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幸福の箱庭 〜おっさんずラブリターンズに寄せて〜

   以前放送された『マツコ会議』という番組で藝大をテーマにしていたことがあった。個人的に興味があったため、録画をしてそれを見ていた。

 すると学生の方が自身の作品に対して『自分が執着してしまう過去は、つらい苦しい体験よりも、幸福な思い出の方がいつまでも自分を縛っているような気がする』と話していた。それにはとても共感出来る。

 自分が好んで使う言葉に『追憶の箱庭』というものがある。追憶の中の箱庭は幸福で満たされていて、自分はそこにずっと縛られている、というものだ。それは漠然とした心象風景であり、具体的な体験談というものはない。自身の中で積み上げられた多幸感の偶像だ。そのいくつかの風景の中に春田と牧も存在する。

 心理療法の中に箱庭療法というものがある。箱庭に置かれたものやその置き方によって、深層心理を読み解き、治療法やアプローチの仕方を模索してゆくものだと認識している。自分の中の追憶の箱庭とは、自身を癒すための療法のようなものだ。

セルリアンとは天国の意
すなわちセルリアンブルーは天空の青

 その存在は大きくて温かく、やさしくて心地よく、愛に満ち溢れている。人によって幸福の捉え方はさまざまだが、自分の中で幸福とされる象徴、それが〝追憶の箱庭〟なのである。それは誰にでもある孤独感や普遍的なテーマにも繋がっている。

 ここで春田やマミーを通してテキストを書く時、彼らの父親の存在の大きさを書いた。春田が根なし状態なのは、春田が小さい頃に父親となんらかの理由で別れているからだ。死別が離婚か。リターンズで「俺は父親が居ないから」「部長は俺の父親のような、自分を導いてくれる存在」とはっきり言及したし、彼の中での部長の存在の大きさが今作でも余すことなく描かれた。

 マミーもまた、五郎さんとの確執が精神的な死別を連想させ、私は彼らの関係に特別な思いを抱いた。だからマミーと五郎さんが和解した時、本当に嬉しかった。

 そして牧パパが息子を心から愛し、大切にしていることがリターンズでも描かれた。牧は家族の愛に恵まれているからこそ、春田を心から愛することが出来た。だから春田の心を動かすことが出来たのだと思っている。

 〝家族〟というもの。

 それは単に〝同じ器に入れられた別の人格〟ではない。それならただの同居人である。家族になるということは、互いの存在を尊重し、心を通わせること。春田の空白を埋め、補い、家族となり得たのは牧だった。温かくて、やさしくて、心地よくて、大きな存在。それを春田は手放したくないと泣いた。まるで子どもように。牧が時々見せる、慈愛に満ちた表情は母のそれである。

封じ込めた花びらは天空不動産メンバーと同じ数

 追憶の小さな箱庭で、春田と牧が家族になるおとぎばなし。それが自分の中でまた一つ、幸せの象徴として刻まれることになった。

 劇場版での春田と牧のそれぞれの花道は、澄み渡る天空の青と、桜のトンネルを抜けた先にある、春の輝きに満ちた世界のように私は感じた。だからずっとその先を見届けたかった。それがリターンズですべて叶った。そしてそれは完璧過ぎる理想的な形で幕を下ろした。私たちはこの先、春が運(めぐ)るたび、何度でも彼らに恋をする。

あの空は5年前から繋がっている

 私の中でおっさんずラブは『自分がいつまでも縛られている幸福な思い出』となっている。だが、今はもう私を縛る感傷はどこにもない。続編への想いが捨て切れず、とっくに帰り道が分からなくなっていた深い霧は晴れ、目の前には澄み渡った天空の青が広がっている。そこには春田と牧と、天空不動産のみんなの笑顔があって、私たち民もまた、幸福の箱庭の一員として温かく迎え入れられた。愛とは勝ち取るものではなく、深く永く慈しむものだと、改めておっさんずラブは教えてくれた。

 この幸福な思い出がいつまでも自分を縛って往くのだとしても、追憶の箱庭の住人として生きることはそんなに悪くもない話なのだ。



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