。

同ペンFF2人(は初対面同士)と一緒に並び、2人がすっかり意気投合して盛り上がっている横で、私は気持ちを落ち着けるために本を読んでいた。島田潤一郎さんの『あしたから出版社』(筑摩書房)。ひとり出版社を立ち上げた経緯を書いたエッセイで、仕事でご一緒した大好きな人に教えてもらった本だ。私は最近具体的に「本をつくりたい」と考えるようになり(私は出版というより書き手側としてだが)、小規模出版にはとても興味があった。

先述した通り、私は平静を欠くのが好きではないし、大事なメッセージを伝えに行くので気が散っていては困る。同ペン2人には私が引き合わせたのに放置して本当に申し訳なかったけれど、すぐに仲良くなってくれて助かった。トークステージの前に、島田さんが、息子(島田さんにとってはいとこ)を亡くした叔父と叔母のために本をつくると決心するところまで読んだ。

ぼくは、自分の胸を叩くような気持ちで、
「人生は、一回しかないんだ。それに、人生はぼくが思っているより、何倍も短いんだ。だから、やると決めたことをちゃんとやらなきゃいけないんだ」
と、自分にいい聞かせた。

島田潤一郎『あしたから出版社』(筑摩書房)より引用

この上ない前奏だった。私は意を決してブースへ入った。

ボノナ、という普段呼び慣れない、でも口を突いて出てきた名前を呼んで、眼鏡の下を指さした。バーノンさんの綺麗な両目が2枚のメッセージカードを捉えた。彼がそれを読んだのはほんの一瞬のことだった。ほんの一瞬で、人間に向けていた明るい目が、文章に向ける仄暗く知的な目に変わり、彼の口から、聞き慣れた心地いい低い声で、私の考えた言葉が聞こえてきた。私には絶対に発音できない、大好きな、美しい英語。私は震えた。私の言葉が、バーノンさんの言葉に変わる瞬間を見てしまった。一瞬で読み上げたバーノンさんは、パッと目を上げて私の目を見、眉を歪めてまたグッドサインを2つつくった。単なる笑顔ではない、感動や感謝をなんとか伝えようとするような表情だった。適切な形容が見当たらない。目の色はまた、他人に向ける明るい目に戻っていた。

私はバーノンさんから離れたくなくて、後ろの2人に申し訳ないなと思いながら、バーノンさんとしっかり目を合わせたままその視線にぎりぎりまですがった。バーノンさんもぎりぎりまで離さないでいてくれた。自分がどんな顔や仕草をしていたのか、全く記憶にない。前2部分はどちらも最初から最後まで笑顔でいたとはっきり覚えているのに。でも、その覚えていない顔が、きっと本当の私だったのだろうと思う。その顔はバーノンさんしか知らない。どう見えていたのだろう。

後ろの2人は大阪名物の「バーン!(撃つ真似)」をやって大盛り上がりしていた。私と合わせていた目の色はその1発(2発?)でどこかへ飛んでいってしまっただろう。それでよかった。バーノンさんはいつもの明るいバーノンさんに戻って、私の目の前にいたバーノンさんは私の中だけに残った。

ブースを出て、バーノンさんの声を頭の中で反芻した。初めてマイクを通さず直に聞いた、大好きな声。計画段階では韓国語で書こうかとも考えたけれど、英語にしてよかった。意味を同時に共有しながらあの声を聞けたから。そして、英語を話したり歌ったりする時のバーノンさんの声が私は大好きだから。

あの瞬間、私の書いた文章は私の手から離れ、バーノンさん自身の言葉になって、バーノンさんの中で咀嚼された。もはやそこには私はいなかった。言葉とバーノンさんだけがあった。

全ての文学作品は、文章があるだけでは成立せず、読者が読んで初めて作品になる。どう受け取られるのかまで含めてその作品だ。だから読者の数だけ作品がある。文章が読者の手に渡った時、そこに作者はすでにいない。書く行為と、読む行為は、どちらも本質的に孤独なものだ。その間を、言葉という細い糸が繋いでいる。

ぎりぎりまでこだわった表現だったから、たった1文でも、あれは私の詩と言ってもよかった。バーノンさんが私の読者になる瞬間を、私は確かに見て、聞いた。Weverseで送るファンレターはもちろん、相手がバーノンさんでない、普段仕事やTwitterやnoteで書く文章でも、読まれる瞬間を私は見ることができない。誰かに伝わるのかどうかわからず、私はいつも不安だ。感想をもらえてもいまいち実感がない。だから、私の文章が読者のものになる瞬間を目撃することそのものが、私には奇跡だった。他でもないバーノンさんに、それを間近で見せてもらえた。

いったいいつぶりだろう。私は人目もはばからずわんわん泣いた。私が泣いているのに気づいた同ペン2人は、おめでとうと抱きしめてくれた。外で待っていたミンギュペンのところに戻り、抱きついてまた泣いた。こんなに自分を受け入れてくれるCARATが何人もいることが幸せだった。泣き止んだあと、ミンギュペンは帰りが早くてそのままさよならして、同ペン2人とあとで合流したディノペンと一緒にご飯に行くことになった。4人でいる時は普通に話していたのに、トイレの個室で1人になった瞬間、バーノンさんを思い出してまた泣いた。鳥貴族での食事は本当に楽しかった。CARATの輪の中にいられて、私は心底幸せだと思った。

