見出し画像

20世紀ウイザード異聞【改稿】3-②

目次 https://note.com/soloitokine/n/ncac7b1b7f8fa

・竜人の語り部

 聖花火祭の翌日、ステファンは11歳の誕生日を迎えた。マーシャは居間のテーブルクロスを変えて花を生け、張り切って特大のケーキを焼き始めた。「そんな大げさにしなくたっていいのに。なんか恥ずかしいよ」
 テーブルを端に寄せ、いつもとは違う様子に整えられた居間を見て、ステファンは戸惑った。
「大げさじゃないよ。今日はステフにとってもわたし達にとっても大事な日なんだ。ちょっと手伝ってくれ、屋根裏にあと2脚、椅子があったはずだ」「本当にお客を呼んじゃったの?」
「そうだよ、これも計画のうちさ。君の誕生日にかこつけて悪いなとは思ったけど」
 屋根裏への梯子段を昇りながら、オーリは悪戯を企む顔をしている。

 ステファンはここ数日のめまぐるしいドタバタを思い出していた。
  まずエレインだ。
 オーリの奮闘ぶりを見て思うところがあったのか、竜人フィスス族の『語り部』としてもう一度務めを果たしたい、と彼女は言い出した。ただし、花崗岩事件のように竜人の怨念の依り代になるようなことはしない、自分の言葉で一族に伝わる話を語りたいのだと。
 オーリはしばらくエレインを見つめた後、わかった、と短く答えて今日の計画を練り始めた。
 そしてオーリの絵だ。
 カニスが誰にどう噛みついたかは知らない。だが美術展主催のアート・ヴィェークはオーリローリ・ガルバイヤンの絵を問題視するどころか大いに気に入ったようで、結局は財団名義で買い取り、そのままホール玄関を飾ることにしたのだから、絵の運命なんてどう転がるかわからないものだ。
 が、そこからがちょっと大変だった。
 まず、美術展初日に名乗りをあげた例の外国人女性――ジゼル・ミルボーと名乗った――が、絵を諦める代わりにぜひエレインと直接会って話を聞きたいと熱心に言ってきたのだ。他にも記者や美術館の騒ぎで竜人のことを知ったという多くの人が問い合わせてきた。
 これこそがオーリの狙いだったようだ。オーリは彼らをステファンの誕生祝いの席に招待し、そこでエレインの話を披露すると言った。

「招待とか言いながらあの関門はないよ、先生。魔法で作った生垣の迷路でしょう? 無事に通り抜けられる人って居るのかな」
 埃っぽい屋根裏部屋で椅子を引っ張り出しながら、ステファンは明り取りの小窓から庭を見た。
 この季節、ほとんどの植物が枯れた姿を晒している中で、常緑樹の緑を誇っているのがオーリの作った迷路だ。たいした距離でもなく、難しい道でもないはずだが、オーリが言うには、興味本位で竜人を見てやろう、などと思って来た者はもれなく迷い、カラスに突かれて逃げ帰ることになるらしい。
「ま、難しいとは思うよ。そら、早速入り口でカラスの歓迎を受けてる奴がいる」
 オーリが指さす先では、カメラを持ったゴシップ誌の連中が入り口の気難しいワイルドローズに弾かれて大騒ぎしているところだ。
 どうにかすり抜けたとしても庭番妖精たちによる次のトラップが待ち構えているんだから始末が悪い。迷路の中で堂々巡りをした挙句、疲れ果てて入り口に戻るはめになる人間が何人いることやら。
「首を洗って、いや心の中を洗って出直すんだねえ」
 オーリは呟いて親指を下に向けた。

「良くお似合いですよ、エレイン様」
 2階の部屋では、大きな鏡の前でエレインが白地の衣裳をまとっていた。袖の長い服には幾何学模様の縫い取り、同じ模様を織り込んだ前垂れ――竜人フィスス族の語り部が受け継ぐ式服だ。後ろに引きつめた赤い髪には極彩色の羽根飾り、耳に光っているのはいつかの黒い封印石ではなく、紅い石だ。
「またこの衣裳を着る機会があるなんて思わなかったわ」
 エレインは誇らしげに腕を伸ばして、袖口を飾る幾重もの幾何学模様を指差した。
「これはおばあさまの縫ったところ、これはその前の語り部の。そしてあたしが縫ったのはこれ、あまり上手じゃないけどね。この模様のひとつひとつが物語になってるの。だから忘れずにいられる」
「立派ですよ、大切になさいまし。たとえ生まれた地を失ったとしても、失っちゃいけないものがございます。それは人間も竜人も同じこと。オーリ様もきっと力を貸してくださいますよ」
 手を取って祈るように言うマーシャに、エレインは微笑んだ。
「先のことは分からないけどね。でもありがと、マーシャ。『語り部エレイン』の務めを果たしてくるわ」
 部屋のドアを開けると、11月の風が窓を揺する音が聞こえる。エレインは背筋を伸ばし、階段を下りていった。

