見出し画像

今日もまだあなたを愛しています

このnoteは、2024年2月18日に公開して一度削除した内容に、一部加筆して再公開したものです。



Black Eye

あなたを好きになって、なんと三度目の誕生日です。

一度目の誕生日だけを経験した2022年6月のnoteには、「まだ『バーノンペン』としての私が確立されていない」と書いてあります。いまやすっかり私の自我はバーノンペンです。あれからまだ1年半しか経っていないんですね。

その頃のnoteを読むと、あなたのことを「ばーのんちゃん」と呼んでいるし、「可愛い」と言っています。ありえない。

でも本当にあなたを「可愛い」と言っていたことは覚えています。あれは可愛いというより、愛しいに近い気持ちでした。「愛しい」がデパ地下スイーツだとしたら「可愛い」はコンビニスイーツみたいな、気持ちを表明しやすくライトに加工した結果そうなっていたのだと思います。

あの時期の私は、人生で一番くらいニコニコしていました。基本的に人生の中で機嫌がいい時間が圧倒的に少ないので、あの時期はちょっと異例でした。今思えば、まだあなたのことを何も知らなかったのでしょう(今だって知りませんが)。あなたのことは、逐一知らなくても安全で安心できて、安定している人だと思っていました。だから聴いている音楽にも観ている映画にも、ほとんど触れようとしなかった覚えがあります。

アイドルとファンという関係性としては、あれが正しかったと今でも思います。私がどんなにあなたを好きでも、あなたと私は別の人間なので、音楽も映画も好みが違う。それが当たり前です。あなたはアイドルとしての姿を電波に乗せて見せてくれて、私はあなたを見て気分が良くなる、だからファンだ。これ以上も以下もないと思います。

でも、その関係性を壊したのもあなたです。ソロミックステープのBlack Eyeが公開されたのは、2022年末でしたか。昨日のことのようです。攻撃的で自己破壊的な歌詞に、うまくピントが合わず、合わせようとすると自分の忘れたかったことがベリベリと暴かれていくような気持ちになり、何よりも「これは友達の話だ」と語るあなたが受け入れられなくて、あなたの言葉を何も信じられなくなりました。

青春時代に聴いていたジャンルの音楽だ、歌詞に共感した、救われたという他ペンのみなさんの言葉を見るたびに(のちには同ペンさんの話も少し読みました)、あなたを含めた何もかもが私からすーっと遠ざかっていって、向こうでかすかに耳慣れない笑い声がするようでした。

二度目の誕生日はそれから2ヶ月後。よくあんな直後にお祝いのnoteを書けたなと思いますが、その時は比較的気持ちが落ち着いていたという記憶もあります。あれから今に至るまで、もうやめたいと思う気持ちと、あなたしかいないと思う気持ちの両極端を、数日おきに行ったり来たりし続けています。

Black Eyeの歌詞が腑に落ちたのは、2023年7月、中学・高校の同級生だったEちゃんの話を人づてに聞いた後でした。スポーツ万能でかっこよかったEちゃんは、大学以降破滅的な日々を送り、精神科に通っているそうです。私はEちゃんが大好きでした。声も顔もフラットな接し方も。EちゃんのTwitterアカウントをひと通り見て、動画についていた声を久しぶりに聴いてやっぱり好きで泣いた後、Black Eyeを聴いたら、それはEちゃんの歌でした。バーノンさんがEちゃんみたいな人を好きになって、Eちゃんみたいな人のためにこの歌を書いたのなら、とっても美しいことだとその時に思いました。


Miss You

2023年7月に公開された、(sic)boyさんとのコラボ楽曲Miss Youで、私はようやくあなたの正直な言葉を聞けたと思いました。Black Eyeのモデルは一説には(sic)boyさんだと言われていますが、Miss Youのように一曲の中で二人が歌詞を書くと、当然ながら二人が言っていることは違ってきます。Black Eyeではどこからどこまでかわからなかったあなたが、Miss Youではくっきりと浮かび上がりました。

「君といたい」「君と二人」と歌う(sic)boyさんとは対照的に、あなたはずっと一人で、いるかもわからない誰かを探しています。Black Eyeのあなたもそうでした。ファンにはどうすることもできない、途方のない寂しさ。どうすれば埋まるのでしょうか。SEVENTEENとCARATじゃダメでしょうか。無理矢理埋めるのも暴力的な気がします。

