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BE THE SUN 覚書

ちゃんとした文章を書く時間がないので、簡単に。

SEVENTEEN「BE THE SUN」バンテリンドームナゴヤ 12/3、4の2公演に参戦した。
HANABIには行ったので生のセブチを見たことはあったけれど、コンサートという形は初めて。やっぱりライブの力はすげえなと思った2日間だった。

キーワードは「一体感」

1日目に会場入りする前は、CARATにはいろんな人がいるなぁという印象。HANABIのときよりもずっと多種多様だった気がする。

いかにもアイドルファンらしい可愛らしいファッションの方。ぱっと見アイドルファンらしくないスタイリッシュなファッションの人。私を含めて、もっとファッションに無頓着そうなタイプの人。派手な方。大人しそうな人。でかいカエルを小脇に抱えた方。男の人。年配の人。お子さん。
きっと全力でCARAT棒を振る人もいれば、双眼鏡地蔵の人も、ライト層の人もたくさんいるのだろうな……いろんなスタンスのファンがいるんだろうな……そう思いながら会場に入った。

周りの席の人は、きっとCARATでなかったら共通の話題も見つからないだろうな……と思うくらい私と雰囲気の違う人たち。この席大丈夫かな……そう思って開演を迎えたが、完全に杞憂だった。

4万5000人のCARAT棒の波。クラッパーの手拍子。メンバーの発言に反応する万雷の拍手。キリングパートで思わず漏れてしまう歓声。
隣のお姉さんも、前の女の子たちも、CARAT棒を突き上げて全力で盛り上がっている。
誰一人止まっている人はいない。誰一人置いてけぼりの人はいない。誰一人、13人を見ていない人はいない。
4万5000人が一人残らず(仔細に見ればもちろんそうでない人もいるのだろうけど体感として)完全にひとつである確信に感動が止まらなかった。日本で生きていて、日常生活で、こんな規模の一体感を感じることはまずない。

ごく一部の人にしか伝わらない話で申し訳ないが、この一体感は私がかつて大好きだった関ジャニ∞のライブによく似ていた。またあの頃のエイトのライブに来られた……そう感じた。

CARATはセブチのメンバーたちに似て、ものすごくノリがいい。セブチとCARATのノリでライブがどんどん作られていく。これが生だ、と思う。
ノリを作る、というのは、その「場」のために動く、ということだ。自分一人が何をしたいかではなく、その「場」の盛り上がりのために、大勢のCARATの中の一人として私は何をすべきなのか。ほとんど全員がそうやって、クラッパーを叩きCARAT棒を振って、ライブという「場」の一部になり一緒にライブを作っていっていたと思う。

それはまさにSEVENTEENの群舞によく似ている。センターに立つ人を際立たせ、後ろの人たちは背景になる。トークのときにも、話題の中心となる人に全員が注目し、全員で笑う。そしてその中心は刻一刻と動いていく。誰一人としてないがしろにされることはない。
そして誰一人として嫌々ながら参加している人はいない。誰もが望んで、その「場」のノリに加担している。なぜならその「場」にいるセブチ、そしてCARATを、誰もが愛しているからだ。

セブチのパフォーマンスの構造とファンダムの構造が一致していると気づいたとき、構造論大好き芸人こと私、めちゃくちゃ気持ちがよかった。

帰りの夜行バスを降りて他のCARATたちと一緒にぞろぞろ駅へ向かう間、みんな見ず知らずの人たちなのに、「あの空間に一緒にいたんだ……みんな仲間なんだ」と込み上げるものがあった。
ドームに入る前はわからなかったこの感覚。
あんなに多様な4万5000人、いや国籍すら違う世界の全てのCARATを「仲間だ」と思えるということ、これは人生においてなかなか他では体験のできない、素晴らしい感覚だと思う。
そしてこの世界を生きていく上でとても大きな救いだ。
SEVENTEENってONE PIECEなんやろか……。

パフォーマンスリーダーの証左

公演中、最も印象が変わったのはホシだ。
正直HANABIでは席が遠くて、曲数も少なく、あまりきちんとパフォーマンスを見ることはできなかった。
だから今回初めて、ホシのダンスの凄さを知った。

画面越しでは気づかなかったが、生身の体が躍動しているのを直に目にすると、どんなに遠くてもよくわかる。
ホシは他のメンバーよりも倍以上細かくリズムを刻んでいる。
これはもう見て明らかだった。
振付の一つの動きの前に、その動きの前触れの動きで、半分の拍を一回取っている。ずっと見ていたわけではないが、特にセンターで踊る際には全ての動作にそれが適用されていた。