「――でね、この黒いローブも今日届いたばかりで、ぼくまだ慣れてないんです。誕生日のお祝いにってお母さんが贈ってくれたんだけど。あれ? でもぼくのお母さんは魔法ぎらいなのに、どこでこれ買ったんだろ」
 ステファンの無邪気な言葉に客人たちはどっと笑った。
 赤々と燃える暖炉のせいばかりでなく、居間の中は暖かだ。子供も含めて十数人が集っている。結局はこれだけの人数がオーリの作った緑の迷路を無事に通り抜けたということだ。
 最初に難なく迷路を通り抜けたのは、子供たちだった。続いて例の外国人女性、ジゼル・ミルボー。本国で『竜人学』を研究しているとかで、子供のように歓声をあげながら迷路を楽しんで通り抜けてきた。
 迎え入れられたほとんどの人は、魔法使いの家ということで最初は緊張した顔をしていたが、オーリの気さくな人柄と薫り高いお茶を前にして、すぐに心がほぐれたようだ。口々にステファンに向けておめでとうを言い、新米魔法使いのローブ姿に目を細めた。
 マーシャのお手製ケーキを切り分けたあとは談笑が広がる。ころあいを見て、オーリが立ち上がった。

「皆さん、竜人の話を心待ちにしていることでしょう。そろそろわたしの守護者を呼びます」
 オーリに招き入れられ、居間の戸口に現れた赤毛の娘を見て、客人からどよめき声があがった。
「おお、あの絵に描かれていたのはこの女性ですな?」
「なんて赤い髪……でもあの、こんな綺麗な娘さんが竜人? 信じられない」
 疑うというよりも戸惑っている客人たちに、エレインはニッと笑って長い袖をたくし上げてみせた。すんなりとした腕の外側に長く、竜人特有の青い紋様が続いている。
「オオ! コレハ」
 ジゼルが立ち上がって近づいた。
「……間違イ無イ。刺青タトゥーナドデハアリマセン、竜人ダケガ持ツ紋様デス。アナタハ、フィスス族デショウ?」
 感極まった様子のジゼルにエレインは快活に答えた。
「そうよ、あたしは竜人フィスス族最後の生き残り、語り部のエレイン。しばらくあたしの話を聞いてくれる?」
 オーリはエレインの肩に手を置いて、しっかりね、と言ったきりなぜかそのまま居間を出てしまった。

 エレインは穏やかに、けれどよどみの無い口調で竜人の創世譚から語り始めた。ステファンもこんな風にエレインから直接聞くのは初めてだ。彼女の声は高すぎず低すぎず、物語りとも歌ともとれる心地よい韻律で部屋を満たした。
 人が発する生の音声というものは、どうしてこんなに心を揺するのだろう。始めは物珍しさからクスクス笑っていた子どもたちも、やがて真剣な顔で彼女の言葉に聞き入るようになった。
 ステファンは内心、気が気ではなかった。8月の終わりに、花崗岩に封じ込められた竜人の怨念と同調してしまったエレインの恐ろしい姿を覚えていたからだ。オーリが新しい封印の石を着けてあげたとはいえ、またあんな風になりはしないだろうか。
 エレインの語りは淡々としているが、時々声が震えることがある。人間への怒りを懸命に抑えているのだな、ということがステファンにも痛いほど解る。

――エレインの一族が守ってきた美しく肥沃な大地。『新月の祝い』は、普段離れて暮らしているエ・レ・フィスス(父たち)とベ・ラ・フィスス(母たち)が顔を合わせる唯一の日であると共に、魔力を忘れて『人』としての姿を取り戻す厳かで神聖な日のはずだった。けれど人間たちはその日を狙って侵攻して来た。エレインが初めての伴侶を選ぶはずだった美しい日は、こうして一族最期の日となってしまった。父親たちは皆、その場で戦い果てた。エレインも共に戦うつもりでいたが、一番年若いエレインを逃すことで母たちは希望を繋ごうとした――