でも、KENZOのグローバルアンバサダーになり、FOLLOWツアーが始まってからというもの、あなたはどんどん上機嫌になっていって、体感では常に話題の中心にいました。2022年ではありえなかったことです。私一人がMiss Youに取り残されたままの心地でした。もうあの寂しさは解消されたのでしょうか。それとも。

ある曲について、アーティストが最もその曲に浸るのは、当然ながら作っている間です。その間、ファンはその曲を聴くことはできませんし、存在すら知りません。曲が世に出たら、アーティストは次の創作に向かっていきます。ファンがその曲に浸れるのは、アーティストがその曲から離れた後なのです。かわいそうだと思いませんか?

あなたはメンバーの中でも特に口数が少なく、口を開いたかと思ったら冗談やうんちくばかりなので、何を考えているのかわからなくて困ります。音楽でも何も言わないのならこんなに考えなくて済むのに、ああいう曲ばかり出してくるので本当に厄介です。


教室

あなたにまつわる孤独の話をもう少しします。

2022年1月にストーリーで共有していた、ウェス・アンダーソン監督の『ムーンライズ・キングダム』を、ずいぶん時間が経ってから観ました。あなたが泣いたという『テラビシアにかける橋』も、かなり前の情報だったと思いますが、最近観ました。どちらも、周囲に馴染めない少年と少女が二人だけの世界をつくるお話です。

あなたは実際、おそらく学校に馴染めず、中学2年生の時に自主退学しています。ヒポチのTraumaでも友達がいなかったと歌っていますし、Black Eyeにも友達は自分自身だけだという歌詞があります。

あなたは今では、SEVENTEENの中でも最もグループ外に友達が多いメンバーです。メジャー・インディーズ問わずさまざまなアーティストとの交流があり、コラボ楽曲もよく作っています。でもきっと、親しい友達がたくさんいる状態というのはあなたにとって当たり前のことではないのでしょう。2021年のソロミックステープBANDS BOYでもまだ退学のことを直接的に歌っていたように、あなたの中にはずっとあの頃のあなたが棲み続けているのではないかと、勝手な憶測をしています。

あなたが孤独だったのは、デビュー前のミックステープLizzie Velasquezの中でも歌っているように、どうしても「外国人」というふうに見られてしまう外見が大きな要因の一つだと思います。でも、どうもそれだけではないように思うのです。複数のルーツを持つ人がみんな、必ず同じような人生をたどるわけではありませんから。

あなたはSEVENTEENの中であってすら、すぐに一人で行動します。みんながわいわいしゃべっているのにあなただけ黙って後ろを歩いていたり、反対に先頭をスタスタ行ってしまったり、端っこで黙っているのでメンバーから「いたの?」なんて言われたり。でも一人暮らしはしたことがなくて、泊まりも複数人部屋がよくて、でもベッドはシングルがよくてボディータッチはメンバー間でも好きではなくて、でもときどきいきなりえげつないゼロ距離を涼しい顔でやっていたりする。本当に変な人です。

あなたは人との距離感が0・100すぎると思います。Miss Youの「'Cause I'm not good at being lonely / But I'm not good at being sorry」を、私は「だって僕はひとりでいるのが得意じゃない/だけど僕は同情するのが得意じゃない」と訳しました。間違っているかもしれません。でもあなたの中に何かアンビバレントなものがある気は、間違いなくしています。

何が普通かなんてのはないとはわかっていますが、でもあなたは他の大勢の人と何か違うと思います。あなたが他の人と違う行動を取っている時、私はハラハラして見ていられなくなります。母親譲りの心配症でしょうか。母は、娘にちゃんと友達ができるかどうかいつも心配だったそうです。当の娘は気にしていなかったのですが、それでも母に心配されすぎるのはストレスだったので、真っ赤な嘘にならない程度の嘘もだんだんつけるようになりました。私の心配はあなたに直接届かないのでよかったですが、母のように、あなたにストレスをかける見方をしてしまっていると思うと、いよいよ全部をやめにしたくなります。

