地球上に棲む銀河人

 8月11日のツイより。劇場版おっさんずラブへの願望を書いていた。

 正直、キスとかそれ以上とかどうでもいい。精神的な繋がりを深く深く…たとえ澱みがあってもいいから。

心の海に棲まうもの
泪の河で創り出でし海
その限りでしか
息づけぬ魚

 自分はその海へどこまでも潜って、沈んで、溺れていたい。

 この時に望んだ世界が今拡がっている。自分が望んでいた通りになった。どれだけ感謝しても感謝し切れない。

 劇場版おっさんずラブから読み取るものは、その人の経験に基づくもの、価値観や性別、年齢、立場によっても異なる。その違いは決して否定されるものではない。たとえ言葉が通じなくても、誰かとは違う想いを抱いたとしても、それはそれでかまわない。

 ただ、それが正義だとは思わないで欲しい。自分の正義を振り翳して、闇雲に誰かを攻撃するのはやめて欲しい。世界に背を向けるのはやめて欲しい。貴方が闘っているのは目の前の誰かでも、ましてや世界でもない。自分が闘っているのは、自分が生み出した自分自身の亡霊だからだ。

 声高に誰かを攻撃する人は、それが皆一緒で同調してないと不安なのかもしれない。同調圧力が当たり前になっている今のネット社会では特に。捉え方に違いがあることは別に劣っているわけではない。逆に優れているわけでもない。価値観の違いだけだ。

 むしろ怖いのはその価値観の違いを認められないこと。投げかけるものがあまりにも壮大で、受け取り方が多岐に渡り波紋を呼んでいる。そのことに意味があるように思う。それこそ多様性を認めることなんだろう。たとえそれぞれに抱える傷みの形は違っても、互いにその傷みに寄り添うことは出来る。そこに眠る傷みを識ることはできる。

 〝地球上に棲む銀河人〟という言葉がある。人のなりや暮らしはしているけれど、どこか人とは違うことの生き辛さを感じている人たちのことだ。銀河人は独自の言葉を話し、誤解を生むことや理解されないこともある。林遣都さんもそのうちのひとりだと思っている。林さんは田中さんという良き理解者に巡り会えた。運(めぐ)り合わせというもの、縁というものを感じる。

 世界は一色で彩られているのではない。彩とりどりのセロファンが複雑に重なってこの世界は出来ている。