 やがて話がエレインの母たちの最期に及ぶと、それまで水の流れるようだった彼女の言葉が途切れはじめた。長い袖に隠れた拳がぎゅっと固められている。
 いたたまれなくなって、ステファンは思わずエレインの傍に行った。
 どうしよう。こんな時に何と言ってあげればいいのだろう?
 言葉が見つからずステファンはただ、固まった拳を両手で包んだ。と、もうひとつの小さな手が伸びて、エレインの手に重なった。一番最初に迷路を抜けて来た小さな女の子だ。
「だいじょうぶ? 竜人のおねえさん」
 女の子に続いて、もう一人。そしてまた一人。その場に居た子どもたち皆が集まってきて、心配そうにエレインの手を取ったり顔を覗き込んだりし始めた。
「……ありがとう。あたしは大丈夫。さ、話を続けるから座って」
 エレインは少し青ざめた顔で、それでも微笑みを浮かべて子どもたちを見回した。
「少し休憩を挟んではいかがです? ほら、この人もお茶を出すタイミングに困ってる」
 客人の紳士が立ち上がって居間のドアを開けた。
 ドアの向こうでは、マーシャがお茶をワゴンに乗せたまま、ハンカチで鼻を押さえて号泣しているところだった。

 それにしても、オーリは何をしているのだろう。こんな時にこそエレインの傍に居なくちゃ駄目じゃないか、とステファンは腹を立てながら、エレインが落ち着いたのを見計らって、2階へ上がってみた。
 案の定、アトリエに灯りが点っている。
「もう先生、何やって……!」
 言いかけた言葉を呑み込んで、ステファンは目を見開いた。

 部屋じゅうに紙が飛び交っている。オーリはその中で、じっと目を閉じて立ち尽くしていた。杖を自分の額に向けているのは、かつて迷子になったアガーシャを探した時に見せた、魔力を強めて集中する姿勢だ。
 机の上の羽根ペンが10本とも、ものすごい勢いで走っている。ペン画を描いているだけではない。普段は無い金属のペン先をつけた数本が書いているのは、文字だ。インクをつける時間も惜しむように、交代でおびただしい文字を書き付けている。
 インク壷の隣では、蓄音機のホーンのような形の金属の花が震えている。そこから聞こえるのは居間で語っているエレインの声だ。
「……そうだ、語り続けるんだエレイン……怒りに負けるな……」
 オーリは目を閉じたまま、エレインがすぐ近くに居るようにつぶやいている。
 足元に落ちてきた1枚を手に取って、ステファンはオーリが何をしているのかを知った。エレインの語る言葉と記憶の光景をそのまま書き残しているのだ。しかも同時に、いつにも増して強い魔力を彼女に送りながら。オーリは時折足元をふらつかせ、それでも一心に集中していた。
 ステファンは急いで椅子を寄せ、オーリを座らせた。
「先生、何やってるんだよ、もう。いくら先生でも、こんな同時にいろんな魔法を使うなんて、無茶だ!」
「ステフか。時間が無いんだよ。竜人をこれ以上苦しめるような事態が動き出す前に、エレインの言葉を世の中に伝えなきゃ。それには正確な記録が必要なんだ」
 オーリは目を開けないままでうめくように答えた。 
「それならいっそエレインの隣に居てあげてよ。エレインひとりでかわいそうだよ。力を送ってあげられるのは先生しかいないんでしょう」
「そんなことをすればお客たちは、わたしが魔法でエレインを操って語らせているように思うかも知れないよ。それに羽根ペンたちはこのアトリエを出ては仕事ができなくなるんだ。さあ、分かったら邪魔をしないでくれ!」
 額に汗を浮かべながら祈りにも似た姿でいるオーリと、さっき居間で懸命に怒りを抑えていたエレインの姿がダブって見える。何を言ってもオーリはこの魔法を止めそうにない。ステファンは黙って床に散らばった紙を拾い集め、微動だにしないオーリを残してそっとアトリエを出た。