私は、今では周りに合わせる方法も少しは覚えました。普通の女の子みたいなテンションでしゃべることも、コンディション次第ではできます。それに、CARATの輪の中なら、頑張って合わせずとも私を受け入れてもらえていると感じられます。SEVENTEENの中で、一人でいながら輪から弾かれず、自然にそこにいられるあなたのように。でも、仲の良いCARATたちの学生時代の仲良しグループや親友の話なんかを聞くたびに、私はものすごく不思議に思うのです。生まれた時から普通に友達をつくれる人たちと、私はどうして仲良くできているのかと。彼女たちとの間に遥かな隔たりを感じます。

教室の中でどこにも居場所がない、どこにも所属していないというのがどんな感じなのか、あの人もあの人も知らないんだと思うと、世界は私一人を残してゆっくりと閉じていきます。私はCARATが大好きだけれど、SEVENTEENの中にいるあなたのようにいつでも安心しきって笑うことは、まだ難しいです。

みんなが知らないこの感じを、あなたは知っているんじゃないかと思います。あの映画を観て泣くのであれば、それは、あなたが知っているということなのではないですか。


コミュニケーション

あなたが共有した映画で、私が最初に観たのは『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』です。アダムとイヴが吸血鬼として現代まで生き続けているという話でした。私にとってのあなたという人物像の基礎は、これでつくられたように思います。「人間の理は人間の世界だけの狭いもので、その外側には広い広い自然の理がある」。これが、私がこの映画から受け取った考え方です。とても腑に落ちました。それまでもやもやと感じていたことに最後のひと押しをもらえた感覚でした。

この考え方は、あなたの率直で自然な生き方ととてもよく合っているのではないかと思います。香水も使わない、お酒も付き合い程度にしか飲まない、2021〜2022年冬は毎日同じような服を着ていましたし今の私服は全部KENZOです。そしてあなたは周りになびくことなく、自分の頭と感覚で物事を判断し、良いと思ったものにははっきりと親指を立てて肯定します。「みんながこうするから」ではなく、自分の中の「自然」を研ぎ澄ませて一つ一つの行動を決めているように思います。

「みんな」に合わせる必要はないと思わせてくれたのも、「みんな」に合わせなくても「みんな」の空気を壊すことなく楽しくやっていける方法があると教えてくれたのも、あなたでした。私はあなたに出会った時、人付き合いの方法について本当に悩んでいました。もともと人が好きではないと思っていたのに、コロナ禍で実は自分が思っている以上に人に会いたいのだと気づき、人と話したくなったのにどう接していいかがわからなかったのです。友達と話していても消耗するばかりでした。

あなたが、自分の大事な考え方は譲らず守り通しながら、相手を尊重して肯定して良い空気を保っていられていることに衝撃を受け、そのコミュニケーションの方法を見よう見まねで盗みました。人と話すことが苦ではなくなったのは、全てあなたのおかげです。十代の頃の私は、こんなふうに人と話せる日が来るなんて思いもしませんでした。

私はあなたを知るまで、結局は一人で生きていかなければいけないのだと、諦めつつ腹を括っていました。でも、今ではそうは思いません。あなたがあなたのままでSEVENTEENの一員であり続ける限り、きっと私も親しい他者たちと一緒に、一人ではない人生を生きられるはずだと私は信じられます。あなたは、私を他者のいる世界まで引っ張り出してくれる唯一の存在です。


The Great Escape

2022年11月にあなたのおすすめ映画をまとめた記事が公開された後、そのいくつかを観ました。あなたが何度も名前を出す『マトリックス』もまさに、私たちが現実だと思っている世界は実は作り物で、その外側があって……という話です。『ファンタスティックMr.FOX』は、大人しく暮らしていたキツネが野生の本能を取り戻す話。『リトル・ダンサー』は、バレエに魅了された少年が「男の子なのに」という偏見を乗り越えて夢を叶えていく物語です。

君が息苦しく思っている目の前の現実は、全てに見えるけれど全てではない。その外側に、自由で色鮮やかな世界が果てしなく広がっていて、僕らはどこまでも行けるんだ……。あなたがそんなふうに言ったことは一度もないですが、私にはどうしても、そんなメッセージが貫かれているように思えてなりません。