私には「倍以上」ということしかわからない。
彼の些細な動き全てがリアルタイムの音に的確にはまっている。
指先をくるりと返すだけの仕草でさえも、寸分の狂いもない音ハメをしている。親指、人差し指、中指、薬指、小指……全部。だから、見ていてめちゃくちゃ気持ちがいい。まるで音が擬人化したよう。
彼はきっと凡人には聴こえない音をものすごく細かく聴いている。私にはわからない、ただホシの仕草からそういう音が「ある」んだということだけがわかる。意識の範疇では認識できない、無意識の体感に訴えかけられるダンス。

そしてさらにすごいのは、立ち位置によって調節をしているということ。後ろに下がると比較的拾う音の数は少なく、他のメンバーに混ざって背景の一部と化す。前に出ると、全ての音を拾い集めて虎になる。

これがパフォーマンスリーダーか、と私は感服した。

誰よりも信じられる自担

ばーのんさん、2日間めちゃくちゃかっこよかった。超かっこつけてたし、はしゃいでたし、最後まで体力が有り余ってて、余裕を感じた。すごく調子よかったと思う。

ばーのんさんのかっこよかったところをいちいち挙げていったらキリがないけど、それは他のバーノンペンも書くと思うので、ここでは私だけが書ける話をば。

話はHANABIに遡る。

HANABI 2日目は私の初生SEVENTEENだった。ステージからは遠いけれど、トロッコが目の前に来る位置だった。たしか規定に手作りうちわやボード禁止とあったので何も作っていなかったのだけど、ペラッとした紙ならバレないだろうと思い、その日の朝にコンビニで名前を書いた紙をプリントアウトして行った。(だからアンコール前にボードが映される演出はマジ…?と思った)

覚えている人もいるかもしれないけれど、HANABIのばーのんさんはめちゃめちゃ客席に手を振っていた。他のメンバーが話している間も、一人で天井席にめちゃめちゃ手を振っていた。正直あまり真面目に過去映像を見ていなかったので、該当ペンのくせに「そういう感じ!?」となった。

それまでのジャニーズの自担はあまりファンサに熱心なタイプではなかったし、私もファンサを欲しがったことはなく、むしろ群がるオタクたち滑稽だな〜くらいの気持ちで見ていた。

でもばーのんさんは初めてファンサが欲しいと思ったアイドルだった。あの輝きのおこぼれにあずかりたかった。

トロッコで真正面に来たとき、ばーのんさんはずっと上のほうの席に手を振っていた。大好きな人が目の前を通り過ぎるのをばくばくしながら見ていた。通り過ぎて次のブロックに行ってしまう直前に、私は持っている紙を前に突き出して振った。0.001秒だけばーのんさんはこちらに目線を送って、指を差せたか差せないかくらいで次のブロックへ移ってしまった。「VERNON」の文字が見えたかどうかは、わからない。

私は激しい自己嫌悪に駆られた。あろうことかファンサを強要してしまった。群がった。汚い。同時に自担を憎みもした。いくら天井席に手を振ったって、目の前にいるファンを見つけられないなら穴だらけじゃないか。しばらくの間、最悪の気持ちだった。

気持ちが変わったのは、Power of Loveの映画を2回目に見に行ったときだ。インタビューパートでばーのんさんはこんなことを言っていた。

「僕たちに声援を送ってくれるCARATを、僕たちが見る。
そんな相互作用は、言葉では到底言い尽くせません。」

Power of Love the movie

それからすぐ後に出た7周年記念グッズの動画ではこんなことを言っていた。

「(待ち遠しいMOMENTは)
僕はやっぱりツアーですかね。
CARATの皆さんが僕たちの公演会場を埋め尽くす、そんな日が一番待ち遠しいですよ。」

Q&A:SEVENTEEN's MOMENT

この人、ファンのこと求めてくれてるんだ。ファンサちょうだいってしても迷惑じゃないんだ。むしろ喜ぶんだ…
たったこれだけのことが私にとってはとても新鮮で、救いだった。ファンサなんてアイドルはみんな義務でやってると思ってた。あんな大勢に群がられるの、迷惑だと思ってた。でもばーのんさんがわざわざそう言うなら、それは本心なんだ。

次は絶対に名前を見せる。あなたのファンがここにいるよって伝える。そうリベンジを誓ったドームだった。
だから、発券して天井席だったとき、また死ぬほど病んだ。

見えないなら意味ないじゃん。光の一つになりに行くって言ったって、私はCARATであると同時にバーノンペンであって、VERNONという名前を掲げたいのに。なんでメンバーカラーがないんだろう……

