春田と春田ママの関係、そして牧の存在

 自分はドラマを見ている時から、春田を見ていると泣けて来る時がありました。彼は一人っ子で寂しい思いをたくさんしたのだろうな、暗闇が怖いのも物理的なものだけではなく、精神的な闇を抱えているのかな、と思っていました。

 兄弟や家族というものに強い憧れを抱き、小さい頃には家族のような鉄平兄やちずとご飯を食べたりしたのかな、と想像したり(それはた夏祭りの言及でも暗示している)、ドラマで食事のシーンが出るたび、牧と美味しいご飯をモリモリ食べて、笑いあったり、喧嘩したり、他愛のないことを話しているだけで泣きそうになっていました。人の食というものは幸せの象徴だからです。

 春田の味覚が子どものままなのは、春田ママが忙しくて春田の好きなものを与えて続けていたからかもしれないし、春田もまた自分の寂しさを紛らわすために自分の好きなものだけを食べて育ったからだろうか、などと思いを馳せていました。

 春田と春田ママの関係。これはドラマから劇場版にまで、春田自身と牧の関係にも深い影を落としています。

 確かに30を過ぎてグウタラしている息子に対する「母さん出て行くから!」や「アンタが出て行きなさい!」は自然な行為です。むしろそれが母親の愛情だと思います。ですが、それと春田に対しての無関心は本質が違います。春田ママを見ていていつも感じるのは、春田に対する無機質な感情です。牧ママ(牧パパ)のそれとは対極にある存在だと思います。

 誤解を招くといけないので補足しますが、春田ママが冷徹だという意味ではありません。ただ、感情が無機質で情緒に欠けているとは思います。あえてそう描くことで春田の孤独を浮き彫りにさせているのかもしれませんが、春田の一番大切な部分が抜け落ちているのは、春田ママの影響が大きいと思っています。

 春田の一番大切な部分とは〝情操〟です。春田ママと牧が鉢合わせた場面で、春田が牧との関係を未だに何も話していないということが分かります。別にそれは春田が牧を大切にしていないという意味ではありません。ただ単に「母ちゃんに伝えるほど重要なことではない」と思っているのだと思います。そう思うのはおかしい、非常識だ、そう感じた方も居るかもしれません。ですが彼の中で欠落しているのはまさにここです。付き合ってすぐに家族へ大切な人を紹介した牧とは、あまりにも見えている風景が違います。

 春田ママもまた、牧が春田の言葉を遮ったことや、牧が言葉を選んで何かを言い淀んでいることを深く追求しません。ここにも彼女の無機質な感情が見て取れます。彼女に全く他意はないのです。あら、そう、としか思っていない。彼女もまた、何かしらが欠けています。

 自分がドラマの中から春田のバックボーンを探った時、掘り起こしたテキストがあります。少しセインシティブな内容になります。

 一瞬、曇った牧の顔を見て、自分の中で何かが弾けた気がした。自分も男だ。牧を好きだと自覚すれば、すべてを手に入れたいと思う。それでも今まで付き合った彼女に、ここまでの気持ちは湧き上がらなかった。
 
 それなりにつきあった人は居た。手を繋いだり、キスをしたり、抱き合ったりもしたけれど、誰かを好きになるという感情が俺には良くわからなかった。誰かを大切にするということも、自分を大切にするということも、良く耳にする言葉ではあるけれど、正直、自分には良く分からなかった。

 誰かを好きでいようとしたことはある。ただ、好きという感情が誰かとキスをしたいとか、抱き合いたいとか、すべてを手に入れたいという気持ちに直結したことはなかった。
 

 いつもどこか冷めている自分が居て、自分からは踏み出せない、踏み出さない自分が居て、別段、それがおかしいことだとも思わなかった。それを不満に思う彼女はみな、自分から離れて行った。
 

『春田君は“男”じゃない感じがする』


 そんな言葉を投げかけられたこともあった。良く分からないけど、俺はそういう人間なのかもしれない。生物学的には男だけど、本能的に自分が誰かを求めていたかと聞かれたら、そんなことはなかった。自分から誰かが離れて行くたび、諦めの気持ちと折り合いとつけるのが上手くなり、いつも笑顔でそれを塗り潰して来た。
 
 でも、牧は、牧のことは違う。そんなこと上手く説明なんか出来るか。

 以上は自分がドラマから勝手に解釈して作り上げた、春田のオスの部分の輪郭です。自分の中で春田の情操を司るのは牧だと思っています。春田に欠けているものを補えるのは牧しか居ない。春田もまた、本能的に牧しか居ない、そう思ったからこそ、あの極限状態で一世一代の愛の告白をしたのだと思っています。それでもなお、牧に「言ってもいい?」と母に赦しを乞うかのような言い回しをする彼に切なさを感じます。

 春田の中でパチンと一つのピースがはまった気がしました。春田は自身と牧との対峙を果たしました。ここから対峙して往くのは彼の母親です。まず母の庇護下から巣立たなくてはなりません。それは春田ママが家に戻ることで、今度は春田が家を出て行くことで解決すると思います。

 そして牧を家族として春田ママに紹介することです。良い意味での母との決別です。春田と春田ママは同じ角度からしか物事を見ることが出来ません。だから牧が家族になることで、春田が見る風景はガラリと変わると思います。

 また、牧が武川さんではなく春田でなければならなかった理由。武川さんは牧に対して春田を〝向こう側の人間〟と言っています。春田と牧はガラスを隔てた、淡い水の世界と、海の世界の存在で、牧と武川さんは同じ海の住人だと思っていた、そこに慢心があったように思います。

 牧は春田と同じ水に在るとお互いが死んでしまうとわかっていて、ただ、ガラス越しに春田を見つめることしか出来なかった。でも春田は、ただ、見つめ合うことしか出来ないのだとしても、牧と共に在りたいと強く願った。その想いが誰よりも真っ直ぐで温かかった。だから凍てつく牧の心を溶かしたのだと思います。

 ラストシーン、二人は互いに背を向けて歩き出しますが、二人は同じ目線の高さで、同じ歩幅で、同じ風景を見ているに違いありません。離れてしまう寂しさは感じても、孤独を抱えて生きて来た春田にとって、こんな素晴らしい花道はありません。彼の心には満開の桜が舞い、麗らかな春の曲が流れています。あまりにも出来過ぎたラストです。