Black Eyeリリース時にWeverse Magazineのアカウントで公開されたあなたのプレイリストの4曲目、Boys Like GirlsのThe Great Escapeは、空っぽの街から自由の世界へと脱走する若者たちを描いています。私はあなたが手を引くのについて行けば、どこまでも行けると思うんです。あなたの肩越しに、今まであるとも思っていなかった、きらきらした無限の未来が見えます。私一人では自分がやりたいことをやるのにも罪悪感があって簡単に感情を押し殺してしまうのだけれど、あなたがそうやって生きるなら、私も自分の感情や願いに正直になれると思うんです。

私は、現実の話や暮らしだけでは満足できないたちです。何か作品を観たり聴いたり、それについていろいろと分析して論じたり、自分や他人の深層心理を探ってみたりというように、現実から離れて物事を考えたり話したりするのが大好きです。意味のない雑談ができません。一度人と話し始めたら、必ず一つは学びや発見がないと物足りない気持ちになります。

常に、ここではないどこかへ行きたいのだと思います。SEVENTEEN自体も現実から離れた理想の世界のようなところがありますが、その中でもあなたは特別に、ここではないどこかへ一緒に行ってくれる人だと思っています。私が本当に行きたいところまで面白がってついてきてくれますし、私には想像もつかないところまでどんどん連れて行ってくれます。とてもとても心強い味方です。


誠実

Black Eyeが出るまで、あなたは私の中で、大地の守り神のような存在でした。私よりも遥かに多くの・大きな痛みを経験しながら、全てを乗り越えて強くしなやかに立っている人だと思っていました。実際、あなたのコミュニケーション方法を身につけ切る前の私には、ありえない芸当をやってのける超人に見えたものです。

でも、Black Eye、Miss You、その他いろいろなあなたの欠片から、あなたは神様なんかじゃなく、たった二歳上(学年だと一つ上)の一人の人間なのだと痛いほどわかりました。あんまり大きい存在に見すぎることも、あなたを苦しめるかもしれない。私はそれまで全ての「好き」の中で尊敬が最も純で正しいものだと思っていたのですが、そうでもないんですね。人間関係って難しい。

私はあなたの前ではとにかく、あなたが手渡そうとしてくれるものに、まっすぐ、誠実に、対等に、過不足なく応えることを心がけています。あくまで理想で、なかなかできていませんが。たとえば私が知ってからのあなたはたとえドームでも視力の許す限りファンを見つけてしっかりリアクションをくれるので、私はいつも天井席でも見える視認性抜群の名前うちわを持っています。あなたが手を振ってくれたら、しっかりと振り返します。

ドームで全部の席を見る、見つけた人全員に個々に反応する、って、並大抵の体力と気力ではできないことだと思います。1000人以上が目の前を通り過ぎていく重労働のお見送り会でも、あなたは疲れた顔一つ見せません。一人一人としっかり目を合わせます。この超人のような業は、あなたが貫きたい誠実さ、その覚悟によるものだと思います。だから私は全力で応えたいのです。あなたの覚悟を無下にはしたくないから。あなたが誠実でいてくれるから、私はあなたに誠実でいようと思うのです。

2023年のライブのあなたは特に楽しそうだっただけに、あなたをボードで笑わせられるCARATを羨ましく思っていました。でも12月の神戸のお見送り会で、初めて間近で一対一で会ってみて、私にとって大事なものはそうではないと気づかせてくれました。私が私自身を思う時よりも遥かにあなたは私に誠実でいてくれるから、私が私自身に誠実でない部分が暴かれて、私が私に誠実になれたのです。あなたの瞳は本当にきれいでした。


鍵垢

あなたの目の前ではあんなに安心できるのに、画面の向こう側とこちら側になった途端、どうしてこんなに不安になるんでしょうか。また一人で行動してる、へらへらしやがって、クソリプ全然笑えない、どうして同ペンさんたちみたいに私はリアクションできないんだろう、もう好きじゃないのかもしれない、云々……鍵アカウントで、あなたを好きだという話をしている日よりも、もう好きじゃないかもしれないという話をしている日のほうが多い気がします。