 
 夜になると、エレインはさすがに疲れたのか早々と天井の梁に上り、日没後の小鳥のように眠りについてしまった。
 オーリにはまだしなければいけない仕事があった。机の隅で埃を被っていた古いタイプライターを持ち出し、エレインを起こさないように『無音』の魔法を掛けると、昼間羽根ペンたちが書き取ったエレインの物語を清書しはじめたのだ。
 しかし彼はどうやらタイピングが苦手のようだった。金属のアームが何度も絡まり、焦る割りには一向に進まない。
 見かねたステファンはオーリをタイプライターの前から押し出した。
「だめだよ先生。時間が無いんでしょう、ぼくにやらせて」
「何だって? 君、できるの?」
「けっこう得意なんだ。お父さんの仕事の手伝いで覚えたから」
 ステファンは紙を二重にして挟み直すと、猛烈な勢いでキーを打ち始めた。ピュウ、と口笛を吹いて、オーリは目を見張った。
「驚いた、ガーリャが目覚めて働いてる!」
「ガーリャって、これに棲みついてるやつ?」
 キーを打つ手を止めないまま、ステファンは問うた。
「そうだよ、このタイプライターをトーニャから譲り受けた時からまともに働いたことが無かったんだが。ありがたい、その調子で頑張ってくれ、ステフ。わたしは挿絵を仕上げるよ」
 こんなに急ぎの仕事なんて、と思いながらもステファンは自分の力がオーリの役に立っていると思うと誇らしさでいっぱいになった。
 結局、使い魔のトラフズクが窓に降り立つ頃には、全ての清書が終わり、オーリは拳を宙に突き上げて快哉を叫んだ。
「オスカー、感謝だ! わたしに弟子ばかりでなく有能な助手まで遣わしてくれた!」
「しーっ、先生、エレインが起きちゃうってば」
 魔法使いたちの騒ぎを尻目に、トラフズクは冷静な顔で通信筒を背負い、「滅び行く者、声をあげよってことですな……」
 とつぶやくと一礼して飛び立っていった。

 竜人フィスス族の話は評判を呼んだようだ。もっと聞かせて欲しい、という声が引きもきらず、オーリは次の週からも何度か客を招いた。
 エレインの語りにはますます熱がこもったが、最初の日のように怒りで声を詰まらせるようなことは無くなった。話を聞き終えた人びとは彼女の手を取って、今まで竜人のことを誤解していた、済まなかった、と涙を浮かべながらしばらく時を忘れて話し込むのが常だった。
 中にはジゼル・ミルボーのように何度も訪れる人も居り、いつのまにかエレインには人間の友人が何人もできていたし、嬉しいことに、ステファンにも友だちと呼べる子らができた。
 相変わらず『関門』の迷路で弾かれるゴシップ記者たちが腹立ち紛れに酷い記事を書きたてたが、
「タダで宣伝してくれるってわけか。ご苦労なこった」
 と、オーリは涼しい顔をしていた。
 一方で『竜人とのお茶会』の話は耳から耳へと伝わり、迷路を通り抜けられることがひとつの名誉のようにさえ語られるようになっていった。

 客が全て帰っても、迷路の入り口でカラスが騒いでいる。オーリは庭に出て指を弾き、カラスを遠ざけてから呆れたように声をかけた。
「あんたも懲りないね。いいかげん、仕事を離れてひとりの人間として来たらどうです? そうすれば通り抜けられるかも知れないのに」
「ああ、長年染み付いたひねくれ根性が邪魔してね。いや、今日はそんなことで来たんじゃないんだ」
 帽子をさんざんに破られた雑誌記者は冷や汗をぬぐいながらオーリに向き直った。
「いいニュースだよ、ガルバイヤンさん。例の髭男、カニス卿が失脚したらしい」
「カニスがどうしたって?」
 不愉快な人物の名を聞いてオーリは眉を寄せた。
「あの髭男、前からうさん臭い奴だと思って調べてたんだけどね。カニスってのは偽名だ。ブンバビエリという名をきいたことがあるかい? 奥方は竜人保護の慈善バザーとかやりながら、裏で竜人を横流ししてた魔女だ。夫婦で他人の記憶を書き換えて地位や肩書きを手に入れてたっていうんだから、とんだペテン野郎だよ。最近になって記憶を取り戻したという貴族から訴えられて、今大変なんだと。傑作だろう?」
「あの犬男め、そんなさもしい事やってたのか……で、それをわたしに言ってどうしようっていうんです」
「どうもしないさ。ただ、あんたに言われてから俺も改めて竜人の話を聞いてみることにしてね。とある少年から髭男とあんたの因縁を聞いたんで、伝えておきたくなったのさ。仕事抜きでね」
 記者は照れ隠しのように、破れたハンチング帽子を深く被った。
「その少年って、カニスが売ったという竜人の? あの子は今どこに?」
「忙しく飛び回ってるよ。港の人足をしてたんだが、竜の言葉が理解できるってことで重宝されて、翼竜たちに仕事依頼を伝える通訳として雇われたんだとさ。ちゃんとした契約の元だから管理区に送られる心配はないよ。銀髪の魔法使いに会ったらよろしく伝えてくれって頼まれたんだ。『あの時は止めてくれてありがとう』だってさ」
 そこまで言うと、記者は腕時計を見、慌てて道端の車にカメラを放り込んだ。
「ちぇ、時間切れだ。今日も記事にならなかった。せめて赤毛美人の写真でも撮れたらなあ」
 冗談まじりに言う記者に、オーリは真顔で答えた。
「あんたは竜人の話を聞く耳を持っているんじゃないか。もうくだらないゴシップ記事なんて止めたらどうです? お宅の雑誌が事実を曲げずに書くようになったら、いつでも喜んで招待しますよ」
 記者は答えず、苦笑いを残して走り去った。

