まなざしのゆくえ

 これは2018年8月18日に初めて書いたおっさんずラブに関するSSで、2本しかない春田の視点で書いたものの一つです。振り返ると自分はずっと春田の心の闇が引っかかっていて、どうしても春田を幸せにしてあげたかった。牧と結ばれることももちろん幸せなことなのだけれど、そうではなくて春田の心の深淵でひとりでで泣いている小さな春田を抱きしめてあげたかった。SSは人を選ぶので閲覧は自己責任でお願いします。全年齢対象です。

暗い…暗い…

ここはどこなのか…暗闇の中、俺はひとり立っている。暗闇に目が慣れて来ると小さな子どもらしき姿が見えた。あそこに居るのは誰?…え?俺?よく見るとチビの頃の俺だ。

すると急に大きな影がぬぅっと現れ、それが遠い記憶の中の父ちゃんだと分かるまでにしばらくかかった。

『じゃあな、創一』

そう言って父ちゃんは小さな俺の頭に大きな手のひらを乗せると、そのまま歩き出した。

『とーちゃん!どこに行くの?ぼくもいっしょに行く!もうちゃんとひとりでおるすばんができるんだよ。かーちゃんのお手伝いもできるよ。ねぇ、ぼく、もっといい子になるからぁ、どこにも行かないでー!』

父ちゃんの影が暗闇に消えると、小さな俺は泣きながらその場にしゃがみ込んでしまった。

『じゃあ、母さん行くね』

ふいにそう声を掛けられ、振り返るとそこには母ちゃんが居た。一体なんなんだよ、これ。行くって…どこに?

『アンタはひとりで生きていきなさい』

『ちょっ!待ってよ、かーちゃん!かーちゃんって!どこに行くんだよ!ひとりで生きていけってどういう意味だよ!』

母ちゃんの後ろ姿にそう投げかけ、追いかけようとしても足がピクリとも動かない。

『俺、春田さんのことなんか好きじゃないです』

急に後ろから声がして、振り返るとそこには牧が居た。
「え?な、な、なんだよ急に。次から次へとわけがわかんねーよ!」

『明日、出て行きますね』

そう告げる牧の顔は氷のように冷たく、何の感情も読み取れなかった。まただ、俺はいつも誰かに置いて行かれる。暗い、暗い、この世界にひとり…。

「牧ー!待って!俺さぁ、俺、これからは家事も手伝うしさぁー、いつか牧のお父さんにも認めてもらうように努力するからぁー!」

『今までありがとうございました』

そう静かに言い放つ牧の顔は、俺が知っている牧の顔ではなかった。俺はどうすることも出来ず、ただ、呆然と立ちすくんでいた。暗い…暗い…ここは一体———どこだ?

* * *

「……た…さん、はる…たさん?」誰かの声が聞こえる。俺は無我夢中でその声の方へ手を伸ばした。荒く息が上がり、額には嫌な汗をかいていた。
「どうかしました?怖い夢でも見たんですか?」そう声をかけられて顔を上げると、心配そうに覗き込んでいる牧の顔があった。停止していた思考がノロノロと動き出す。

周りを見渡すと薄暗い自分の部屋で、隣で寝ていた牧がうなされた俺の声に反応して起きてしまったらしい。目の前の牧を引き寄せて力いっぱい抱きしめると、その確かな感触と温もりに自然と涙が零れ落ちてしまう。
「大丈夫ですか?」牧の手のひらが自分の背中に触れるのがわかった。
「牧が…牧が居なくなる夢。俺、追いかけようとしたんだけど、どうしても足が竦んで動けなかった」腕の中の牧が居なくならないように、抱きしめる腕に力を込めた。すると自分の背中に回された牧の腕にも力がこもり、その力強さに少し安堵した。

「春田さん…」牧の頬が俺の頬に触れる。汗で張り付いた髪の毛が気持ち悪い。涙でぐしゃぐしゃになった顔を見られるのが恥かしい。反射的に身を引こうとしたが、強く抱きしめられてしまった。だんだんと冷静になって来ると、自分が置かれた状況に目を背けたくなって来てしまう。無性に恥かしくなった俺は、牧から顔を隠すようにして肩口に顔を埋めた。

しばらくはそうしていたが、ふいに牧は俺から身体を離し、両手で俺の顔を挟むとそのままキスをして来た。ただ、触れるだけのキス。すぐに身体が離れると、目にいっぱい涙を溜めた牧がまっすぐに俺を見ていた。
「春田さんだけじゃないです。俺も春田さんが居ないとダメなんですよ。俺は春田さんが居るから頑張れるんです。それに春田さんが思っているほど、俺は完璧な人間じゃないです。ちずさんも春田さんも俺を買い被り過ぎですよ」牧とちずが連絡を取り合っているのは知っていたけれど、そんな話もしているのか。
「片翼の天使の話を聞いたことがあるんですが…春田さん、知ってます?」急に思考を遮られきょとんとしてしまう。
「え?え?なに?かた…よく?」俺はバカみたいにそのまま聞き返した。すると少し笑いを噛み締めたような顔で牧が続けた。
「翼が片方にしかない天使のことです。片翼の天使が、もうひとりの片翼の天使と協力しあって、天へと昇るという話があるんですよ。まぁ、よくある自分の片割れ的な話ですね。それを思い出しました」
「え?それってなに?俺が天使ってことなの?」
「何聞いてたんですか。たとえ話ですよ。まぁ、春田さんは天使じゃなくて破壊神ですけどね」
「それ、いいかげんやめろよ」楽しそうに笑う牧を見て、全身から力が抜けて行くのがわかった。俺もつられて笑う。すると牧に強く抱きしめられた。俺も強く抱きしめ返す。
「さ、もう寝ましょ、明日も早いし」
「うん、おやすみ。起こしてゴメンな」牧の前で泣いてしまった気恥ずかしさと、心地よい脱力感でこのまま眠りに就きたかった。求められれば応じる気でいたが、牧はそうしなかった。互いの温もりと吐息を感じながら、俺たちはいつの間にか深い眠りに落ちて行った。 

* * *

 俺はまたあの夢を見た。暗闇でチビの頃の俺がしゃがみ込んでいる。あの時のまま、顔を膝に埋めて泣いていた。するとなぜかそこに大人の姿の牧が近づいて来た。しゃがみ込んでいる小さな俺に手を差し伸べると、ふわっと頭に手を置いた。驚いて顔を上げる彼に牧はにっこりと優しく笑いかけた。

『おいで』

牧はやさしく声をかけると小さな俺の手を引いてそのまま歩き始めた。その先にはほんのりと光が射し込んでいて、それはまっすぐに続く道のようにも見えた。牧に手を引かれて歩く小さな俺と、俺の手を引いて歩く牧。それぞれの背中には片方だけの翼があった。

 俺はもうどんな暗闇でも迷わない。自分の選んだ道を往く。自分が選んだ愛しい人とともに———。