冗談で降りる降りるとすぐ言いますが、まだ降りられないのはわかっています。私はもちろんSEVENTEENとCARATというこの上なく居心地のいい居場所が大好きで、SEVENTEENを見続ける限り、あなたを目で追ってしまうのは明確ですから。一人だけ他と何か違うと思ってしまったら、もう気になってやめられません。「推し」とは「一人だけ違って見える」ことではないでしょうか。私はあなたのことを推しとは呼んでいませんが。

でもその「違って見える」は本当に「好き」なんでしょうかね。「好き」というとポジティブな感じがしますが、これはポジティブもネガティブも関係なく、何か大きく動かされる感情があるのみなような気がします。

ただ、私がポジティブな気持ちだけで誰かを好きでい続けられるかというと、そうではない。Black Eyeが出た時、ものすごくショックだったけれど、でも一方で、清く正しいファンでいようとする自分から解放された安心感もあったんです。あなたの前の自担たちに対しても(むしろ前の人たちへのほうが)ずっと悪態をついていましたし、ああ、お前もか、やっぱり私の自担だったか、と。

傷ついているほうが楽だし気持ちがいいのでしょう。ただの楽しい! 嬉しい! では何か大事なものを忘れている気がして、不安になってしまうんです。私の脳の報酬系は壊れているのかもしれません。

SEVENTEENが、決して理想だけではなく、現実の苦しみや闇も抱きしめた上での救いを歌ってくれるグループだということがとてもありがたいです。そんなSEVENTEENでなければ、私はずっとここにいようなどと思わなかったことでしょう。

でも同時に、SEVENTEENを好きになったばかりの頃、私は何か嗅ぎ取るように、私の暗い部分を預けられそうな相手はあなただけだと感じていました。しかも、それでも2022年のうちはまだSEVENTEENにもあなたにも全てを預けきれていなくて(NCTのマークと両輪にしていました)、Black Eyeが出て初めて、私の主軸はSEVENTEEN・バーノンに一本化されたのです。

この傷つきたがりをどうしましょう。あなたはこんな欲も認めてくれますか? でももう認めなきゃ他に選択肢はないんですよ。Black Eyeを出したのはあなたなんですから。


Twitter、note

あなたと二人きりになれたらどんなにいいかと思います。ナナツアーを見ていても、一人でちまちまと歴史を検索するあなたの姿に、私も同行していたらそういう学びを一緒に面白がれるのになと思っていました。

私があなたの見た目にキャーキャー言わなくても、あなたと二人きりなら何の問題もないでしょう。一人になりたい時は一人になって、寂しくなったら二人になって、ムーンライズ・キングダムかテラビシアか、あるいは他の名前の王国をつくるんです。あなたのやりたいことは何でもやって、私のやりたいことも何でもやりましょう。それでいいはずなんです。それでいいのに。

こんなこと誰にも言っていないから、当然誰にもわかられていないわけで、そうなると、私は相手に合わせなきゃなと思ってしまいます。他ペンさん相手ならまだ「バーノンペンはこんなもん」という設定で振る舞えるのですが、同ペンさんが相手だと、その人が好きだと言ったところがピンとこずに盛り上がれないとすごく申し訳なく思います。と同時に、今まで書いてきたような私の考えも相手にはわかるはずがないので、私のこともいよいよ話さなくなってしまうのです。

私は「アイドルオタクっぽさ」に疲れているのだと思います。いつでもキャーキャー言うのは得意ではありません。愛嬌はどこを見てどうリアクションすればいいかわからなくなります(自担でなければ割り切って盛り上がれるのですが)。必要以上のサービスをすることなく頼まれた愛嬌を苦笑いしながらこなして、誰かにとっての王子様ではなく自分が思うロックスターであろうとするあなたが、私にとってはしびれるほどかっこよくて、誰よりも安心するんです。あなたに対しては、判で押したような「アイドルオタク」でいなくてもいいから。

でも、Twitterを見ていると「合わせなくては」と思ってしまいます。みんなと同じところに触れ、同じような感想を述べなければいけない気がしてきます。たくさんの人が思っていることを本心で思えない私は、間違っているのではないかと思ってしまうのです。