「記憶を書き換えたって……?」
 ふと考えこんだオーリは、フッと愉快そうな笑いを浮かべた。
「いやまさかね。『忘却の辞書』はもう白紙化して確かめようがないわけだし。残念だな」


「先生ただいま! 言われてた新聞と雑誌、全部買ってきたよ」
 ステファンは大きなズック袋に山ほどの荷物を抱えて帰宅した。
「お帰り、お使いご苦労さん。飛ぶのは寒かっただろう、鼻が真っ赤だぞ」
 大丈夫、と返してステファンは大切な箒を部屋の隅に掛けた。
 村の雑貨店や郵便局までお使いにいくのは、ここ最近のステファンの楽しみになっている。エレインのお茶会で知り合った友だちに会えるし、お使いの駄賃で好きな本が買える。うまくすれば買い物先の店主がキャンディをくれる時まである。
 街中では箒飛行は禁止と聞いて、初めのうちこそ自転車を使っていたが、ローブの裾が絡まるし、不器用なステファンはよく転ぶ。見かねた村人たちのほうが気をきかせて、
「なんだい箒で飛んで来ればいいじゃないか。魔法使いなんだから」
 と言ってくれるようになった。
 不思議なもので、学校に通っていた頃はあんなにからかわれ、叱られたステファンの力が、黒いローブを着て魔法使いを名乗るようになったとたん『魔法使いなんだから』のひと言で受け入れてもらえるのだ。これは驚きだった。

「うーん、やっぱり竜人の記事が増えてるなあ。タリリ族、ガルニニ族……ワチ族もか。結構いろんな種族に取材してる。今まで口を閉ざしてた竜人が話してくれるようになったのか、それとも人間が聞く耳を持つようになったのかな」
「でもエレインの話が一番いいよね!」
 うきうきしながらステファンは手元の真新しい雑誌を開き、エレインに見せた。お茶会で彼女が語った竜人の物語が連載記事として載っている。身近な人の話が活字になるなんて(しかも自分が清書したのだ)こんな素敵なことがあるだろうか!
「これがあたしの話? 随分小さい模様がいっぱい並んでるのね。このひとつずつが物語としたら……あたしこんなに語ったっけ」
 そうだった、エレインは人間の文字を読まない。ステファンは説明するのをやめて、雑貨店の店主や郵便配達の若者がエレインの記事を読んで『おらが村の竜人娘エレインが本に出てる』と大騒ぎした話を、夢中で話して聞かせた。
 オーリが厳しい顔をしているのが気になったが。

 そして12月の声を聞く頃。
 今にも雪が舞いそうな重い雲の下を飛んで、一羽の黒鷲が森の家に近づいてきた。その姿を見るや、オーリは肝を潰したように庭に飛び出した。
「トーニャ! そんなお腹で飛んでくるなよ!」
 冬の庭に降り立った黒鷲は、こぼれそうに大きなお腹をローブに包んだ魔女の姿に変わる。
「あーらご心配なく。私じゃなくてベビーが飛びたがってるんだから。それにこんな面白い仕事、他の魔女に任せてたまるもんですか」
 古風な黒い帽子を外しながら、魔女トーニャは思惑ありげな笑顔を見せた。

