春田が桜の花道を往く理由

 今回は自分には珍しく考察しています。決してこれが正しいという意味ではありません。あくまで自分の解釈です。

 初見から季節は夏なのにどうして〝桜〟なのだろうと思っていました。ずっと春田や連ドラの象徴として出ているのだろうくらいに考えていました。ですが、ある時に雷に打たれたように点と点が繋がりました。

 まず、オープニングの春田は正面を向いて満開の桜の中を歩いて来ます。これは恐らく連ドラが桜の季節に始まり、春田と牧の恋も桜の木の下から始まったことを暗喩しているのだと思います。

 そして連ドラの場面が走馬灯のように流れます。もちろんドラマを見ていない方へのキャッチー的な意味合いもあるでしょうが、これは春田の心象風景だと思いました。

 そして春田は次なるステップ、恋から愛の深みへと勢い良く飛び込んで行きます。そして連ドラから劇場版へとバトンを繋ぎました。

 劇場版でラブが見え難いのは、連ドラが桜の花(ラブ)の部分を描いたのに対し、劇場版はその花や枝や幹を支える根っこの部分を描いているからです。劇場版で桜は深く深く根を下ろし、春田と牧の愛はより深くなりその絆は確かなものになってゆきます。

 そしてエンドロール。再度、桜並木を歩いて往く春田が出て来ます。ですが、今度は春田は観客に背を向けて桜のトンネルを抜けて往きます。その時にオープニングでは映らなかった、ことさら太く大きな幹が映っています。この桜の大きな幹は、春田と牧が育んだ愛の象徴なのだと思いました。同じ桜のように見えても、春田には始まりと終わりの桜の風景は全く違って見えているのだと思います。

 そしてその桜のトンネルを抜けた向こうには愛する人の笑顔が在って、二人の絆は固く結ばれたところで終わります。

 ですが、自分にはこれはリスタートのように思えました。もしこの先の未来があるのだとしたら、きっと満開の桜の季節で始まるのではないかと思うのです(実際の季節という意味ではなく)。それは自分の願望でしかないのですが、またこの二人のまなざしのゆくえを私は見守りたいのです。