私は、気づいたらnoteでしかしゃべらなくなってしまいました。Twitterでは迂闊なことが言えません。Twitterで本当のことを細切れに言ったら、私が大切に大切に抱きかかえているものを簡単に消費されてしまう気がして。

今私はものすごく不安です。だからあなたの一挙手一投足にも心配をしてしまいます。早くあなたのように堂々と強くなりたいです。どうすればいいんでしょう。また以前のように、うまくやる方法を教えてください。


Dear Maria, Count Me In

私は等身大のあなたが好きで、あなたがそばにいたらどんなにいいかと思っています。でも、それでもアイドルのあなたが好きなのは、あなたがその目に映すきらきらとした世にも美しいもの、あなたの渇望しているものの一つが、ステージでのあなたの姿なのではないかと思うからです。

あなたは2021年10月にWeverse Magazineで公開された記事の中で、自分のプロフィールのためのBGMにオール・タイム・ロウのDear Maria, Count Me Inを選びました。これは実在するショーガール・マリアへの熱狂をファンとして歌った曲です。ポップパンクなので、あなたの大好きなジャンルの音楽でもありますが、好きというだけで選んだのではないと思います。アイドル・バーノンのBGMとして選んだこの曲は、あなたのアイドル観を示しているのではないかと思うのです。

あなたについて、他ペンさんたちから「ステージの掌握力がすごい」という話をよく聞きます。バーノンペンにとってあなたが特別に見えるのは当然ですが、他ペンさんからもそう見えるというのはよっぽどです。

私があなたに心を掴まれたきっかけの一つに、Rock with youのバンドセッションバージョンがあります。音楽に没頭するように目を閉じて、マイクにかぶりついて歌うあなたに、私は恋をしました。もしあなたがステージで歌う人でなくて、あんなふうに音楽を乗りこなして感情をあらわにする機会がなかったとしたら、私はあなたのことをこんなにも好きになってはいないでしょう。

FOLLOWのアンコール前のVCRの、音楽に酔いしれるあなたが大好きです。これまでの人生でもう何度、あんなふうに音楽を聴きながら帰ったかしれません。私が誰もいない真っ暗な道でしかできないことを、あなたはカメラの前だからこそ剥き出しにし、美しくかっこよく照らし出してくれます。

映画や個人的に聴く音楽のように、アイドルもまた、現実から抜け出して私たちを自由にしてくれる広い世界になりえます。Dear Maria, Count Me Inのようにあなたがずっとアイドルの魔法を信じているのなら、私は何度でもライブ会場に足を運んでCARAT棒を振り続けます。

そうして私を見つけてくれたら、また静かに手を振り合うんですね。あなたは私が曲中に盛り上がりまくっていることを知らないんでしょうか。うちわを持つ時は、見えやすいようにまっすぐ立っていますから。でもいいんです。一人だけに熱狂されるより、数万人まとめて熱狂させないと意味がないでしょう、ステージの上のスーパーアイドルは。


メント

バーノンさん。あなたはいつもCARATに対してちょっと下から見上げていますね。そんなに深々と感謝して、こんなに幸せにしてもらってありがたい、自分も役に立てていたら嬉しい、って、低姿勢すぎやしませんか。

5万人のCARATと友達のようにやり取りする他のメンバーのメントを見ていると、なんだか12人に比べてあなたはCARAT全体と距離を取りすぎているようで、寂しくなります。私だけでしょうか。でもあなたがうまくできないのもわかっています。あなたが当たり前にうまくできる人だったら、私はあなたを好きになってはいないです。

FOLLOWでのいくつかのメントは、言い方の面白さに振り切っていて、会場を笑わせることには成功していたけれど、あなたの言葉を聞いている人は少ないようで悲しかったです。あなたが人を笑わせるのが好きなのはよくわかっていますが、それでも、そんなところでまでそうしなくてもいいのに。そうせざるをえないのはどうしてなんでしょうね。コミュニケーションって難しいですね。

あなたは自分のことを宇宙人だと言いますが、私はちっともそんなふうに思ったことはありません。私にも経験があるのでこう言いますが、周りと違う自分を「変な人キャラ」で受け入れてもらおうとするのは悲しいことじゃないですか。