 マーシャが暖炉に足した薪が勢い良く燃える。トーニャはジャムを添えたお茶を楽しみつつ、ふう、とお腹をさすった。
「面白いかどうか知らないけどね、仕事好きもほどほどにしろよ。この寒いのに飛んだりしてベビーに何かあったらユーリアンに何て言えばいいんだ」
 オーリは困り顔で勝気な従姉に苦言を言った。
「それよりまずお礼を言わせて、オーリ。あなたが送ってよこしたエレインの話は好評よ。魔女出版としても初めて一般女性向けに出した雑誌の看板記事だから、力を入れてるわ」
 そうだろうそうだろう、とステファンは一人で悦に入った。雑貨店主や郵便配達にだってあんなに好評だったんだから。マーシャにいたってはもう大喜びで、自分の給金で何冊も買って近所のおかみさんたちに配って回ったくらいだ。
「ただね……」
 トーニャは細い眉を寄せた。
魔女出版うちみたいに小さな社で出来るのはここまで。それでなくても今はどこの社も紙の確保が大変なの。雑誌なら質の悪い紙で何とか対応できるけど、ちゃんとした本となるとね……有名な作家の本だってダイジェスト版で出さなきゃいけないくらいよ」
「わかってるよ。魔法管理機構に送った文書は無視されたし、こんなご時世で記事にしてくれただけでもありがたいと思ってる。無理言って済まなかった、トーニャ」
 頭を下げるオーリを見てステファンは驚いた。
「え、どういうこと? エレインの話は本に載ったんだから、みんなが読んでわかってくれるんじゃないの?」
 雑誌の表紙を爪で弾きながら、トーニャが皮肉な表情で答えた。
「こういう雑誌はね、読み捨てといって一度読んだきりで忘れられるものなの。悔しいけどそれが現実。もっと良い紙を確保して、きちんとした本にまとめたいけど今は無理だと言ってるの」
「そんな……」
 エレインの話を記録して挿絵をつけ、竜人の思いを世に訴える――オーリの計画を聞いたときは、なんて良い考えだとステファンは舞い上がったし、タイプ打ちだって苦にならなかった。記事が評判を呼べばもっと多くの人が竜人の現実に目を向けてくれるかもしれない。竜人に対する扱いが厳しくなるのは年が明けてからだから、時間との競争になるが、やってみる価値はある。そんな話をオーリがすると、もうこれですべて解決するんじゃないかとさえ思っていた。
 どうやらそんな簡単な話ではないらしい。
 エレインがあんなに懸命に語り、オーリが魔力を尽くして書き取り、ステファンがタイプで清書した竜人の物語が、読み捨て、忘れられる――忘れられることは存在しなくなるに等しい、とオーリは言っていた。
 そんなことがあるか。トーニャとオーリの顔を交互に見ながら彼女なりに話を理解しようとしているエレインに、なんと説明すればいいんだ。ファンタジーの本で読んだ『人の望みを喰う巨大モンスター』は、もしかしたら空想物語の中ではなく、この現実世界にいるんじゃなかろうか。ステファンの胸がつまった。

「だからってここで引き下がるわけにはいかないわ」
 トーニャが、仕事人の顔でキラリと目を輝かせた。
「ねえエレイン、お茶会よりもっと多くの人間に聞かせてみない?」
 オーリは眉をしかめて振り向いた。
「トーニャ、何を考えてる。興味本位の連中の中に我が守護者を引っ張り出すのは御免だぞ」
「ばかね、ラジオ出演の話よ」
「ラジオだって!」
 居間でつけっぱなしになっているラジオを、皆が振り返った。
 さっきから浮かれた調子でトンチキな曲とコメディ噺が流れている。エレインが目を丸くした。
「ラジオって、あの音がする箱でしょ? どんな小人をつかまえて喋らせてるんだかしらないけど、あたしあんな小さな箱に入らないよ?」
 まずそこからか、と頭を抱えるオーリには構わず、トーニャはエレインの肩に手を乗せた。
「理屈はわからなくてもいいの。とにかく、ラジオは遠く離れた大勢の人間たちに話を聞かせることができるの。そして今回の仕事は、あなたにしかできない」
「エレイン、ラジオに出るの?かっこいい!」
「ちょっと黙っててくれステフ、話がややこしくなる。何のためにわざわざ迷路まで作ってこの家で話すことにこだわってると思うんだ」
 オーリは身を乗り出して険しい目をトーニャに向けた。負けじとトーニャが睨み返す。
「まったく甘いわね。本当に訴えたいことがあるなら、安全な場所に篭って相手を選んでたんじゃ駄目でしょう。相手が聞く耳を持とうが持つまいがなるべく多くの人に訴えなきゃ。私は活字の力を信じてるけど、伝わる速さでいったら電波は活字の比じゃないわ。世の中はどんどん変わってるんだから、使えるカードは全部使うべきよ」
「だからって、エレインを都会のラジオ局まで連れて行けっていうのか。ああ、物見高い連中が喜ぶだろうさ」
 たまりかねたようにオーリは立ち上がってエレインを引き寄せた。
「人の話は最後まで聞きなさい! それに私はエレインと仕事の話をしてるの、オールドスタイルの絵描きとじゃないわ!」
 今度はトーニャがエレインを引っ張った。古くさいオールドスタイルと言われたオーリは返す言葉もなく口をパクパクとした。