私はこのイベントの直前まで、私には直に受け取れないバーノンさんの良さを受け取れる同ペンを羨ましく思っていた。私だってバーノンさんを笑わせてみたかった。ライブ中、ご機嫌でファンサを飛ばしまくるバーノンさんを見て、私は間違ったファンなんだと思ってすらいた。あんなに楽しそうにしているのに、そうじゃないバーノンさんを求めるなんて。私は静かで知的で真摯なバーノンさんが好きなのだ。最近のバーノンさんを見ていて、私の好きだったバーノンさんはもういないのかもしれないと思っていた。

でも違った。本気の私の前では、バーノンさんは寸分も違わず、私の一番大好きなバーノンさんでいてくれた。相手によって見せる顔が違うのは当たり前のことで、私には私のバーノンさんが確かにいた。3部分を通して、苦い思いもしたけれど、そのおかげで、私にとっては何が余計な羨みで、何が本当の喜びなのかを知ることができた。他人がどうであれ、私は私の望みを追いかけていいのだ。だって、私が本気なら、バーノンさんは真正面から受け取りに来てくれる人なのだから。私はもう私に嘘をつくのをやめようと思った。

バーノンペンをする上で、過去のnoteにも書いているように、私は「愛する」ことよりも「信じる」ことを重要視していた。それなのに、Black Eyeがどこまでバーノンさん自身の気持ちなのかわからなかったり、ライブでの振る舞い方がどんどん変わっていったりするのを見ていて、信じられなくなる時が多かった。直接確かめることができないから、私が好きなバーノンさんは全部自分の都合のいい妄想なんじゃないかと思っていた。でも、1対1で会った今なら断言できる。バーノンさんは、私にとって信じられる人だ。

あんなふうにまっすぐ真剣に受け取ってくれる読者がこの世界にいるなら、私は絶対に、私の本当の言葉で書いた本をつくろう。バーノンさんが与えてくれたのは、そんな、私を未来に押し出す希望だ。大学時代のことを思い出す。ゼミの同期が私の小説を読んで、「僕が言いたいことが全部書いてある。悔しい」と言ってくれた。それまで読んでくれた人たちには「小説を書けるなんてすごい」というような反応しかされたことがなかった。私は、この人が私の初めての読者だと思った。当時、私が小説を書き始めてもう8年が経っていた。私はこのたった1人に巡り会うまで、一体何を信じて8年間も1人で書き続けてこられたのだろうか。でも、私が思うよりも私は何かを強く信じることができたからこそ、この人に出会うまで小説を書いてきたのだ。

私がバーノンさんを好きなのは、バーノンさんが表現を信じる人だからだ。自分の心のままに動き、人に会い、音楽をつくり、表現することに躊躇しない人であり、音楽や映画や、たくさんの他人の表現の一つ一つをまっすぐに受け取り、好きなものには好きだとはっきり伝える人だからだ。バーノンさんのような人が、私からよく見える場所にいてくれるから、私も私のやりたいことを追いかけていいのだと思える。

バーノンさんには母語がないから、言葉で伝えるのは優しくないかもしれないと、ついこの間まで思っていた。けれど(sic)boyさんやNIGOさんのおかげか、今年バーノンさんがめきめきと日本語の解像度を上げているのを見ていて、思いを改めた。言葉だって大切で、私にはやっぱり言葉なのだ。

今、福岡の実家で『あしたから出版社』の続きを読んでいて、1冊目の出版にいろいろな人が快く協力してくれるところで1人で号泣した。どうして本づくりの現場では、人に思いが伝わるんだろう。そして、どうしてこの本の言葉は、私に伝わってきてこんなにも泣かせるのだろう。私は言葉が好きだ。書く孤独と読む孤独を、孤独のままで繋いでくれるから。そうやって伝わる言葉があるからこそ、私は「ひとりじゃない」と思えるのだ。書いてくれた人が、読んでくれる人が、どこかで一緒に生きている。その手ざわりに、私の命はどうしようもなく救われている。

バーノンさんは何げなく読み上げただけかもしれない。でもその何げなさが嬉しいのだ。当たり前みたいに受け取っていてほしいのだ。当たり前に読者がいる世界で、私は当たり前に書いて伝えようとしていけるから。伝えようとする人、受け取ろうとする人、2人の思いが言葉という地点で落ち合って、初めて「伝わる」が生まれる。私がこんなに奇跡だと思っている瞬間を、バーノンさんは当たり前だと思ってくれていればいい。

お見送り会では名前を呼んでもらった人が大半だと思うけれど、私にはバーノンさんに呼んでもらう名前がなかった。CARATの私はLEONだけれど、本名じゃないから嘘をついている気持ちになる。本名の下の名前は普段呼ばれない。苗字を呼ばせるのはなんだかおかしい。私はずっと前から、私の書く作品こそが私自身だと思っている。私と話すよりも、私を読んでもらったほうが、私のことが本当に伝わるだろうと思う。だから、あの1文の詩こそが私の本当の名前だった。私はそうやってこの世界に残っていけばいい。そんなふうに、私は私をこの世界に残したい。



蛇足:神戸って、heaven's doorみたいな名前ですね。

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