あなたのやり方に対して、私は深刻すぎるのだと思います。私が勝手に傷ついているだけかもしれない。だから、出すぎだったらごめんなさい。私はただあなたを見て、わかろうとして、都度修正していくだけですね。あなたはもう私の人生に癒着してしまっているので、やめるなんてことはできないです。


ソリチュード

しばしば、いやほとんど常に、私はあなたに孤独でいてほしいのだろうか? かわいそうでいてほしいのだろうか? と考えます。そして答えはきっとイエスです。ここまで書いてきた内容からも明らかです。

でも、そんな願望はとても身勝手で、ともすればあなたを苦しめてしまうじゃないですか。あなたはメンバーや友達やファンに愛されて幸せなのに、私一人の慰めのために孤独でいろ、不幸であれなんて。

いけないことだとわかっています。こういう考えがやめられないのは、私がまだずっと孤独で、幸せではないからだとわかっています。そしてそれは、もはや私が本当に孤立しているからではなく、きっと周りから向けられている愛を私がうまく受け取れていないからだということも。

なぜそれを受け取れないかって、周りの人たちは(おそらく)私に友達がいなかったことを知らないでそう接してくれているからです。その愛に私がさも当たり前のように、前々から友達付き合いがうまかったように応えてしまうと、私が十代の終わりまでずっと経験し続けてきた孤独が全部なかったものになってしまう気がして。孤独は確かにつらいけれど、でも大事なものなんです。

だからあなたが何度も孤独を歌うのが私は嬉しいです。あなたはどんなに友達がいても、私の孤独を決して笑わないだろうし、そんなことありえないとも言わないだろうから。特別な孤独をずっと胸に抱いて手放さないままで、たくさんの人と繋がり合って幸せになる、そんな一見矛盾した生き方を、あなたと一緒なら私もできるようになる気がするから。

実はBlack Eyeが出るまで、私はあなたのコミュニケーション方法をお手本にして、私の孤独をすっかりなくそうとしていました。普通に友達と楽しく話せるようになって、普通のアイドルオタクみたいになりたかった。だからBlack Eyeが出てひどくショックを受けました。そして長い時間をかけてだんだんわかっていきました。孤独は、忘れちゃいけないものなんだと。

孤独と繋がりを両方損なわずに大事にする、そのバランスを私はまだうまく掴めていません。あなたは私には想像もつかないことを経験してきているでしょうし、あなたに向いているやり方と私に向いているやり方もまた違うでしょうし。でも、あなたがSEVENTEENの中で心底幸せそうに笑っている限り、きっとそこに希望があると思うんです。必ずそこにたどり着くから、SEVENTEENも、CARATも、どうか信じて待っていてください。


言葉

私は、世界で一番、あなたに言葉を尽くした人になりたい。

あなたには母語がないから、言葉で伝えることは私の身勝手で、あなたに対して優しくないことなのではないかと思ってきました。音楽や映画など、非言語的なものが含まれる表現のほうがあなたにとっては掴みやすいのではないかと。

その考えが変わったきっかけは三つあります。一つめは、2023年、あなたがめきめきと日本語の腕を上げたこと。二つめは、お見送り会で、私の英語のメッセージを声に出して読んでくれたこと。三つめは、今年のシーグリのコンテンツ内で、あなたが「来年(2024年)はもっと本を読みたい」と言ったことです。

考えてみれば、誰よりも言葉に苦労した人に対して「言葉が苦手だろう」とレッテルを貼るのは失礼ですよね。SEVENTEEN STREETでも、あなたはオブジェにびっしりと書き込まれたCARATからのメッセージを熱心に読んでいましたね。あなたが受け取ってくれるなら、私はいつまでも、どこまでも書こうと思います。

私がどうして言葉にこだわるのかって? 簡単です。かつてのあなたの孤独に寄り添ってくれたのが映画だったように、孤独だった私のそばにはいつも本があったからです。

今年あなたがどんな本を読んだのか、いつかこっそり教えてください。


まだ

明日の自分の気分もわからない私はいつも絶対なんて言えなくて、あなたに思わずこう言ってしまいます。

오늘도 still I love you
今日もまだあなたを愛しています

まだ、が一日一日と繋がって、いつか永遠になる日まで。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?