 雑音がひどくなったラジオから、明るい声が響いている。
『それでは登場願いましょう。今人気上昇中の「ジョグ・ジャグ=ドラゴニー」 なお本日は録音放送ではなく生放送でお送りしております』
 哀愁ただようメロディーが流れてきた。それは古いバラッドにも似ていたが、バンジョーの音が入ると、急に曲調が明るく変わった。
 洗濯板や手作り楽器などにバンジョーやギターを合わせて演奏するスタイルは、外国から入ってきてこの国でも流行しつつあった。
「このバンド知ってる。ぼくの家でもラジオで聞いたことあるよ」
 7月にオーリが迎えに来た日、家のラジオから流れていた曲を、ステファンは懐かしく思い出した。

――ドラゴニュート、ドラゴンメイド、どこにいるんだい

あんたの話を聞かせてくれよ

親父は許してくれない

お袋も眉をしかめるだけ

それでも聞きたい、ほんとの物語

おためごかしの教訓話にゃうんざりさ――

「あ、この歌」エレインが顔を上げた。
「ティググ族の歌にそっくりな曲があったわよ。歌詞ことばはまるで違うけど」
「竜人が歌ってるってこと?」
「ううん、ティググはフィススと違って、管理区おくりになってから滅んだ種族なの。でもこの節回しは……」
 歌が終わって解説を始めるアナウンサーからマイクを奪うように、誰かの声が割って入った。
『わが友ティググのおっさん、天国で聴いてるかい? 俺たち人間にできる罪滅ぼしはこれくらいだ、ごめんな。でも俺たちはテレヴィジョンでも歌ってやるからな――』
 最後のほうが聞こえにくかったのは、慌てたアナウンサーにマイクの前から押し出されたに違いない。
 エレインが立ち上がった。
「竜人の物語を聞きたいって……言った? 聞きたいって言った? ちょっと待って、箱から出てきなさいよあんたたち」
 ラジオを掴んで揺さぶるエレインを、皆が慌てて止めた。
「落ち着いてエレイン、ラジオ壊さないで」
 エレインは落ち着かない様子で振り向いた。
「ラジオがどんな魔法だかしらない。けどあの子たち歌ってたわ、竜人の物語を聞きたいって。だったらあたしは語らなきゃ。あたしは、語り部なんだもの!」
「そうね。ただし、あなたが直接出向くのはリスクが大きすぎるわ。誰かさんの絵のおかげで顔が知られちゃったし、最近の『竜人ブーム』を面白く思わない連中もいるから。でも聞いて、この家に居ながら話を聞かせる方法があるの」

 トーニャの話はこうだ。
 ラジオ局でも早くから、評判の竜人を呼んで番組で語らせたら、という話が出ていた。まだ数が少ないとはいえ、テレビジョンという新しい放送媒体に人気を奪われるのは時間の問題だ。対抗するにはなにかしら目新しい企画が必要だった。しかしどこで横槍が入るのか、なかなか上の許可が下りない。
 そこで表向きは地味な朗読番組ということにして、魔女の力を借りてエレインの声だけを流す。後でとがめられたとしても、ラジオ局の人間が録音機材を持って動いたわけではなし、竜人本人が来たわけでなし、証拠は残らない。全て、魔女側からではなくラジオ局側から持ちかけてきた話だそうだ。
「従姉どの、以前から思ってたけど魔女の人脈ってどうなってるんだ。大体そんな無茶ができる魔法といったら……」
 オーリが、ハッと顔を輝かせた。明らかに何かの答えを用意している企み顔のトーニャと目を合わせ、お互いを指差して同時に言う。

