愛の国の人

 たまたま残っていたおっさんずラブの再放送の録画を見ていて、春田の後輩のカズが「相手の嫌なことが見えて来て、もう一緒に暮らすなんて無理」と零していた。そのカズに食い下がっていたのは春田だ。彼は元々そういう考え方の人だ。

 だから牧のことも簡単に「別れようぜ」と言ったのではない。劇場版のシナリオ本では喧嘩別れの時、牧に対して「ずっとウジウジ抱えてろ!」だったかな(なぜかシナリオ本が両方とも見つからないのでうろ覚え)と言っているのが、劇場版の本番では「じゃあもう一生、ずっとひとりで抱えてろよ!」に変えられている。多分、田中さんが本を読み込んで、監督と相談して変えたんだろうと思う。自分はこのセリフを初めて聞いた時、春田の愛を感じた。

 「そうやってずっと世界に背を向けて、ひとりで何もかも抱えて生きて行くのなら、自分が傍に居る必要はない」そういう意味だと思う。それはすなわち、牧と傷みも苦しみも分かち合いたい、という彼の愛の言葉だ。この時の牧にはまだ、この春田の想いは届かない。自分の深淵に向き合っていないからだ。

 その牧が春田の存在を喪いそうになって初めて自身とも向き合う。そして彼は自分の殻を内側から破り、自分の力で大きな壁を乗り越えた。そこに傷みが伴うのは自分の深淵に向き合ったからだ。無傷で済むわけがない。

 でも、その時に彼はひとりではなかった。春田が傍に居た。だから牧が春田の手を放すことは絶対にあり得ない。そして春田は愛の国の人なので、牧の手を放すことは絶対あり得ない。だから二人の永遠の愛は決して揺るがない。

 春田を演じた田中さんに春田のベースがないと春田は演じられない。だから彼は愛の国の人なのだと思う。先輩から可愛がられ、後輩から慕われるのはそのためだろう。デザイナーや芸術家(芸術は絵だけではなく多岐に渡る。恐らく演技に関してもそう)など、全く何もないところから何かを生み出す人間は、自分の命を削っているというのはあながち嘘ではない。自分の中から何かを削って新しい何かを生み出しているのだ。林 遣都さんが魂を削ってまで生きてくれた牧がまさにそうだった。自身を削るのだから傷みを伴う。でも、そこには新たな命が宿る。

 小さな命がたくさんの芽を出して、それが大きく育ちたくさんの花を咲かせた。その花は大きな実りとなり、また、たくさんの命を生んだ。その種がまた、新たな芽を出して、そしてまたたくさんの花を咲かせてゆく。その命を繋いで往くことは人の営みにも似ている。

 たとえ天空不動産のおっさんずラブが終わりを遂げようとも、そうやって命を繋いで生きて往くことくらいは赦されていいと思う。誰かの明日が約束されて、誰かの命の輝きになるのなら。

 だからこれは終焉ではない。新たな命の誕生である。