交換同行してくれる友達の席も、すごくいい席なのに3塁を3階と間違えて覚えていて、愚痴愚痴言ってしまって本当にごめん。そして天井席と1:1で交換してもらうのも本当に情けなかった。

1日目は、友達が引いてくれたトロッコの目線の高さの席。私はこの日に全てを賭けて、蛍光緑地に黒字のうちわを作ってきていた。

蛍光黄または緑に黒字が、一番視認性が高い。私の中でばーのんさんは緑のイメージなので、後悔したくないので緑にした。

いざトロッコの時間。こちらにやってくるばーのんさんを目で追う。ファンサをどんどん繰り出す爆イケアイドルばーのんさん。でも数秒間、うちわを探すそぶりをするところを見てしまった。そうなのだ。こんなことを言うのはよくないかもしれないけれど、バーノンペンは、ちょっと探さないと見つからない。
絶対に見つけさせなきゃ、と決意が固まった。

ばーのんさんが正面に来たとき、目の前の2連番ちゃんたちに腕ででっかいハートを作られて視界が遮られた。無理かも……と一瞬思ったけれど、ハートちゃんゾーンを通り過ぎたばーのんさんはまだこっちを見ていて、前の席の人たちの隙間からばっちり私のうちわを見つけてくれた。うちわには「VERNON」の文字。私が何よりも見せたかった6文字。手を振るばーのんさんに、私もCARAT棒を振り返した。あなたのファンサ確かに受け取ったよ、の合図。なぜこんなに冷静だったのかは謎だ。

でも、まぐれではなく確かに見つけてくれると信じていたからだろう。だって、私は視認性の高さという、ばーのんさんに見つけさせるための最善の努力をしたのだから。

これだけでも私はもうHANABIのリベンジを果たせて大満足だった。でも本当にすごかったのは2日目だ。

天井席、こっちからは意外とよく見えるけれど、さすがに向こうからは見えないだろうなと思ってしまう。だけどアンコールのアジュナの途中で、ばーのんさんはステージの端っこまで来て、天井席のステージ側から順番にファンサをし始めた。私の席はファンサのしやすいステサイでもなかったので、ばーのんさんを目で追っていなければまず気づかなかっただろう。私はいそいそとうちわを取り出した。

緑うちわは実は2枚あって、裏には「버」「논」 というでっかい文字を貼っていた。

ばーのんさんは、ステージから、遠く離れた天井席の「버」「논」 を見つけて、指を差した。

よくファンサは勘違いしておけと言われるけれど、本当の確定ファンサって勘違いができない。ばーのんさんの視線も表情も見えない距離だったけれど、それまで見えていたばーのんさんの腕が、ぴったりと私を指して見えなくなるからだ。

私はまた「受け取ったよ」の合図でCARAT棒を指し返した。なんで私はこんなに冷静なのだろう。でもそのあとは全然冷静じゃなかった。帰って1週間くらいずっと天井席ファンサのことしか喋ってなかった。

たまアリの天井席ばかり見ていて、トロッコの目の前だったのに見逃されていた5月の私。
12月、トロッコの目線の高さできちんと見つけてもらって、「アリーナクラスだから天井まで手振れたんでしょ、ドームは無理じゃん」と思っていたのに、あの人はドームの天井席のうちわを見つけた。
それは彼の、見えるところは全部見るという努力が実を結んだものでもあった。そして、私の最大限見えるうちわを作るという努力が実を結んだものでもあった。

ファンサなんてアリーナの前のほうかトロッコの通り道が当たった人だけのラッキーイベントと思って、ファンサをよく思っていなかったのは春までの私だった。
ばーのんさんはファンサをラッキーにしない。どこにいたって、見えれば必ず見つけてくれる。私はあの人の、とことんまでの公平性を信じている。

正直、私はちょっとばーのんさんを疑っていた。HANABIのときみたいに、上のほうばかり見て目線の高さを見てくれないんじゃないか。アリーナクラスの天井は見やすいけど、ドームはどうせ無理だろう。

ばーのんさんはどっちも乗り越えた。天井席ファンサなんて奇跡に等しい。けどそれは奇跡なんかじゃなく、アイドルとファンの互いの努力が導いた、奇跡・幸運・偶然への勝利だったと思う。

2枚目のうちわのもう片面には、「MY HERO」と書いていた。でもそれは見せなくていいんだ。手紙に書いたから。


VERNON, YOU ARE MY HERO.
天井席まで見てくれる自担だもの、手紙を読まないわけがない。

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