「ピリニマ」
「ロクィ!」

 従姉弟どうしは声を立てて笑い合った。
 何のことだかわからずに戸惑っている一同を前に、オーリがまだ笑いながら説明した。
「ピリニマ・ロクィってのはね、離れた場所にいる者の口と喉を乗っ取って、こちら側の言いたいことを勝手にしゃべらせるイタズラ魔法だよ。小さい頃トーニャとこれをやってガートルード伯母によく叱られたよな」
「今度はイタズラじゃないわよ。しかもブラスゼムまで声を飛ばさなきゃいけない。なるべく多くの魔女に協力してもらわなきゃね」
 悪い顔で微笑むトーニャに、ふとオーリは疑問を投げた。
「まてよ、竜人と契約してるわけでもないのに協力してくれる魔女がいるのか? 何のメリットもないのに」
「居るわよ。魔女を侮らないでくれる?」
 トーニャが笑顔を消し、真剣な目を向けた。
「かつて魔法使いたちが『竜人狩り』を始めた頃、一番近くにいながら愚かな行為を止められなかった、と悔いている魔女は多いわ。直接手を下す事こそしなかったけど、傍観者を決め込んでた自分達も魔法使いと同罪だって。ね、エレイン。私たち魔女にも罪滅ぼしの機会を与えてはくれないかしら」
 困惑したような緑色の瞳の上で、赤銅色の睫毛が何度か上下する。
「なんかよくわからないけどさ。あたしは乞われれば誰にだって語って聞かせるわよ。だってそれが語り部の務めだもの。そうでしょ?」
「その通りでございますよ」
 さっきから黙って聞いていたマーシャが口を挟んだ。
「思うとおりになさいまし、エレイン様。ほんの少しでも望みがあるなら、そちらに賭けるべきです。このマーシャめも及ばずながら、放送の日には農場のおかみさんたちに声を掛けてラジオを聞くように言って回りますとも。よろしいですね、オーリ様?」
 オーリは観念したように天井を仰いだ。
「昔からカードではトーニャの隠し札に敵わなかったものな……よしやろう。大きな賭けになるけどね」
「あーら、魔女は勝算のある賭けしかしないものよ。さ、時間がないわ。電話を貸してちょうだい」
 トーニャは再び仕事人の顔に戻っていた。

 12月最初の金曜日。

 オーリの狭い家に魔女が続々と集まってきた。皆、鳥に姿を変えたり『遂道』を通ってきたりした、年齢も出身もまちまちの魔女たちだ。赤毛の竜人エレインを見るなり、涙ぐんで詫びるように抱きしめに来る者あり、ただ手を取って深々と頭を下げる者もあり、そして誰もが口にする言葉は、「生き残った娘が居てくれたなんて」
 という喜びの言葉だった。
 オーリは壁際に立つ大柄な魔女の姿を見て驚いた。
「伯母上、あなたもですか?」
「私は監督役です。この者たちがしっかり役目を果たすように見届けねばなりませんからね。それに……」
 ガートルード伯母は水色の目をエレインに向けた。
「フィスス族の娘。先代の語り部のことを、私はよく覚えていますよ。今日はあなたの仕事ぶりを見せてもらいに来ました」
「おばあ様のことを知ってるの?」
 白い式服を着たエレインは顔を輝かせた。
「ええ、とてもね……さあ、時間がありませんよ。こちらへ」
 部屋の床に真新しい紋様が描かれている。エレインはその中央に立ち、オーリがぴったりと寄り添って立った。黒装束の魔女達が周りを取り囲む。
「向こうの手はずは整っているわね?」
「大丈夫です。トーニャが送り込んだ『声の受け手』の魔女がラジオ局に居ますから」
『おいおい、魔女だけじゃないぞ。ソロフの兄弟を忘れてもらっちゃ困る』
 壁に取り付けた朝顔型のホーンからユーリアンの声が響いた。
 ソロフの兄弟――ソロフ師の教えを受けた魔法使いたちのことだ。今回の計画をユーリアンから聞いて、各地から続々と協力を申し出てきた。ここリル・アレイから首都ブラスゼムのラジオ局までは距離がありすぎる。魔女の力だけでは心許ない。魔法使いたちは途中の街からリレー式にエレインの声を飛ばす、いわば中継局の役目を果たしてくれるという。
「ありがとう、兄弟たち」
 オーリは独り言のようにしみじみ呟いた。

 よろしい、とうなずいて、魔女ガートルードは確かめるように言った。「いいことオーレグ、この娘の言葉を最後まで届けられるかどうかはお前にかかっているんですからね。心をしっかり持ちなさい」
「言われるまでもありませんよ、伯母上。何の為の契約だと思ってるんです? 我が守護者に力を送るのはわたししかできない事ですから」
 不遜とも思える表情をするオーリにちらと目をやって、ガートルードはおもむろに手を挙げた。
 魔女たちが手を繋ぎ、紋様が光り始めた。それを合図にエレインが語り始める。長い袖の下で繋いだオーリの手に力がこもった。

 その日、夕食後に朗読番組を聞こうとしていた人びとは、いつもの番組とは違うことに気付いた。聞きなれない澄んだ声と、噂でしか知らなかった竜人の話。詠うような声に聞き入る人びとの驚きが、静かな感動に変わってゆくのに、そう長い時間は必要なかった。

(次の話)


よろしければサポートお願いします。今後の励みになります。